今日、私たちが請け負った仕事で向かった魔泉はそれほど規模の大きなものではなかった。
そのためヒバナ、シズクとのトリオ・ハーモニクスで遠くから魔法を連発しているだけで異常発生している魔物たちの殲滅が完了してしまった。
異変の観測されている魔泉のうち、私たち全員の力を合わせなければ解決できないような規模の魔泉が占める比率はそれほど多くはないので、大抵はこのようなことになる。
はっきり言って、私たちは戦力過多なのだ。
「はぁ……今日もやることがありませんでした……」
「ボクもー……」
魔素鎮めを終えた帰り道、コウカとダンゴは揃って肩を落としていた。
そんな2人を見てヒバナがため息をつく。
「やることないって言ったって大変な思いをするよりかは断然いいでしょ?」
「そんなことが言えるのはヒバナとシズクは大活躍だったからですよ……」
ずーん、という音が聞こえそうなほど沈み込んでいるコウカ。
その様子にヒバナはため息を深くする。
「はぁ……それで何が引っ掛かっているのよ」
「2人だけがマスターとハーモニクスするなんてズルいです! わたしだって早くデュオ・ハーモニクスで戦いたいんですよぉ!」
「はぁ?」
ヒバナのコウカを見つめる目が一気に呆れたものを見る目へと変わる。
――なるほど、コウカはそんなことを考えていたのか。
たしかに私もコウカとハーモニクスをしたいと常々思っていたが、あの子もそこまで冀ってくれているものとは思わなかった。
嬉しかったので私は彼女に問い掛けてみることにする。
「だったら、今からやってみようか?」
ここでやることに特に意味はないが、彼女の願望を叶えることができて心を満たすこともできるかもしれない。
そう考えての発言だったが、どういうわけか彼女は首を横に振った。
「やめておきます」
その言葉に周囲の者たちが驚きを表す。
「えっ……」
「コウカお姉さまなら~飛びつくと~思ったのに~」
私も彼女たちと同様に驚いてはいる。
その理由を問い掛けるまでもなく、コウカは自分から語り始めた。
「その……やっぱり初めてはここぞというところでやりたいといいますか、然るべきタイミングというものがあると思うんですよ!」
熱い思いを口にするコウカにシズクが目を瞬かせる。
「コウカねぇもそんなこと気にするんだ……ちょっと意外……」
「でもそれ、ボクにも分かる気がするよ!」
意外とロマンに理解があるコウカであった。
そんな彼女がシズクの態度に少し不満を表し、口を尖らせる。
「わたしもそういうことを気にするんですよ。どうなっているんですか、わたしのイメージ!」
「直情的なバカ」
「がさつでデリカシーがない」
双子の言い草が酷い。私だって流石にそこまでは思っていない。
「……食べ物とか……食べられたら何でもいい、とか……いいそう」
「あー……」
アンヤの言葉に周りから感嘆の声が上がる。
確かにそんなイメージがあることは否定しない。というのも思い詰めていた頃のコウカは無頓着というか、身の回りのことは二の次だったからだ。
でもみんなは未だに慣れないのかもしれないが、本来のコウカは食事を楽しむタイプだ。
というよりも、あの子はありとあらゆることを全力で楽しめるんだと思う。
「さすがにそんなことは言いませんよ! たしかにヒバナの作ってくれたご飯は美味しいですし、わたしも大好きなのでどんなものでもたくさん食べてしまいますけど……」
「うわ……」
私とシズクの声が重なり、思わず顔を見合わせる。
もしかして私とシズク、同じことを考えているのだろうか。ならば次に私たちの視線が向かう先は自然と一致する。
「ふーん……あ、そ、そう、なの……な、何か食べたいものって……ある……?」
そこには真っ赤な顔で髪を弄りながらチラチラとコウカの様子を窺うヒバナの姿があった。
思った通りの反応に何だか気が抜ける。あんなことを全く狙わずに、素面で言ってのけるんだからコウカはすごいよ。
