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心臓がドクンと大きく跳ねた。
意を決して顔を上げると、尊さんは心配そうに俺の目をじっと見つめている。
その視線に射抜かれると、胸が苦しくなって、でも同時に縋りつきたい衝動に駆られた。
周囲の好奇の目が、一斉に俺に向けられているのが痛いほどわかる。
だけど、今はもう、このどうしようもない不安を、誰かになだめてほしかった。
震える声で、でも勇気を振り絞って口を開く。
「……主任……」
「なんだ?」
「…………俺って…使えない部下なんでしょうか……」
最後の方はほとんど掠れて、消え入りそうな声になってしまった。
喉がカラカラに渇いている。情けない声だ。
「使えない…?急になんの話だ」
両手が知らず知らずのうちに尊さんの腕をぎゅっと掴んでいた。
不安で堪らない。
見放されたくない。
捨てられたくない。
そんな子供じみた恐怖心が背筋を這い上がってくるようだった。
涙で滲んだ視界の中でも、彼の鋭い眼差しだけははっきりと捉えられた。
自分でも、きっと頼りない情けない顔をしているはずだ。
こんな風に泣きながら尋ねるなんて、大人げないってわかってる。
それでも、一度溢れ出した感情は止まらなかった。
「…すみません、俺、わかんな……何言って、るんでしょう…」
言葉を続けるごとに自己嫌悪で情けなくなってきて、目尻を何度も手の甲で拭う。
みっともないったらありゃしない。
尊さんは、ゆっくりと片方の腕を上げた。
俺がビクリとする前に、彼の大きな掌が俺の頭を包み込むようにして軽く撫でた。
優しさに、一瞬息が詰まる。
「雪白、飲みすぎだ。顔色も悪い」
「……っ…」
「少し休んだほうがいい」
尊さんの声は相変わらず静かで低いけれど、どこか柔らかい響きを持っていた。
俺の頭を撫でていた手がそっと離れ、肩に移る。
温かくて、その手のひらから伝わる体温が無条件の安心感を与えてくれた。
酔って火照った頬に触れられたところが、一瞬だけ冷たい気がした。
周りのザワつきが、少しずつ収まっていくのがわかった。
「悪い、少し席外す。雪白、立てるか?」
尊さんは周りのメンバーに軽く断ってから俺に向き直る。
その目は真剣そのものだった。
「…は…はい」
俺はコクリとうなずいた。
涙は止まったけれど、まだ鼻の奥がツンとする。
尊さんの腕にそっと支えられて立ち上がる。
腰が抜けそうでよろめきそうになるのを、彼の強い腕がしっかりと支えてくれる。
「…た、尊さん……すみません……」
小さな声で謝ると、尊さんは軽く首を振った。
「気にするな」
その短い、けれど力強い言葉に、どれだけ救われたかわからない。
みんなの視線が注がれる中をふらふらと歩くのは本当に情けなく、恥ずかしかったけれど
尊さんの手のひらが肩を支えているだけで、とてつもなく心強かった。
◆◇◆◇
「ほら、これ飲め」
尊さんは自動販売機で買ったミネラルウォーターを俺に手渡してくれた。
冷たいペットボトルが手のひらに当たる感触に、少しだけ冷静さが戻る。
キャップを開けてゴクリと飲むと、冷たさが喉を潤し、少し頭がスッキリする気がした。
「……ありがとうございます」
小さな声でお礼を言うと、尊さんは壁にもたれて腕を組んだ。
「どうしたんだ」
その問いかけは、すごく優しくて、でもその分余計に胸が苦しくなった。
「トイレから戻ってきてから、明らかに様子が変だ」
「……」
言いたくない。
室井さん会ったことを話せば、それはすなわち過去にパワハラ上司の元で働いていた
弱虫だった自分を見せることになる。
それこそ、尊さんに余計な心配をかけてしまう。
あの人がまだ俺を嘲笑する口ぶりで「どうせ使い潰されてる」と決めつけたこと
そんな言葉に惑わされて、動揺するようなダメな部下だと思われたくない。
俺は俯いたまま、黙り込んでしまった。
「何かあったのか?」
尊さんの低い声が、催促するように響く。
「……ト、トイレの帰りに、廊下でケーキ事件の話してる人がいて、それを聞いて、気を紛らわそうと思ったら……その、つい……」
嘘をつくのが下手すぎて、自分でも呆れる。
だけど、動揺を誤魔化すための
思いつく便利な話題としては、それしか無かった。
「…本当にそれだけ、か?」
ペットボトルをギュッと握りしめると、プラスチックが指の形に凹んだ。
「……っ、はい…」
尊さんのため息が聞こえる。
失望されてしまったかもしれないと不安で、顔が上げられない。
「まあ……それならいいが……あまり思い詰めすぎるなよ」
一瞬の沈黙の後、尊さんは少し呆れたような口調で言った。
「いつものアホ面が台無しだ」
「…ア、アホ面って…!」
からかうような言葉に思わず顔を上げると、尊さんは真面目な表情で続けた。
「…やっとこっち見たな」
「…っ…だっ、て…」
その言葉と、そのまっすぐな瞳に、また涙が込み上げてくる。
こんな風に自分のことを心配して、気を遣ってくれる人がそばにいることは、本当は幸せなはずなのに。
今の俺には、素直に喜べない複雑な感情があった。
それは、尊さんに本当のことを言えなかったから。
嘘をついてしまったからだ。