「だから、最初からそう言っているでしょう」
ショックだった。
私は、魔王さまのことを、何も知らない。
大事なことを、何も。
「勇者との一件で、お主を単身、救いに来たというからてっきり……重要な幹部か愛人のようなものだとばかり思っていた」
「つ……妻です私は! 愛人なんかじゃありません!」
そう叫んでしまってから、ハッとなった。
そんな情報を、人に言うつもりなんてなかったのに。
何も知らないのかと言われて、頭にきて……。
――こういう時に、話をしてはいけないんだ、私は。
「聖女様……てぇと、転生者で、魔族で?」
「魔王の……嫁……だと?」
レモンドと会長は、互いに言葉を繋げるように、私の身上を言った。
「これ……聞かなかったことに、してくれませんか……」
私は子どもみたいにカッとなって、そして今は、恥ずかしくて顔が真っ赤になっている。
彼らも、私が愛人という言葉に引っかかって怒ったことを、気にしてくれてはいるらしい。
「あ、ああ。その辺りは、その、あまり詮索せんようにしよう。なぁレモンド?」
「も、もちろんでさぁ。だから聖女様、その……あんま、怒んねぇでくだせぇ」
逃げられるものなら、転移してでも逃げ出したいくらい恥ずかしい。
それを察してか、シェナが私の手をそっと握ってくれた。
「もう、ここを出ましょう、お姉様」
シェナの顔を見ると、きっと、ずっと怒りを我慢してくれていたのだろう。
おでこに浮き出た血管が、はち切れんばかりに怒張していて、時折ビクビクと引き攣っている。
ここで暴れたら、商工会ギルドと戦争になるかもしれないと、理解してくれていたのだ。
「うん……。えと、それじゃあ、私、帰ります」
握り返したシェナの手を引いて立ち上がり、ドアの前に進んだ。
けれど二人は、たじろぎながらも引き留めはしないらしかった。
ドアを開いたところでようやく、会長が何かを言ったみたいだったけれど。
「いや……しかし、その。話は、まだ終わっては……」
私は聞こえないフリをして、そのまま出ていった。
会長の屋敷を出ても、ドローンたちも何もしてこなかったし、追ってもこなかった。
そして少し遠いなと思いながらも、転移するところを見られたくなかったから、歩いて王都に。
「シェナ……私、すっごい嫌な気分」
「今からでも、この工場を全て焼き尽くしましょうか」
「……ううん。そんなことしたら、我慢した意味がなくなっちゃう」
「そうですね」
一番我慢してくれていたのは、きっとシェナだったろうに。
「それより、魔王さまのこと……。レモンドに、詳しく聞かなくちゃ」
「ウレインに呼び出させましょう」
そういう意味では、あのホテルは便利だなと思った。
でも、そんな話をしていると後ろから、空飛ぶ車が追いかけて来た。
身構えかけたけれど、その必要はないとすぐに分かった。
「聖女様! 歩いて行かれるおつもりですか! 乗ってくだせぇ」
どうやら、レモンドは気遣いの出来る人らしい。
「良い気遣いだが、もっと早く来れなかったのか?」
怒りを滲ませた声で、シェナが手厳しいことを言う。
「す、すんませんです。いやぁ……そもそも今日は、ほんとに……お二人には申し訳ねぇことしちまって。なんてお詫びすればいいか……」
レモンドは恐縮しきりだったけれど、それをなだめてあげる気持ちにはなれなかった。
確かに本当に、彼に連れられることさえなければ、こんな目には合わなかったから。
だから、私はただ黙って、窓の外を見た。
シェナは沈黙のまま、バックミラー越しにレモンドを睨み続けている。
針で突き刺され続けるような空気の中、レモンドも静かに、ただ運転に集中するフリをしていた。