◇
「弱点を残したまま、コウカねぇにユウヒちゃんのことは預けられないよ」
まるで保護者のようなシズクの発言。そんなことから始まったのがこの“コウカ強化計画”である。
それはシズクがまとめ上げたコウカの弱点を改善し、今後の戦いに活かすための計画だ。
あの子曰く、コウカの能力は活かしきることができれば強力な反面、扱いきれなければ寧ろ自分を追い込むことになる諸刃の剣とも呼べるものらしい。
そんなわけで救世主としての仕事の合間にコウカはダンゴと再び模擬戦を繰り広げていた。
「コウカお姉さま~ふぁいと~!」
「ありがとう、ノドカ……って重い、重い!」
一瞬、気が逸れたコウカの剣にダンゴの戦斧が叩きつけられ、上から一気に押し込まれる。
コウカは足に力を入れて踏ん張ることでどうにか耐えているが、このままだと押し切られるのは時間の問題だろう。
そんな様子を見兼ねたのか、見物していたヒバナが声を上げる。
「それでも結構抑えているんでしょ、ダンゴ?」
「うん! もっと重くもできるよ!」
「ならコウカねぇの問題か。もう少し頑張れないの?」
今やっているのは、自分よりもパワーがある相手の対処方法を身に着ける練習だ。
能力を活かした一撃離脱戦法を得意とするコウカだが、十分な加速を得られないと剣による攻撃に勢いが乗らず、相手の防御を崩しきれなかったり、力負けしたりしがちなのだ。
そのため、今回の練習だとその最大の長所に制限を掛け、何か別の対処法を考えることが課題となる。
「相手の力を利用して上手くいなすか、押し返してね。コウカねぇの得意な雷魔法の応用、ちゃんと考えたでしょ……?」
「分かっていますけどっ! 回避禁止で攻撃を受け止め続けるのは荷が重くて咄嗟には……って重っ!」
シズクは理論上、雷魔法を応用することで自らの力を増幅させたり、剣を振る動作だけを高速化させたりできると言っていた。
体が魔力とマナ、精霊力でできているスライムならその強化度合いは他の生物を遥かに超える効率になるとも。
実際にその技術を会得すれば、コウカの得意な戦法と組み合わせることでさらに強くもなれるだろうし、今後の為に何とかものにしてもらいたいものだ。
「まだ咄嗟に上に逃げる癖も治ってないんでしょ? こんなことに油を売ってていいわけ?」
「それはもう治りました! だいたい半分くらいは!」
「それは治ったって言わない!」
ヒバナが彼女なりの叱咤激励でコウカを奮い立たせようとする。
しかしまぁ、これではどっちが姉か分からない。
「さすがにコウカねぇも苦戦してる、か……」
「体に~覚えこませるんですよね~?」
「そうだよ。考えながら戦うなんてそんな器用なこと、コウカねぇにはできっこないから」
立ち合い稽古を見ながらノドカとシズクが会話していた。
たしかにあの子の言う通りなんだろうけど、シズクは相変わらずコウカには手厳しいなと苦笑するしかない。
そんなシズクに寄りかかっていたノドカは彼女に向かってニコニコと笑いかける。
「よく~ご存じで~」
「もう……揶揄わないで。一緒に戦う相手を理解することって戦いの基本だし……言ったでしょ、これも全部ユウヒちゃんが怪我しないようにやってるだけだから」
ヒバナもそうだが、シズクもコウカに対しては大概素直じゃない。たとえ私の為だとしても、そこまでコウカのことを考える必要はないだろう。
「ねぇ、シズク。あとコウカに必要なのは速度を維持したまま攻撃する技術とかだっけ?」
私は事前に聞いていた事柄について、確認のために改めて問い掛ける。
「うん。本当はもっと色々と課題があったんだけど、進化の影響とあのスキルのおかげでほとんど解決したみたい。逆にあのスキルがないとどうにもできないものがあったから良かったけど」
「スキル様様~ですね~」
「そうだね」
