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転職を勧める話し合いがなされた翌日、焔が異世界へ投げられてから七日目の朝がきた。
「雨っ……すねぇ」
「えぇ、雨です」
「雨だな」
生憎今日は五月雨の様な雨が降っていて、百キロもの道を馬で移動するのは困難そうだ。かといってリアンには焔とソフィア以外を背に乗せる気など微塵も無く、窓越しに外を見ている五朗が何となくそれを察して遠い目をしている。
「『さぁ転職だ!冒険者ギルドに行くぜ!』って折角決めたのに、何もこんな日に限って雨とかやめて欲しいっすよねぇ。ゲーム画面越しだったら全然気にせずに突っ走れるのにぃー。こんな天気で馬なんか乗ったら、小雨だろうがぐしょ濡れになって、移動どころじゃないっすよ。あぁーもう!ゲーム系異世界のくせに、無駄にリアルなのマジ勘弁して欲しいっすー!」
両腕を振り上げ、天井に向かって五朗が叫んだ。
『雨具なら作ってありますから、それを着るしかないですね』
「良かったな、五朗。ソフィアが優しいぞ」
ぽんっと肩を叩きつつ、焔が五朗に言った。
「その様子だと、出発を遅らせる気は微塵も無いっすね……うぅ」
雨粒で濡れる窓硝子にカツンッと軽く頭突きをし、五朗がしくしくと泣き出しそうな顔をする。眼鏡が少しずれてしまったが、切なさ優先でお構いなしだ。
「それでしたら御心配なく。実は、事前に転移ゲートを設置しておきましたので、馬に乗らずとも、カバール村限定で瞬時に移動出来ますよ」
スッキリと満たされた顔をしながらリアンが言った。昨夜はベッドで組んず解れつナニかをやらかしたに違いないと察するに容易い顔だ。焔の方は少しお疲れ気味で、あまり眠れていない様に見える。
「いつの間に。……だが、『転移げぇと』とは、何だ?」
愛おしい主人に愛らしい仕草で軽く首を傾げられ、リアンの胸がキュンッと締め付けられる。相変わらず焔は新しく聞くカタカナ言葉を発音するのは苦手な様で、そんな様子がより可愛くって身悶えそうになってしまった。
『思うに、簡単に別の場所へ移動出来る扉みたいな物ではないかと』
「その通りです。流石はソフィアさんですね、察しがいい。まともに何度も往復するには、拠点からカバール村まではかなり遠いですからね。なので、村を出る直前にちょっと細工をしてきたんです。こちら側の仕上げは昨夜しておきましたので、いつでも利用出来ますよ」
微笑むリアンに対し、焔の方は渋い顔をしている。言いたい事が沢山あるが、ソフィア達の前なので何処までなら話しても平気か悩んでいるみたいだ。
「……だからまたあんなに魔力が無くなっていたのか。お前は、いつもいつもいつもっ俺の命令もなく勝手に湯水の様に魔力を使うな。こっちの身が保たん」
「そんな事言って、昨夜は嬉しそうでしたけどねぇ」と言って、リアンが焔の唇をツツッと指先でなぞる。吸われ過ぎてまだ少しぽってりとしている艶やかな唇の感触で体が軽く震えた。
「だ・ま・れ。あまり巫山戯た事を口にするな」
ソファア達が居るだろうが、と小声で言いながら、焔がリアンの胸元を軽く叩く。
「ぼかしていようが、先に話を持ち出したのは主人の方ですよ?」
「んぐっ。そ、そうかもしれないがなぁ——」
グダグダと、寄り添いながら言い合うリアンと焔の様子が完全に痴話喧嘩にしか見えず、窓硝子に手を当てている五朗の表情がスンッと冷めていく。
「……なんすか、コレ」
自分は何を見せつけられているのだ、と五朗が思う。珍しく場の空気が的確に読め、流石に今はいつもみたいに『何か喋らないとシラケさせてしまう!』という焦りから口を挟んではいけないと察し、小声でソフィアにのみ話し掛けた。
『仲良きことは幸いですよ。邪魔はしないであげて下さいね』
「……ういっす。んじゃ、自分達もラブラブっぽい会話して見ませんか?ソフィアさん」
ニタリと笑う五朗の顔がちょっと気持ち悪い。
『無理ですよ。断固として、お断りです』
「……つ、冷たい。でもそんなソフィアさんも好きっすよ」
頰をほんのり桃色に染めて笑う顔がちょっと子猫っぽくってソフィアは少し困った気持ちになった。無下には出来ない雰囲気に、心が負けそうになる。
『その様な会話はお断りしたはずですが』と言った声は、無駄にツンッとした態度になってしまった。コレではツンデレっすねと喜ばせてそうまいそうだ。
「まあまあ。犬も喰わない会話が終わるまで付き合って下さいよー」
案の定ニヤニヤとした顔をされ、言葉にしなくても、ツンデレだ!と喜んでいるのが見て取れた。
『気持ち悪いですよ。そんな事はせずにワタクシ達は出掛ける用意を始めておきますよ』
残念そうな声で「はーい」と答えてはいるが、五朗の表情は幸せそうだ。 何だかんだと言いながらも、ソフィアが五朗を無視だけはしないで返事をしてもらえている事実が嬉しくってたまらない。彼の姿は洋書であり、紛れもなく無機物なのに、態度は冷たかろうが意思を持った反応を貰える事が思いの外幸せで、対物性愛者である五朗の高揚した気持ちはなかなか冷めなかったのだった。
