テラーノベル
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『じゃあ、また!』
賑やかな空間で交わされた挨拶。その声も賑やかであろうものは、俺の耳を酷く刺激した。決して、音量が大きいとかそういう問題ではない。ただ単にそいつ───ぺいんとの声が大きいだけだ。
そんな明るく、うるさい彼の声に楽しそうな声で返事をする声が聞こえた。
『はい、また次の撮影で!』
一見、その声を聞いてしまえば誰しもが女性の方だと勘違いするだろう。だが、実際のところは違う。…今は多様性の時代だから、あれこれ言ってもあれなんだけれど…彼はちゃんと男性だ。それこそぺいんとのようにはっきりとアウトな言葉は言わないけれど、何かに例えたりしてアウトな言葉を遠回りに言ったりするし、悪ノリにもノッてしまうし、ゲームだって好きだし…。性格的にはどれもこれも男子が好きなものを好きになっている。まぁ、女装はするけれど。それでも別におかしな趣味とも思わない。
そんな彼に続き、落ち着き払った声で挨拶を言ったのは、現リーダーのクロノアさんだ。
『はーい、またね。』
声からして和むような雰囲気を持っているが、まさにその通りだ。そりゃ和むし、アウトな言葉だって真正面からは言わない。…ただ、最近はよく叫ぶようになったり、悪ノリにノッたり、ギリギリアウトな言葉も、遠回しで言うようになってきた。
もちろん、ダメなことなんかではない。 むしろ俺たちからしたら嬉しいまである。 段々と、友達だな、なんて思えるようになってきていたからだ。いや、そりゃ最初から友達だし、親友だと思っているけれど…まだ最初の頃の彼には恥じらいがあったのかすごく控えめだった。
そんな彼の成長にリスナーのみんなも驚いているのか、いまだにみんなのファンは増え続けている。
一方、ある男を除いて。
「またねー。」
元気がないわけでもないが、活気はない。そんな声を出したのは俺───トラゾーだ。特に何の特徴もないから話すこともないけれど…まぁ、最初の頃…動画初期の俺とは何ら変わらない男だ。
それで、今はあのマイクラシリーズ『白昼夢』の撮影を終えた後であり、みんなで解散していた時だった。
あの長い準備期間を経て、ついにみんなにお披露目することができる。たくさんのお金を使って旅行に行って、たくさんのお金を使ってたくさん調べて、たくさんの時間を使ってできたストーリーと建物。…まぁ、かといってこれ以外にできることはないのだけれど。
「…はぁ。」
某チャットアプリから抜けた後は、深くも短いため息を吐いた。その瞬間、体の力が抜けるかのようにゲーミングチェアに身を任せる。
何故だか酷く全身がだるい。怠けてはならないと分かっているのだ。『白昼夢』が終わったからと言って、俺も真昼から夢を見るようなことをしてはならない。
次のシリーズの資料集めだったり、予算の確認と、手伝ってくれる人…あとは日常組の撮影だったりもしなければならない。
「…まぁいいや。今日は寝るか。」
あれこれ考えた末、結局は落ち着いた結果となった。電気を消して真っ暗な部屋へと変わり果てる。そうしてゆっくりと瞼を閉じた。寝てしまえば、もう今日は何も考えなくていい。
───何も考える必要が、ない。
……………
窓から流れ込むそよ風が俺の肌を掠め、俺はふと瞼を開ける。どうやら朝を迎えたようだ。
俺はベッドから起き上がり、冷え切った床を裸足で歩く。陽の光を浴び、ご飯を食べて、歯磨きをして、服を着替える…。ごく普通な生活だが、毎朝のルーティンを欠かさない。
「よし、いい感じ。」
腕を通した長い袖は少しくすぐったく、体に少しの重さを感じたが冬の近づく今、体が重いのは仕方がない。そう考えながらもパソコンやらノートやらの入った鞄を持って俺は近くのカフェへと向かった。
向かう目的は当たり前のように次のシリーズ───『羅生門』に向けた制作のための資料集めだ。もちろん家でやるのもいいが毎日家では集中力も持たない。たまには、和やかな雰囲気を出すお店に入るのもいいだろう。
カランッ、と音を立てて扉を開けると同時に、店員さんの活気のいい挨拶が聞こえた。それに少し会釈をしてから席につく。注文はいつも通り一杯のコーヒーを頼み、パソコンを開いて作業を進めた。
「……ふぅ。」
一通りの作業を終え、少しの休憩がてらにコーヒーを一口飲む。
その瞬間に、手元がブレた。
決して手が震えたわけではない。かと言って、意図的に震わせたわけでもない。ただ───手がブレたように見えたのだ。一瞬の困惑を感じた次の瞬間、目の前は渦を巻くように視界がぐにゃりと歪む。
(あ…)
微かに悟ってしまった、この後の結末。ぐにゃりと歪む視界ではっきりとは見えない目の前に、俺は何の行動を起こすこともできなかった。
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