進化と同時にあの子が得たスキルは本当にあの子の長所を伸ばして、短所を補ってくれている。
それだけでコウカは十分強くなったが、さらにそこへ必要な技術も身に着けることができればあの子はまさに最強になれる。
――そんなことを考えているうちにどうやら決着が着いたようだ。
「いぇーい、またボクの勝ち!」
「くっ、ハンデさえなければ……!」
結果はコウカの敗北であった。
地面に倒れ伏し、悔しそうに負け惜しみを口にするコウカをヒバナが窘める。
「やめなさいよ、姉なんだから。みっともないこと言わないの」
「うっ……でも、これは勝負です……」
「あなたが負けず嫌いなのは知ってるけど、ダンゴだって能力を制限してたのよ? 禁止と制限じゃたしかに差はあるけど、ここは素直に妹を褒めてあげなさいって」
言うことが大人だ。
そんなヒバナはダンゴの頭に手を置いて少し乱暴に撫でる形で労っている。撫でられるたびに首を揺らすダンゴだが、彼女は満足そうな笑みを浮かべていた。
コウカもその様子に毒気を抜かれたのか、苦笑いを浮かべながらダンゴに近寄っていく。
「コウカにもお姉ちゃんとしての自覚が芽生えたのかな。ねぇ、アンヤ?」
私はダンゴを撫でているコウカを見ながら、自分の腕の中に大人しく収まっているモノクロ髪の少女に話しかける。
「……アンヤにも、よく構ってくる。……でもそれが姉として、なのかは……分からない」
「そっか、アンヤはみんなの中じゃ一番妹だもんね。まあ私も兄弟いないから、お姉ちゃんとしての自覚がどういうものか知らないんだけどね」
兄弟姉妹がいる人の気持ちなんて私には正確に分からない。私が勝手に想像して言っているだけだ。
やっぱり私だけが浮いてしまっている。
「……そんなことない」
「アンヤ?」
「……ますたーも、同じような感じ……だから」
腕の中からアンヤの銀色の瞳が私の顔を見上げていた。
そして彼女は私の頬へと手を伸ばす。
「……ますたーは、みんなの太陽……温かく照らしてくれる太陽。……大切な存在、だから……そんな顔をしないで?」
アンヤの手が私の頬に触れる。小さな手だが、とても温かい手だった。
言葉でも表情でも、自分の想いを表現することが苦手だという彼女の表情はそう大きく変わることもない。精々、眉を少し下げている程度だ。
でもその瞳が、この熱がこの子の心を教えてくれている。
「ありがとう……アンヤは優しいね」
その温かさに触れた私は覆い被さるようにアンヤを抱きしめた。
そうしてしばらくそのままの状態でいた時、遠くから声が届けられる。
「アンヤ! 次はアンヤがわたしの相手をしてください!」
腕の中でアンヤが身動ぎをするので、私は彼女を抱きしめる力をそっと抜いた。
「呼ばれちゃったね」
「……行ってくる」
「うん。いってらっしゃい、アンヤ」
私はアンヤをコウカたちが待つ場所へと送り出す。
彼女が離れてもなお、腕の中にはあの子の温もりが残っていた。
その感触に少しだけ未練がましさを覚えながら、コウカたちの元へまっすぐ歩いていくアンヤの背中を眺めていると、ノドカに抱き着かれた状態のシズクが私の元へとやってきた。
「ユウヒちゃん、アンヤちゃんと何かあったの?」
「顔が~緩んでますよ~?」
ノドカにそう指摘されて、私は自分の顔に触れる。
だが、自分が今どんな表情をしているのかは分からなかったので、取り敢えずシズクの問いに答えることにする。
「あのね……アンヤってすごく温かいんだ」
「そう、なの……?」
思ったよりも曖昧な言い回しになってしまった。
シズクは私の発言の意図がすぐには理解できなかったのか、首を傾げていた。
「アンヤちゃんは~優しい~ですね~」
どうやらノドカには伝わったようで、簡単な言葉ではあるものの私の気持ちを表現してくれた。
それでやっとシズクにも伝わったようだ。
「そうだね……知らない人でも誰かが困っていたら、一番初めに駆け寄ろうとしてあげているのはいつもアンヤちゃんだもんね」
