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それからというもの、犬飼さんは毎週花を買いに来てくれるようになった。
花の前で腰に片手をて、もう片方の手をに添えて前のめりになっている犬飼さんを見かけ
「何かお探しのものがありましたらお手伝いします
よ」
と声をかけると
「あ、すみません、ちょっといいすか?」
「はい、なんでしょうか?」
「なんつーか、おすすめの花ってありますかね。
枯れにくいのとか、一輪買いたいんすけど」
「ええと、それでしたらカーネーションなんて定番だと思います。あと、こちらのガーベラなんかも長持ちしますし…」
「へえ…この、アルストロメリア?ってのも気になるんすけど」
「こちらですね、これは大変丈夫で、水上りも良く、茎も腐りにくいので、水換え頻度が少なくてもわりと元気な状態で長持ちできますし、おすすめですよ」
「下手に買ってすぐ枯らしてしまうの嫌なんで、これなら俺でも買いやすそうだし…これにしようか
な」
「ありがとうございます!あ、よければ付属でウォーターキープベースもお付けしますが、いかがでしょう?」
「そんなもんまで付けてくれるんすね、じゃあそれで。」
「かしこまりました。ただ、花はとても風に弱いので、エアコンの吹き出し口など、風の当たるところには絶対に置かないようにお願いします」
「了解です、水も毎日変えた方がいいんすかね」
「そうですね、とくに夏場は水が腐りやすいですからね」
あとは水切りです、水切りと水換えはすればするほど花が元気になりますから」
「なるほど…」
「といっても、どんな花も丁寧に手入れすればさらに長持ちさせることも可能ですから、気になる花があればまたいつでも声掛けてくださいね」
なにやら花に興味を持ってくれたのか
それから1ヶ月後
犬飼さんはいつも違う花を買いに来てくれて
それでいて俺はお洒落な格好に毎回目が惹かれていた。
そんなある日のこと。
「今、いいすか?」
いつものように声をかけられた
「はい、犬飼さんどうしました?」
「花束の予約をしたくて」
「なにかのお祝いですか?」
「はい。来週、ダチが結婚するんでその祝いに花をいくつか見繕ってほしいんすけど」
「それはおめでたいですね。お相手は女性です
か?」
「いや、男同士です。αとΩ同士なんで、いわゆる番婚ってやつです」
犬飼さんの発言に
好き同士が結ばれてるんだなと、嬉しく思う。
日本で同性婚が法的に認められていない現状では
法律上の婚姻関係を結ぶことはできなくても
LGBTに対応している結婚式場を個人的に借りて友人や知人を招いて結婚式をするのは可能だし
そういう人が身近にいるというのは、なんだかとても祝ってあげたくなるものだ。
「すごく素敵ですね、そうだ、入れたい花とかはありますか?お二人のイメージに合いそうな色でもいいですが」
「白、かな」
「花言葉とかは重視して欲しいかなって感じで、花にそんな詳しくないので、そこら辺はおまかせでお願いします」
「かしこまりました。予算はいくらほどで」
しょうか?と訊こうとしたとき、あるものを見つけて言葉が途切れた。
そのあるものとは、犬飼さんの首筋からちらりと覗いている黒い刺青のようなものだった。
一瞬、なにかの見間違いかと思ったが、たしかにそこにある。
もしやファッションタトゥーというものだろうか?とも思ったが
犬飼さんの第一印象を考えてみると、ヤのつく人という可能性も納得できないこともない。
というかそっちの可能性が高すぎる。
ハードボイルド感ありよりのありだし、それなりに覇気もある。
デザイナーってのはもしや嘘だったりする…?
いや、漫画の見すぎか……?
