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「単刀直入に言わせて頂きますね。――俺、玉木さんがあんまりにも綺麗だったから……その、一目惚れして……それで……」
少しでも話せたらな、と思ってそばまで来たらしい。
「えっ……」
今までそんなことを言われたことがなかった天莉はオロオロと戸惑って。
「あ、あの、私……」
しどろもどろにつぶやいて、無意識に名札についた紐をギュッと握った。
沖村は天莉のその手元を見つめて、「あ……」と声をこぼすなり申し訳なさそうな、残念そうな表情をする。
「……玉木さん、婚約してらしたんですね。すみません、俺、知らなくて」
言われて初めて。天莉は期せずして自分が沖村に、尽から渡された婚約指輪を見せつけるような仕草をしてしまっていたことに気付かされた。
尽には男避けのために付けておくように言われていたけれど、もちろん今のは狙ったわけじゃない。
「あ、あの、謝らないで下さい。……えっと、ご指摘のようにわたくし、婚約者がいますので沖村さんのご好意にはお答えすることはできません。ですが……その、声を掛けて頂けてすごく光栄でした。有難うございます」
ぺこりと綺麗な角度でお辞儀をした天莉の所作にうっとりと見惚れた沖村が、「玉木さんには総務課より受付の方が断然似合う気がします」と告げてニコッと微笑んだ。
「えっ」
またしても言われ慣れていない言葉を投げ掛けられた天莉は、瞳を見開いたのだけれど。
「正直、婚約者がいても奪いたくなってしまうような素敵な人だと思います」
連ねられた言葉に、正直戸惑いを隠せない。
それこそ風見課長のように下心モロ出しで言い寄られたならスパッとはねのけることが出来るのだけれど、こんな風に真っすぐな好意を寄せられると、言葉を選ばなければいけない気がしてしまった。
と。
「天莉――」
突然ツカツカと近付いてきた男に名前を呼ばれて、グイッと腕を引っ張られて。
「えっ」
ギュッと握られた腕の痛みに思わず眉根を寄せて、天莉はソワソワと闖入者を見上げた。
「ひ、ろし……。な、んで?」
「ったく、俺がいねぇとすぐこれだ。話はあとだ。行くぞ!」
博視は、今まで天莉に近付く男がいなかったのは、自分が虫よけしていたお陰だと言わんばかりの口ぶりで告げて。
有無を言わせぬ調子でグイグイと強引に天莉の腕を引っ張って大股で歩き出す。
天莉はそうされながらも振り返り様、「すみませんっ」と沖村に声を掛けるのを忘れなかった。
***
「ねぇ博視! いきなり何なの! あんな態度……沖村さんに失礼でしょ!?」
天莉と違って博視は対外的な仕事をする部署――営業課――の人間だ。
天莉同様首からさげた『株式会社ミライ』の社員であることを現す社章入りの名札には、ハッキリと『営業部営業課 横野』と記されている。
そんな名札を付けた状態での暴挙。
沖村は天莉の名札も目敏くチェックしていたような人間だ。
博視のものも、同様に見られた可能性がある。
『ミライ』の人間であることを冠した状態で、他社――しかも親会社――の人間にあんな態度。
天莉には尋常とは思えなくて。
掴まれた腕を振り払うようにして博視に抗議したら、物凄く不機嫌な顔をして睨み付けられた。
「は? お前がハッキリ突っぱねらんねぇみてぇだからわざわざ助けてやったんだろーが。天莉の癖にいちいち口答えしてくんなっ!」
そのついで。小声でポツンとごちるように「紗英かよ」と不機嫌に言われた天莉は、思わず瞳を見開いた。
「……もしかして江根見さんと上手くいってないの?」
何となくそんな予感はしていたけれど、その苛立ちを自分にぶつけられても困ると思いつつ天莉がそう問いかけたと同時――。
「もしそうならお前、俺んトコに帰っ……」
「やぁーん。玉木先輩。私の婚約者と二人きりで何コソコソ話してるんですかぁ~?」
博視の声に被せるように、紗英の甲高い声が投げ掛けられた。
「紗英」
恋人の登場と同時に博視の表情が一瞬だけ曇って……すぐさま極上の笑顔に変わる。
「いつ会場に着いたの? 連絡くれたらすぐ迎えに行ったのに。……体調はどう? 平気?」
そっと紗英の腰に触れて労わるような仕草をする博視からは、先程一瞬感じられた憂いのようなものは完全に立ち消えていて。
天莉はさっき博視が言い掛けた不穏な言葉は聞かなかったことにしよう、と思った。
そもそもハッキリ言われていたとしても答えは「No」と決まっていたのだけれど。
(博視、江根見さんにはあんなに優しく接するのね)
自分とも、付き合いたての頃はあんなだったかな?とふと考えて、ぼんやりとそんなだった気もするな、と思った天莉だ。
ここ数年のぞんざいな接され方の記憶が強烈過ぎて、イマイチはっきりとは思い出せないけれど、付き合っていたんだもん。楽しい時もあったよね?と思って。
「大丈夫だよぉ~? 博視はホント心配性なんだからぁ。最近はぁ~、つわりもおさまったしぃ~、何なら太らないように気を付けるので大変なくらいだっていつも話してるじゃぁ~ん?」
「ああ、そっか、そうだったね。――大丈夫そうなら俺、そろそろ行くけど……調子いいからってあんまり無理すんなよ?」
「はぁ~い。今日は同じフロアの休憩所をパパに押さえてもらってるしぃー、辛かったらちゃんとそこで休むからぁ。あー、けど博視もぉ~、お仕事大事かも知んないけど紗英が呼んだらすぐに駆け付けてねぇー? でなきゃぁパパに言い付けちゃうんだからぁ」
「あ、ああ、分かったよ……。じゃあ、天莉、玉木さん。俺、もう行くんで、紗英のことよろしく」
「あ、うん」
何だか分からないままに博視から紗英のことを任されてしまった天莉は、紗英に気付かれないよう小さく吐息を落として。
(博視、何か委縮してた?)
そんなことを思ってしまった。
意に添わないことをしたら、博視にとっては上司に当たる父親――江根見部長――に言い付けると言われていたのだって、脅しじゃないのかな?とすら思って。
だとしたら、自分に酷いことをした相手ではあるけれど、博視のことがちょっぴり気の毒にも思えて。
(あー、ダメっ。私ったらまた悪い癖が出てる)
両親から、それは天莉の好いところでもあり、悪いところでもあるとよく指摘される部分なのだけれど。
あんなに酷いことをされたのに、何を同情なんてし掛けているんだろう。
そう思いつつも、何となく博視が江根見紗英にいいように操られているように思えて、気になってしまうのだ。
(こんなこと尽くんにバレたら叱られちゃう)
絶対そうだ。
なのに――。
(妊婦さんのお腹って、一体いつぐらいから目立つようになるんだろう?)
なんて要らないことにまで思いを馳せてしまう始末。
博視にフラれた二月八日からおよそ二ヶ月。
あの時には既につわりがどうのと言っていた気がするから、恐らく妊娠初期だったんだろう。
(だとしたら今、江根見さんは何ヶ月目ぐらい?)