表面上だけで中身の伴わないものとは違い、アンヤの人助けはきっとあの子の優しさから来ているものだ。
それがちゃんとノドカとシズクにも伝わっていることが嬉しい。2人にも伝わっているのなら、きっと他の子たちも理解していることだろう。
……いや、どうだろう。少なくとも、ヒバナは確実に分かってくれているかな。
「アンヤちゃん~楽しそう~」
「あはは、ほんとだ。手合わせなんて初めてだから、意外とあの子も張り切ってるのかもね」
ここから見えるあの子たちの姿。
全体的な能力で劣る中、様々な手段を用いてコウカと戦いを繰り広げるアンヤの姿はまるで楽しそうに舞っているようだった。
結局、アンヤとの勝負はコウカの勝利に終わった。
その後、コウカが今度はヒバナを指名したことで2人の戦いが実現したのだが、それは何故か両者とも剣を用いた戦いだった。
あの子には近接戦闘の経験などないはずなのに、それでも私よりもマシだったのは解せないが。
「はぁ……はぁ……どうして私が……」
火の魔法で作った慣れない剣を使ったヒバナの戦い方は酷い物で結果は惨敗。疲労を顔に色濃く浮かばせながら、彼女は地面に手を着いている。
そこに近寄るコウカがヒバナへと手を差し伸べる。
そしてその手を取ると、コウカは勢いよくその体を引っ張り上げた。
「前にマスターから経験が足りていないと言われたので、少しでも多くの人と戦いたかったんですけど……何だかすみません」
刹那、ヒバナから突き刺すような視線が私に向けられたので、慌てて首を振って弁明する。
いや、人との戦いというか意思を持った相手と戦う経験が不足していたのは事実で、そうコウカに言ったのも事実ではあるので弁明する余地なんてないのだが。
だが、何とかヒバナからの追及は逃れられたらしい。彼女は疲れた顔をコウカに向けた。
「それならせめて魔法を使わせなさいよ……」
「別に禁止はしていなかったと思いますけど……」
「こっちは剣を使ったことすらないのよ? そんなもので戦わされて、他の魔法を使う余裕なんてないわよ……」
「なら練習していてください。またやりますから!」
弾けんばかりの笑顔を向けられたヒバナの顔が引き攣る。
その様子を隣で見ていたシズクは自分に飛び火しなかったことに安堵していた。
「わたくしと~お姉さまは~当然ですけど~よかったですね~シズクお姉さま~」
「ほんとだよ……ひーちゃんには悪いけど、犠牲になってもらおう……」
ヒバナがこちらを見て、目で訴えかけてきていたが私たちは目を逸らした。
……私が言えた義理ではないが、それでいいのかシズクよ。
そして再戦の約束を取り付けた――半ば強引ではあったが――コウカは近くの木陰で刃物の手入れをしていたアンヤと、そのそばにいるダンゴの元へ駆け寄っていった。
最初にそれに気付いたダンゴがコウカに声を掛けている。
「コウカ姉様、お疲れさま!」
「ありがとう」
何とも爽やかなやり取りだなと眺めていたが、それはコウカが胸を張り、勝ち誇った笑みを浮かべたことで幻へと消えた。
「これで今日は2勝です。ダンゴを超えましたよ!」
「ふふん、勝った数で競おうなんて甘いね! ボクはコウカ姉様に勝ったんだよ? つまり、ボクはアンヤとヒバナ姉様よりも強いってことだよね!」
そうやってまた競い始めた2人の近くにいたために、巻き込まれる形となったアンヤが非常に迷惑そうにしていた。
「あなたたち、よくも見捨ててくれたわね……」
不意に近くから声が聞こえてきたので、そちらに顔を向けるとむすっとしたヒバナがいた。
「あはは。ごめんね、ヒバナ」
「ごめんなさい~」
私は軽く手を振りながら、ノドカはニコニコとしながら彼女に謝る。
それに複雑そうな表情を浮かべたヒバナは唯一、何も言わずに本を読んでいるシズクを恨めしそうに見遣る。
「嫌なら断ればよかったのに」