そんなことを考えていると、俺の心情など露知らず
犬飼さんは俺が黙っているのを気にしてか訝しげに俺の顔を覗き込んできた。
「ん、なんか俺についてますか?」
「いっいや、何も!えっと、なんの話してましたっ
け」
「予算の話じゃ?」
「あ、すみません。そうでしたね、どのくらいの予算でお探しでしょうか?」
「1万ぐらいで」
「かしこまりました。結婚式はいつですか?」
「来週の土曜日です」
「何か他にご要望はありませんか?」
「いや、特には」
「はい、では来週の金曜日に完成品をお渡ししますので、店頭まで受け取りにお越しください」
「はい、お願いします」
そんな会話を交わして、犬飼さんは帰っていったが
俺の脳内にはあの刺青がこびりついて離れなかった。
◆◇◆◇
閉店後
どうしても犬飼さんの正体が気になった俺は
ふと顧客名簿を手にして「犬飼 仁」という氏名が存在していることを信じて
【犬飼仁 ファッションデザイナー】
とパソコンで検索をかけてみる。
すると、ヒットしたのはファッションデザイナーとして犬飼さんが載っている記事だった。
「嘘は……ついてないみたい。これ、ちゃんと聞いたことのある会社っぽいし…」
あの刺青はファッションタトゥーかなと思えなくもない。
中学の頃に誘拐してきたのが極道類の人だったから、タトゥーらしきものが見えてつい怪しんでしまったが
犬飼さんって誤解されやすそうな体格に見た目だし、大切な常連さんを疑いすぎるのも良くないか。
まあ考えても仕方ない
なんなら、もういっそ本人に直接訊いてみようかななんて楽観的に考えて
店を閉じ、帰路についたのだった。
◆◇◆◇
それから1週間後…
彼は約束通り花屋に来た。
「こんにちは」
「あっこんにちは!犬飼さん、こちらご注文の花束です。ご要望通り、白の花を中心にお作りしてみました」
「おお、やっぱりおまかせにして正解でした。イメージ通りっつーか、それ以上ですよ」
犬さんが俺の手元を見て声をあげた。
俺が手にしている花束は、白と黄色のかすみ草を基調とし
そこに黄色いリボンでアクセントをつけた清楚な雰囲気のものだ。
「喜んでいただけて何よりです。」
そうして花束を犬飼さんに手渡し、会計を済ませると
犬飼さんは軽く会釈して花を大事そうに抱えながら店を出て行った。
それから店内にベルガモットのいい香りが漂う頃
常連の相澤さんが久しぶりに店に来てくれた。
「お久しぶりです!最近お忙しかったんですか?」
そう聞くと、相澤さんはうなずく。
「そうなのよー!仕事が立て込んじゃってね~あ、そうそう、この前の娘の誕生日プレゼントね、あの子ったらすごく喜んでくれて」
「花束も私の部屋に飾って!ってすごく気に入ったみたいでね〜」
「それはそれは…娘さんにも気に入っていただけた
みたいで良かったです」
「ええ、本当に楓ちゃんに頼んで正解だったわ。またよろしく頼むわね」
「はい!いつでも」
「それはそうと、娘が相当気に入ったみたいでねぇ」
「この店【陽だまりの向日葵】のホームページ見てたんだけど、楓ちゃん全部独学なんですって?しかも全部一人で経営してるじゃない?」
「あっ、はい!確かにホームページ制作から花の手入れや接客、清掃まで一人で担ってますが……」
「大変でしょう、朝も5時起きって聞いたわよ?」
「はは…はい、いつも早起きして花の水切りと水換えをしてから開店準備に取り掛かるのが日常で。でも、早起きは得意なので!」
「ふふ、若いのに凄いわね。もう最初からこういう店を構えてたの?」
「いえいえ!最初から大きな店舗を構えるのは無理がありますから、オンライン販売やイベント出店などしてましたね。それで徐々に、って感じです」
「どっちにしてもすごいわねえ…それでこのクオリ
ティだもの。」
「いやいや、そんな、俺なんてまだまだですよ」
「ふふ、謙遜しちゃって。楓ちゃんってひまわりみたいに素敵な笑顔で接客してくれるから、楓ちゃん目当てで来てるお客さんもいるんじゃない?」
「ええ、それは褒めすぎですって」
「でも本当よ?私もそのうちの一人だし、いつも感謝してるんだから!」
「こちらこそ、いつもご贔屓にしてくださって、相澤さんには頭が上がりませんよ」
「やあね~もう」
◆◇◆◇
その日の19時ごろ
店内に残るお客様に感謝の言葉をかけ
最後に残った一組のカップルが、嬉しそうに花束を抱きしめながら店を後にするのを見送ると
閉店作業に取り掛かり始めた。
いつも通りの事務作業は、できるだけ手早く済ませる。
売上日報を書き終え、明日の予約リストを確認す
る。
必要になりそうな花材や資材を頭の中でリストアップし、明日朝の準備を少しでも進めておく。
手書きの売上日報に数字が書き込まれていく様は、小さな達成感の証だ。
店内を見渡せば、色とりどりの花たちが一日の役目を終えて静かに佇んでいる。
通路やレジ周りなど、お客様の目に触れる場所から丁寧に整理を始める。
ほうきを手に取り、落ちた花びらや葉を掃き集め
雑巾で床を拭いていく。