テラーノベル
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山の中を1台の馬車が走っている。乗っているのは御者と1人の少女。御者は顔の向きを変えずに話しかける。
「怖いですか?」
「何が?」
少女は、窓の外に広がる深い森を見つめながら答えた。木々の枝が風に揺れ、淡い陽光が車内に差し込む。
「……行く先がですよ。」
「今さら怯えたって意味はないわ。」
少女は頷き、両手をぎゅっと握りしめた。
「決まったことなら、受け入れるしかない。それが我が家のためになるのなら。」
馬車の車輪が石を弾く音がした。風が冷たくなり、森の木々が途切れる。遠くの湖がちらりと光を返した。
「まもなく着きますよ。」
御者がそう告げる。窓の向こうには、灰色の屋敷が静かに佇んでいた。湖のほとりに立つその屋敷は、まるで時を止めたかのように沈黙している。
「ここが……。」
馬車が止まり、御者が扉を開ける。足を下ろした瞬間、冷たい空気が肌を刺した。冬がまだ、この地には居座っている。
「では、私はここで。」
「ありがとう。」
乗ってきた馬車は山を下り、少女は1人取り残された。
「ようこそお越しくださいました。」
玄関前に立っていた使用人が、丁寧に頭を下げる。
「お話は伺っております。ハーロルト様の元へご案内いたしますね。」
使用人の言葉に、少女は小さく頷いた。廊下へと足を踏み入れると、空気がひんやりと冷たい。靴音だけが、長い廊下に響く。
「この屋敷には……あまり人がいないのですね。」
「はい。ご滞在されているのはハーロルト様と、数名の使用人のみでございます。」
「そうですか。」
少女は短く答えたが、心の奥でわずかにざわつきを覚えていた。まるでこの屋敷そのものが、息を潜めているようだ。階段を上がりきった先の扉の前で、使用人が立ち止まる。
「こちらでございます。」
軽く扉を叩く音が廊下に吸い込まれた。中から返事はない。それでも使用人は扉を開け、まっすぐ頭を下げた。
「どうぞ。」
部屋の中は、昼間だというのに薄暗かった。分厚いカーテンの隙間から、わずかな光が差し込んでいる。その光の中に、1人の青年が立っていた。扉に背を向け、何かを見つめている。背筋はまっすぐだが、どこか影が落ちていた。
「ハーロルト・ギッター様。」
名を呼ぶ声が、思っていたよりも響いた。青年がゆっくりと振り返る。数年前の内戦で活躍し、“英雄”と呼ばれた男。そんな彼を前にしても、少女は物怖じせず自己紹介をした。
「はじめまして。ルーケ党元当主、イアン・ルーケの娘のレイラ・ルーケと申します。今日からこちらでお世話になります。」
レイラは深く一礼した。ハーロルトは数秒、何も言わずに立っていた。沈黙が重く積もる。
「……そうか。」
ようやく漏れた声は、掠れていた。ハーロルトはそれだけ告げると、窓の外へ視線を移した。レイラはその背中を見つめる。氷のように冷たく、近づけば壊れてしまいそうな空気をまとっていた。
「……失礼いたします。」
小さく一礼して、部屋を出る。扉を閉める音が、やけに大きく響いた。
廊下に出ると、待っていた使用人が小さく頭を下げた。
「お疲れでしょう、レイラ様。お部屋までご案内いたします。」
レイラは黙って頷き、そのあとをついて歩く。途中、使用人がふと口を開いた。
「ハーロルト様は……噂ほど怖いお方ではありません。」
唐突な言葉に、レイラは足を止めた。
「そう、なのですか?」
使用人は言葉を選ぶように、慎重に続ける。
「ですが戦のあと、ほとんど人とお話しにならなくなりました。私たちには見当もつかないほど大きなものに襲われているのだと思います。」
「……大きなもの、ですか。」
「はい。戦は終わっても、あの方の中ではまだ終わっていないのかもしれません。」
使用人の声には、哀れみとも、諦めともつかない響きがあった。
案内された部屋は、湖に面した二階の一角だった。
「必要なものがあれば何なりとお申し付けくださいませ。」
「ありがとうございます。」
使用人が去ったあと、レイラは部屋を見回した。机と本棚、ベッド。どれも質素で整然としている。彼女は鞄を床に置き、窓辺へと歩み寄った。
「……静かね。」
彼女の新たな生活が、この地で始まった。
コメント
5件
連載!!連載!!??新連載!!! たった今、火曜日と木曜日が好きな曜日になりました 情景描写が素晴らしい…すぐに頭に浮かぶ……選ぶ言葉も美しい……結婚してください……
毎日頑張る理由が出来た。 もう次回を読みたいもん。早く来いよ火曜日!!!
火曜日と木曜日に投稿予定です