「あんな顔を向けられたら断りづらいのよ」
「本当はそんなに嫌でもなかったからでしょ?」
シズクの指摘とそれを頑なに認めようとしないヒバナの言い争いが勃発する。まあ言い争いと言えるような過激なものではなく、終始穏やかなものではあったが。
こちらがひと段落ついたようなので、私はコウカたちに視線を戻した。
あちらは既にダンゴとの自慢対決が終わったようで今度はアンヤと会話していた。
「アンヤがライゼのような技を使ってきたのには本当に驚きました」
「……見てくれを真似しただけ。中身がない」
「そうですか? あのまるで空気を斬っているような感覚はそっくりだったんですけど……」
技巧派のアンヤは先ほどの模擬戦の中でも様々な戦い方を見せてくれた。
その中で彼女は先日、ライゼさんが見せたような相手の攻撃を受け流すような技をやってみせたのだ。
彼女の霊器“朧月”の刀身が見えないので正確には分からないが、コウカの剣が何かに滑らされるような動きは本当にライゼさんのようだった。
社交ダンスの時のように、前々からアンヤは器用にも少し見ただけの動作を自分の体で再現していた。
彼女の多彩な技はそうやって身に着けてきたものなのかもしれない。
「もう謙遜しすぎだって! アンヤはすごい、ボクの妹はすごいんだよ! 素直に認めろぉ!」
「っ……危ない、から……!」
刃物を手入れしていたアンヤは抱き着いてきたダンゴに対して、眉を顰める。
すぐに刃物を《ストレージ》へと収納したが、それでも迷惑そうにアンヤはダンゴの体を押し退けようとしていた。
それを微笑まし気に見守るコウカはさっきまでダンゴと競い合っていたとは思えないほど、私にはお姉ちゃんらしく見えたのであった。
◇
ミンネ聖教国は領土内に世界樹がある影響か、魔泉の乱れが少なく、その規模も小さなものばかりだった。そのため、スムーズに全ての魔素鎮めを終わらせることができたのだ。
魔素鎮めがすべて完了した旨を報告するために教会へ入ると、まずコウカが採寸のためとかで連れていかれた。
そのためひとまず先に残された私たちだけで教会の神官に報告を済ませると、その神官から次の仕事を依頼されることとなった。
「メルキゾ王国、ですか?」
「ええ。救世主様御一行の御尽力によりまして聖教国内は平定しました。そのため、次はメルキゾ王国にある風の霊堂周辺の魔泉を鎮めていただきたいのです」
そう話す神官の言葉によって私の中に疑問が生まれる。
「たしか世界中の大きな異変を治めて回るっていう話ではありませんでしたか?」
首脳会談の後、この聖教国内を巡る前に説明されたのはそんな話だったはずだ。
それがまたどうして、風の霊堂へと向かう話になっているのだろうか。
「本来なら、そうしていただきたく存じておりました……がこの数日で急激に風の霊堂周辺の魔泉が活性化しているのです。このままでは大規模な異変に繋がる恐れがあります」
既に冒険者や王国軍、聖教騎士団が対応に当たってくれているようだが、やはり私たちが行かなければ原因を解決することはできないのだ。
なら迷う必要はない。私たちはその仕事を請け負うことにした。
「ありがとうございます。ああ、それとご要望にあった物ですが……どうにか2冊ご用意できましたよ。後ほど教会の人間に持ってこさせますね」
神官が最後に口にしたことに対するみんなからの問いを誤魔化しつつ、荷物を受け取った私は採寸を済ませたというコウカと合流したのち、北から迂回するルートでまずはキスヴァス共和国へと向かった。
そこから数日はほとんどスレイプニルの背中の上だったが、私たちにとって大切な日となるある1日だけはスレイプニル達を休ませる名目で少しだけ自由な時間を取らせてもらった。
大切な日。それはヒバナとシズクの誕生日だ。
「ということで、今日はみんなでヒバナの代わりにご馳走を作ろうと思います!」
「わぁ!」
