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ー はじまる日常 ー
昼休みのチャイムが鳴った。その瞬間学校中が一斉にざわめきだす。机をくっつける音、弁当を開ける音。
「わ!今日のデザートさくらんぼじゃん!」
「えーずるーい私にも1個ちょうだい!」
「ちょ勝手にとんな!」
そして、楽しそうな明るい声。
その全てからあやねは逃げるように教室を出た。
鞄を抱えて廊下を歩く。誰とも目を合わせず、足音を静かに。
教室を出ても、校内どこへ行っても誰もが楽しそうに昼休みを過ごしていた。
階段を降りて、誰もいないタイミングを見計らってトイレへ。
個室のドアに鍵をかけ、用を足す訳でもなくそのまま便器に腰掛けた。
鞄からコンビニのビニール袋を取り出す。
今朝、登校中に購入したハンバーグ弁当だ。
レンジで温める余裕もなくそのまま来てしまったので冷たいままだった。
「いただきます…。」
ハエよりも小さな声でつぶやき、割り箸を取り出した。
パキッ
綺麗に割る事ができ、あやねはひとりトイレの個室で微笑んだ。
パタパタと 足音が近づいてきた…。
箸を置き、息をころした。
「うわ…何この匂い…。」
「え、誰かトイレでなんか食べてんの?
きも…。」
「うそでしょ笑うちらの学校終わってんな笑」
あやねのいる個室まで足音が近づいてきた。
そしてトイレの個室がひとつ閉まっていることに気づいた女子がクスクス笑いだした。
「え笑やばい…笑マジで居たんですけど!」
「ねぇ、水かけたらでてくんじゃね?」
冗談のように軽く、それでいてなんの躊躇いもない手で、掃除用のバケツに水を入れ、閉まっている個室へと水を勢いよく上へ投げた。
ガコン!
バケツは逆さまへあやねの頭に水を撒き散らしながら落ちた。
頭にバケツが勢いよく落下し、あやねに強い衝撃が走り、冷たい水で身体が跳ねるほどに驚いたが、声を出すことが出来なかった。
震えながら一言。
「入ってます…。」
「わわわ!ごっめぇーん!
お掃除中だったの!」
「でもめっちゃ弁当臭かったしナイス浄化じゃん笑?」
「感謝してくれてるよね笑!?
どういたしまして!」
「きゃははは笑」
笑い声と足音が遠ざかっていく。
ハンバーグも、ライスも、全部水をかぶりグチャグチャになっていた。足元に落ちた箸が濡れた床に転がる。
あやねはびしょびしょになった弁当を見つめたまま動けなかった。
涙は出ない。悔しいのか、悲しいのかもわからない。ただ、喉の奥がぐっと詰まったように苦しかった。
やがて、ビニール袋に弁当を戻し、開かないようビニール袋をキツく縛った。
立ち上がると、ポトポトと全身の水滴が落ちる音がする。
びしょびしょになった鞄に、中の弁当が水を含みずっしりと重たくなったビニール袋を入れて、静かにトイレを出た。
昼休みはまだ半分以上残っていたが、教室には戻らなかった。
ーー予鈴が鳴る。
あやねは階段を登りながら一度も顔を上げなかった。濡れた制服が冷えて、身体にまとわりついてくる。スカートが足にぴっとりと張り付き、歩く度にピシャリと冷たい音がする。
階段を上がり、廊下に出ると、そこには誰も歩いていなかった。
(みんな、もう席に戻ってる…。)
そう思うだけで、足が竦んで止まりそうになる。
(だけど、戻らなきゃ…。)
誰にも見られずに戻れるはずなんてない。
でも、それでも「いない」ことにされるよりはマシだから…。
そう思い込むしかなかった。
ガラッ
教室のドアを開ける。
その後数秒、教室の空気がピタリと止まった。
「え…? 」
「なになに笑びしょびしょじゃん笑え?」
「風呂でも入ってきたの?笑」
クラスメイトからの視線、笑い声が…ひどくあやねに槍のように突き刺さり、血が吹き出ている感覚のように心臓が熱く、キリキリと傷んだ。
聞こえないふりをして。
歩き方すら忘れてふらふらと自分の席に着いた。
湊は、窓際の席からそれを見た。
見るというより、視界に入ってきた*異物*を無感情に捉えた。と言うべきか。
制服のスカートの裾が重たく垂れ下がり、椅子に座るとじゅわ、と音を立てた。
何を言われても、あやねは顔を上げない。
黒板を見るふりをして、ただそこに「座った」だけだった。
先生が教室に入ってきて、号令をすぐ終わらし授業を始めた。
(あれ、チャイム…。)
チャイムの音すら聞きとることができなかった。周りのクスクスと笑う声が、ほんの少しの小さな話し声が、あやねの耳にダイレクトに大きなスピーカーを通してくるように耳に入ってきていた。
ただ、その中で湊だけが、何事も無かったかのように黒板をノートにうつしていた。
湊には笑い声、友達同士がヒソヒソと話す声は遠く感じていた。
彼にとってはどうでもいい。
美しくもなく、関わる価値のない、
「空間に紛れ込むヒト」
それが彼にとっての笹原あやねだった。