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グラスの命令は、あまりにも単純だった。
「城壁へ近づくな。」
「兵士も例外ではない。」
マルスが欲しかったのは、誰一人姿を見せぬ城壁だった。
静まり返った城門。
人影のない城壁。
その沈黙こそが、敵へ向けた最大の偽装である。
外界との接触を断ち、城内で何が起きているのか、一切悟らせないために。
アルペスを越え、グラン本土へ侵攻して三年――。
バルカは初めて、その情報網が機能しない事態に直面していた。
城壁は沈黙し、
城門も沈黙する。
その不気味な静寂が、彼の思考を凄まじい速さで巡らせていた。
(敵はいる。)
(間違いなく、いる。)
(……だが、何者だ。)
バルカは試した。
城門へ槍を突き立て、挑発する。
返答はない。
城外に残された家畜を奪い去る。
それでも城壁は、なお沈黙を守り続けた。
(沈黙もまた、敵の武器か。)
バルカはこれまでと違う敵の存在を認めた
「おめえ、バルカを見たことあるんだよな。」
マルスはバンディットを伴い、城壁の高みへ登った。
敵に気づかれぬよう身を伏せ、眼下の敵陣を見渡す。
正門の向こうには、堂々たる敵本陣が構えられていた。
「どんな男なんだい?」
「底知れぬ不気味さと、陽気さを併せ持つ隻眼の男でした。」
「そうかあ……。」
マルスは子どものように目を輝かせる。
「そんな男と戦えるなんて。」
「おら、わくわくすっぞ。」
バンディットは思わずマルスの横顔を見た。
(この男……戦を恐れていない。)
いや、それどころか――。
(楽しみにしている。)
バンディットは、目の前の男への興味を深めていた。
バルカ自身が築き上げた不敗の神話は、兵たちの意識を変えつつあった。
雪のアルペスを越え、
凍える川を渡り、
幾度となくグラン軍を打ち破ってきた。
その輝かしい戦歴は、いつしか兵たちの自負を慢心へと変えていた。
「この城も、明日には降る。」
「バルカ将軍に敵う者などおらん。」
誰もが、そう信じて疑わなかった。
沈黙を続ける城壁は、彼らには恐怖ではなく、
降伏前の静けさにしか映っていなかった。
「正面からいくっぞ。」
「いや、司令。普通は脇門からでしょう。」
「奇襲ですよ。」
「いんや、正門だ。」
「バルカに一番近い。」
「正門だと渋滞します。」
「じゃあ、渋滞しないようにやるんだ。」
「失敗すれば終わりですよ。」
「失敗しないようにやるんだ。」
参謀たちは一斉に頭を抱えた。
だが、
「総司令の決定だ。」
「死ぬ気でやれ。」
グラスの一言で、会議は終わった。
マルスは地図から目を離さぬまま、小さく呟く。
「敵が着陣して三日……。」
「思ったより、規律の乱れは早かったな。」
その言葉を、バンディットは聞き逃さなかった。
「ノーラは間もなく落ちるであろう。」
「この通達を傭兵部隊へ伝えよ。」
「カンパへ戻り、次はシラクスへ向かう。」
バルカは、開城後の略奪に関する申し伝え書を副官へ手渡した。
心の奥底に芽生えた疑念を、希望的観測で押し流す。
きっと明日には終わる。
そう自らに言い聞かせるように。
バルカ軍最大の弱点は、すべての判断が彼一人に集約されていたことだった。
それも異国の地で。
そして、それは――。
それは、バルカがこの戦争で初めて犯した判断の揺らぎだった。
正門の内側では、軍が整然と隊列を組み始めていた。
前列には、カンナルの戦いを生き延びた古参兵。
その後ろには、新たに動員された新兵たちが続く。
マルスは、その正門の前に立っていた。
声を発することは禁じられている。
だから司令官は、ただ静かに微笑んだ。
刃こぼれした剣を見つけると、副官へ目配せする。
副官は音も立てず、新しい剣と取り替えた。
マルスは兵士一人ひとりの顔を見て歩く。
緊張で体が強張っている兵には、何も言わず背中へそっと手を置いた。
その温もりだけで、兵は小さく息をつく。
やがて――。
正門は、音もなく開き始めた。
門の外では、待ちに待った正門がゆっくりと開かれた。
降伏の使者が現れる――。
誰もがそう信じていた。
三日間続いた退屈な包囲も、これで終わる。
兵たちは気の緩んだ表情で城門を見つめる。
だが――。
彼らを出迎えたのは、降伏の使者ではなかった。
出迎えたのは、剣と盾であった。
門から、次々と歩兵が姿を現した。
十人ずつ組となり、隊が揃うたびに一歩前へ進む。
やがて正門の外には、五千の兵が寸分の乱れもなく整列した。
装備は統一されていない。
欠けた盾。使い古した剣。奴隷の身なりのままの者もいる。
だが、その姿は紛れもなく――グランの歩兵であった。
中央に立つ男が、静かに剣を掲げる。
「進めぇい!」
マルスの号令が戦場へ響き渡った。
不意を突かれたバルカ軍前衛はたちまち崩れ、
後方へ雪崩を打つように逃げ始める。
その間にも、グラン歩兵は歩みを止めない。
一歩、また一歩と盾を揃え、敵陣を押し込んでいく。
中央では、逃げ惑う者と踏みとどまって戦おうとする者が入り乱れた。
味方同士が押し合い、隊列は乱れ、混乱は瞬く間に広がっていった。
この瞬間――。
グラン王国の反撃が始まった。
コメント
1件
第63話「反撃」、めっちゃ熱かった…!!😭🔥 ずっと沈黙してた城壁が実は最大の偽装で、マルスの“わくわくすっぞ”がカッコよすぎるんだが…!?バルカの慢心が生んだ隙、そしてグラスやマルスの冷静な決断力が光る回だったね。兵士ひとりひとりの背中に手を置くマルスの優しさにじーんときたし、最後の「進めぇい!」の号令で鳥肌立ったよ…!!✨💕 眠狂四郎さん、世界観の作り込みが毎回エモいね…!次回もめっちゃ楽しみにしてるよ〜🌸