私が今日の主役2人を除いた全員を集めて、そう宣言するとみんなが拍手をしてくれた。
「じゃあまずは……ん、どうしたのアンヤ?」
みんなが盛り上がりを見せる中、アンヤが小さく手を挙げていたので私は彼女に言葉を投げ掛けた。
「……ますたー以外、料理したこと……ない」
なるほど。料理の経験がないことが不安だったらしい。
でも、心配は無用だ。
「私が教えるから大丈夫! 直接手は加えられないけど、教えるのは何も問題はないはずだから!」
私が料理に手を加えてしまうと、なぜか味がなくなってしまうので実働部隊となるのはみんなだ。
「最初はみんなで食材を準備していくよ! まずは野菜を切ることから。ノドカ以外は刃物の扱いに慣れているはずだから、大丈夫だって信じてるよ!」
「まっかせてよ!」
「任せてください!」
「……不安」
――うんうん。いい返事だ。新しいことに挑戦するときはやる気が大事だからね。
近接組の3人は握り方からどのように切るかまで手本を見せれば、きっと大丈夫だろう。
複数人の面倒を見なければならないのは意外と大変なので、できる限り任せられるところは任せていきたい。
「ノドカも私が近くにいてサポートするから心配しないでね」
「うぅ~……枕より~重いもの~……持ったことないから~……不安です~」
「いや、いつも大きなハープ持ってるよね!?」
――そんな箸より重いものを持ったことがないみたいなことを言っても嘘だって分かるからね。
冗談だと笑うノドカに釣られて笑顔になった私は一通りの手本を見せてノドカへの指導へと移る。
でも、これが間違いだった。
「あっ、下の板まで割っちゃった」
「まな板がっ!?」
ダンゴが力加減を間違えてまな板を叩き切る。
「見てください! これでどうですか!?」
「不器用すぎる……」
コウカが切ったものの形が不揃いなのは初心者なので当然だとして、野菜の皮むきが圧倒的に下手だった。……剥いた皮の方が分厚いっておかしいでしょ。
そして彼女たちのフォローに奔走している間にノドカは眠りこけているので進まない。
最後の頼みの綱としてアンヤを見る。そして彼女の前にある台の上に広がっている光景に私は目を見開いた。
「アンヤ……!」
そこにはほぼ手本通りに切り並べられた食材たちがあった。私はそこに一筋の希望を見出す。
どうにか私のようにみんなへ助言してもらえないかとお願いしたが、答えは首を横に振ることだった。
「……見た目を近づけただけ、だから……教えるとかは、できない」
「アンヤ……」
私は肩を落とす。
その時、彼女の眉が下がる。
「……ごめんなさい」
「ううん……ううん、これは私の仕事だから! よーし、アンヤはその調子でお願い!」
初心者のアンヤがここまで形を揃えようと頑張ってくれているのだ。経験者の私が己の仕事を全うしないでどうする。
そして決意を固めたその後、何とか惨劇だけは逃れながら次の工程へと進める。
「これから交代で食材の仕込み、味付け、火加減の調整とか鍋をかき混ぜてもらったりするね」
火は魔道具を使って熾すので調整もそれほど難しくないはずだ。焦げ付かないようにかき混ぜてもらうのなんて一番簡単だろう。
このまま継続で食材を用意してもらう人はいいとして、一番重要なのは味付けだ。
私が見守っているとはいえ正確な作業が求められるため、ここはアンヤに任せるべきだ。
後の役割はまあ誰がやっても同じか。適性を見つつ入れ替えていこうかな。
でもここでもまた私は手で顔を覆うことになる。
食材の仕込みを注意深く見守っていた私が不意に鍋番の方を見遣ると、信じられない光景が視界に映ってしまった。
「あっはは、これ面白いね!」
「……オッケー。一旦、交代しよっか」
力強く鍋を掻き混ぜすぎるダンゴ。
いつか悲劇が起こりそうだし、一番簡単な鍋の番に私が付きっきりでいるわけにはいかないので、ここは思い切って別の子に任せてみる。