「こ、これが……『転移ゲート』!」
拠点の外に設置された、ほんのりと光る魔法陣型の転移ゲートを前にして、「おぉぉぉっ」と声をあげる五朗は感動の極みといった雰囲気だ。移動系は最上級魔法なので、目の前にする機会などそうは無い。なので彼が興奮するのは自然な事だった。
「煩いぞ、黙れ」
「すびばせん……」
塩対応な焔に対し、五朗が素直に謝った。
三人は普段の服装の上に黒い雨具を着込んでいて、ソフィアはひっそりと焔の着ているローブの中に隠れている。『自分がソフィアさんを安全に運んであげるっすよ!』と、目をハートマークにしながら言ってきた五朗の提案を丁重にお断りした結果だ。
「仄かに光っていて綺麗だ……。リアンを呼び出した魔法陣と少し似ているな」
「原理に大差はありませんからね」
「それもそうか」と納得し、焔が前に一歩進む。
「じゃあさっさと終わらせるか」
「はい」と答えながら、リアンが転移ゲートの上に手をかざして魔力を少し流し込むと、操作パネルが空中に現れた。半透明で紙のように薄っぺらいパネルには“カバール村”の名前だけが選択出来る状態になっており、他の部分にはロックマークが入っていて場所の名前すら読めない。どうやらこの魔法はどこにでも設置出来るものではなく、町や村などといった限定された安全地帯のみで使えるモノの様だ。
「まだ他の村は街へは飛べないんだな」
「はい。一度立ち寄った事のある場所限定で、転移用の魔法陣を設置して初めて使える魔法ですからね」
「最初からは使えなんだな。だいたいわかった」
(ホントか?あーでも、やっぱりそんな焔が——以下略・自主規制)
笑顔のまま、「ならよかったです。じゃあ行きましょうか」と言って、焔の前に手を差し出す。
当然の様に差し出された手を焔が握り、「では」と短く告げてリアン達は転移ゲートの魔法陣に足を踏み入れた。途端、地面に設置された魔法陣は大きな光源となって二人の体を全て包み込む。
「はやっ!あ、まっ、自分魔力ほぼ無いから単独で追いかけるとか出来ないっすよ!」
足を踏み出す準備すらも全くしていなかったせいで、少し離れた位置に居て魔法陣を観察していた五朗が慌てて彼らの元まで走り寄り、腕を伸ばして焔の着ている雨具の端に掴まった。
「俺の主人に触るな!」
——と言われても、置いて行かれては意味が無いのでその辺は今だけは勘弁して欲しい。リアンからの理不尽な怒りを買いつつ、三人と一冊は転移ゲートを通過して、再びカバール村の近くまで移動して行った。
「——そこへ座れ」
「え、あ、はい……」
氷河の如く冷たい視線を向けられながらリアンに言われた言葉に従い、五朗が地面に正座をして座った。慌てて座った場所は大木の下だったのだが、ずっと降っている雨のせいでぬかるんでいて気持ち悪い。だが、そんな事を気にするよりも、リアンに従わねば殺されるれるっ!という焦りの方が大きい。
だが、心中では『でも、置いて行きそうになったそっちに、そもそもの問題アリっすよね⁉︎』と言いたい気持ちでいっぱいだが、口にするのはひたすら怖い。褐色肌の角付きイケメンからの圧の強さは、よく喋るくせにコミュ障な五朗には荷が重過ぎる。
「二度は言いません。お前は、二度と、あ・る・じ・に・さ・わ・る・な」
ゆっくりと、重低音のよく効いた声でリアンに言われ、五朗の肩がビクッと跳ねる。
一番近かったのがたまたまた焔の着ていた雨具だったというだけで故意では無かったのだから何もここまで怒らなくてもいいのに……と、心の中だけでそっとぼやく。
「以後、気を付けます……」
またやってしまう可能性も考え、『もうしない』とは口が裂けても言えない。この先また意図せずに発言を反故にしてしまったら、とてもじゃないが許してもらえるとは思えない相手だからだ。
「別に、抱きついてきたわけじゃないんだからこのくらいいいだろうに」
「ダメです!そもそもですよ、貴方に触れていいのは——」と、今にも熱く語り出しそうな勢いを見せるリアンの顔面をぐっと押し、焔が「いいから。この件はもう終わっとけ。そもそも五朗は悪くない。奴の立っていた位置を考慮せず、早々に移動を始めたリアンが全面的に悪いと、俺は思うぞ」と呆れ顔で言った。
「あ、主人さんっ」
ちょっと感激気味に五朗が声を震わせ、両手を祈るみたいに重ねる。口を開ければ『五月蝿い』と叱責される事が多いせいか、焔が自分の味方になってくれた事がより一層嬉しかった。
「さて、と。雨足が強くなる前に、さっさと移動するぞ。雨の中で魔物にでも遭遇したら面倒そうだしな。五朗も、馬鹿正直に地面になんぞ座るな。雨なんだから臨機応変にいかんと駄目だぞ」
「うぃっす!」
「……わかりました」
不満そうな顔をしつつも、焔に従いリアンが歩き出す。五朗も急いで立ち上がると、前のめりに転びそうになりながら彼らに続いたのだった。