テラーノベル
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第2話 Who is he?
夜の公園は、昼間よりずっと広く感じた。街灯がポツリポツリとベンチを照らしている。ギターを抱えた彼の影が揺れていた。私はその灯りに誘われるように歩いた。
「……きれいな曲ですね」
声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げ、眠そうな目で私を見た。
「ありがとう」
疲れた声だった。
「ここ、よく来るんですか?」
「まあ、そうだな。夜になると、家にいるのがつらくて」
彼の指はギターの弦に触れたまま止まった。私はそっと隣のベンチに座ることをためらったが、小さく頷かれたので腰を下ろした。
「私、今日引っ越してきたばかりなんです」
「引っ越し?」
「高輪コーポラスってマンション。あの……“失恋した人だけが住める”っていう……」
「俺もそこに住んでる」
「え?」
「俺は503号室だよ。君は?」
「私は401室です。」
互いに名前も知らず、たった今出会ったばかりなのに、不思議な縁を感じた。
「ここに来ると、落ち着くんですか?」
「ギターを弾くと、少しは気がまぎれる。何も考えなくて済むから」
「失恋……ですか…?」
彼は深く息をついた。
「三年付き合った彼女に別れを告げられた。俺が転勤を選んだから」
「そうなんですね……」
「分かってた。彼女も無理して笑ってたって。でも仕事を捨てることもできなかった。そんな自分が情けなくて」
彼の声はかすれていた。私は結婚式の直前に婚約者に逃げられたことを思い出し、胸が締め付けられた。
「何が悪かったのか、考えても答えは出ない。けれど過去は変えられない」
彼はギターを抱え直し、静かに弾き始めた。曲は優しく、どこか救いを求めるようだった。
「あなたの曲、好きです」
「ありがとう」
彼の指先がわずかに力を取り戻したように見えた。
「名前は?」
「椎名 侑。君は?」
「…柊 美桜」
名前を交わしたことで、少しだけ距離が縮まった気がした。
「俺、新しい恋出来ると思う?」
「……出来ると思います…」
「どうして?」
「こんなに素敵な人なんですから」
彼は驚いたように黙り、ゆっくりと微笑んだ。
「もう少しだけ、ここにいてもいいですか?」
「もちろん」
二人の間に優しい沈黙が落ちた。ギターの音が心の痛みを洗い流すようだった。
「……電話、かけようか迷ってるんだ」
突然、彼が言った。
その声は震えていて、不安そうだった。
「え?」
「元カノに連絡するかどうかね、」
「迷ってるんですね」
「ずっと胸の中にモヤモヤがあって。かけてしまったら、全部終わる気がして」
「でも、かけなきゃ何も始まらないですよ」
「怖いんだ」
彼の目に涙がにじんだ。
「でも一歩踏み出さなきゃ、ずっとここにいるだけになる」
私はそっと手を彼の肩に置いた。
「かけてみませんか?」
彼は大きく息を吸った。
「わかった。やってみる」
スマホを取り出し、番号を押す指が震えている。
「がんばって」
「ありがとう」
彼は深呼吸をし、画面の「発信」ボタンを押した。
1,899
#夢
#ハッピーエンド
しばらくの沈黙のあと、電話に声が響いた。
「もしもし……」
相手の声が少しだけ聞こえた。
「あぁ、うん。…会って話したい」
電話を切った後、彼はスマホを握りしめたまま立ち上がった。
「会って話せるって」
私は自然と笑みがこぼれた。
「今から会いに行くんですか?」
「うん。ここに座ってるだけじゃ、何も終わらないから」
「行ってらっしゃい」
「ありがとう」
彼の背中は少しだけ強く見えた。
数時間後、彼は戻ってきた。顔は少し泣きはらしているようだったが、口元には笑みがあった。
「話せた。全部、言えた」
「よかった」
「彼女はすぐに答えられないけど、もう一度考えてくれるって」
「それだけでも十分ですよ。」
「美桜さんが話してくれなかったら、俺はまだここに座ってるだけだった」
「あなたが頑張ったからですよ」
彼の笑顔が夜空に溶けていく。
「焦らず待つよ。答えがどうであれ、ちゃんと受け止める」
「それでいいと思います。」
彼と私は、またベンチに腰を下ろした。
「失恋マンションに来た意味が、少し分かった気がする」
「私も」
夜風が静かに二人を包み込んだ。
「また明日もここで」
「うん」
その夜、二人の未来は少しだけ輝き始めていた。
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