「どうですか、これなら焦げないでしょう!?」
「ごめん、一旦交代で」
速すぎて鍋の中身を飛び散らすコウカ。
「……すぅ……すぅ」
「交代……」
眠ったまま危うく焦がしそうになったノドカ。
……駄目だ。一番簡単だと思っていたことですらこうなるなんて。
分量を守って味付け作業を進めていたアンヤがこの光景を見て呟いた。
「……悲惨」
――ごめん。アンヤの味付け、全部無駄になりそう。
今日の教訓。結局、何事もまず始めは丁寧に教えることが肝心である。
◇
「それでこれは何?」
「えっと……ご馳走です」
今日の主役席に座ったヒバナが引き攣った表情で目の前に広がっている料理らしきものを見る。隣に並んで座っているシズクもこれには苦笑いだ。
明らかに私の指導ミスだし、あの悲惨な光景の後にちゃんと丁寧に説明すればみんなそれなりに上手く対応し始めていたので、もっと早い段階でどうにかできればもっとちゃんとした形にはなったはずなのだ。
私としても後悔しかない。
「ボク、姉様たちのために頑張ったよ!」
「わたしもです! 料理ってなかなか面白いですね!」
「わたくしは~……ん~? 寝てました~!」
どこから生まれたのか知らない自信を身に纏い、ニコニコとしている3人組。
私はこれを食べてもらうのが怖くて怖くて、曖昧に笑うことしかできないのに。
「さあ、食べてみてよ!」
「これがご馳走……ねぇ」
ヒバナが置いてあるスプーンを手に取り、そっとそのドロッとした若干黒い料理らしきものを掬う。
隣のシズクが信じられないものを見る目で見つめている中、料理らしきものを観察していたヒバナが口を開いて、ついにそれを口の中に入れた。
無駄に大きい食材をゆっくりと咀嚼するヒバナは無表情だった。
全員が心配そうに見守る中、ヒバナが喉を鳴らす。そして俯いたかと思うと、肩を震わせ始めた。
もうどうにでもなれ、という気持ちで私は彼女が烈火のごとく怒りだす瞬間を待つ。
だが、聞こえてきたのは――喉の奥で押し殺したような笑い声だった。
「ふ、ふふ……あはははははは」
遂に押し殺せなくなったのか彼女は声に出して笑う。
目に涙を滲ませるほど笑った彼女はその目を拭った。
「あはは……あー、まっずい」
「まずい……まずい!?」
不味い。態度とは相反するような言葉にダンゴたちが驚きを示す。
そんな彼女たちを見て、未だ完全には笑い止んでいないヒバナが新たにスプーンに掬い上げたそれを一番近くにいたダンゴへと差し出す。
「ふふっ、あなたたちも座って食べなさいよ。本当にまずいわよ、これ」
そう言われて最初に口にしたのはヒバナから差し出されたダンゴとすぐに自分の席へと向かったコウカだ。
2人はほぼ同時にそれを食べると――テーブルに平伏す。
「これはたしかに……」
「美味しくない……」
私も怖いもの見たさというわけではないが、せっかく作ったので口に入れる。
ヒバナの隣に座っているシズクも食べ始めたようで感想を口にする。
「んぐっ、本当においしくないね……」
まあ、普通にまずかった。
調理段階で焦がしたり、火加減を間違えたりと結構様々なハプニングがあったから当然かもしれないが。
これでは私の無味料理とどちらがいいか分からない――いや、それはないか。
「ユウヒが付いていながらなんて体たらくよ。やっぱり私が作ってあげないと駄目ね、あなたたちは」
「あはは……面目ない」
「まあ、努力だけは認めてあげる……ありがと」
最後にボソッと呟いていたが、私が付いていながら折角の記念にちゃんとしたものを作ってあげられないのは本当に申し訳がなかった。
「……作り直す?」
アンヤの問いにヒバナは首を横に振る。
「それだと勿体ないでしょ。だから今日はこれで我慢するわ」
「まあ……そうだね。あたしも今日はこれでいいや」
さらにシズクも同意を示したため、私たちは美味しくない料理たちを食べ始めた。
そうして食事もひと段落付いたとき、私は《ストレージ》の中から包装紙に包んだ2つの箱を取り出す。
「はい、2人とも」
ヒバナとシズクは自分の前に差し出された箱を見て目を瞬かせている。
「これって……」
心当たりがないのだろう。
不思議そうにずっと眺めているヒバナと違い、シズクがこちらに目を向ける。
「開けていい……?」
「もちろん」
この子たちに喜んで欲しくて手に入れたのだ。
私は受け取った箱の包装を剝がし始めた彼女たちを見守る。気に入ってくれると嬉しいのだが。
「本?」
同時に中身を取り出したヒバナとシズクの声が重なる。彼女たちが持っているのは革表紙の分厚い本だ。
彼女たちは何も書かれていない表紙を眺めた後、中をパラパラと捲り始めるが中にも何も書かれてはいない。
不思議そうにしている2人に私はネタバラシをする。
「それ、魔導具なんだ。自分の魔力を登録すれば自分だけの魔導書が作れますよ、っていう」
私はこの魔導具をグローリア帝国の帝都で見かけていたのだ。
その時はお金が足りなくて買えなかったが、その後ティアナにお願いして数世代前のバージョンの新品を教団の手で何とか探し出してもらった。
基本的に魔力を登録した人ではないと開けないし、手に持たずともページを捲れたり、勝手に自分の周りにくっついてきたりする優れもの……らしい。
「最新型じゃないけど、使ってくれたら嬉しいかな。一応、魔導書以外としても使えるらしいから……」
「これ、中はどうなるの?」
「ん、自分で書くんだよ?」
シズクの質問に私は即座に返答する。
すると彼女はどこか呆然としながらその手の中にある無名の魔導書を眺めていた。
「自分で書く……」
そうか。この子はいつも読むばかりだったから、自分で書くという考えがなかったのかもしれない。
でも研究とかには興味があったみたいだから、自分で何かを書くことにも興味はあるはずなのだ。
「何でも好きに書いていいのよね?」
「もうヒバナとシズクのものだからね。自由に書いて? 後は魔力登録して名前を付ければ自分しか開けなくなるみたいだよ」
魔導書ではあるが、別にどんなものを書いた魔導書があってもいい。これらはこの子たちだけの魔導書なのだから。
流石にいきなりはハードルが高いかもしれないと思い、私は自分用に買っていた質素なノートを2冊新たに取り出してシズクとヒバナに渡す。
「まずはそれで書く練習をしてからでもいいかもね。最初は日記とかから始めてみるといいかも――」
「ユウヒちゃんっ!」
「うぇっ!?」
突然、大きな声を上げて立ち上がったシズクに私は驚かされる。
何事だと思っていると目をこれでもかとキラキラさせたシズクが魔導書と質素なノートを大事そうに抱きしめて私を見上げていた。
「あたし、これから毎日日記をつけるよ。それでこの魔導書も全部のページをいつかあたしの魔法でいっぱいにする!」
「全部って……それ、相当分厚いけど……」
「きっとできるよ……ううん、やってみせるよ!」
熱意に圧されていた私だったが、ここまでやる気を出してくれるとはあげた側としても冥利に尽きるというものだ。
だから私はこの喜びを笑顔に変えて応援する。
「うん、頑張って! 応援してるよ!」
「うん!」
そんな私たちにもう1つの魔導書を持ったヒバナが声を掛けてくる。
「まあ私はシズみたいに魔法で全部埋めることはできなさそうだけど……ちゃんと使うわ。私だけの魔導書なんだし、好きに書かせてもらうけどね」
そう言って微笑むヒバナに対して、私は頷いた。
すると彼女は立ち上がり、シズクの横に並ぶ。
シズクもそれに気が付くと2人は顔を見合わせて頷き合ってから私の方を向いた。
「ありがとう、ユウヒ」
「ありがとう、ユウヒちゃん」
彼女たちのまっすぐな瞳に見つめられると何だか込み上げてくるものがある。
「うんっ、どういたしまして」
だから私はこんな簡単な言葉しか返すことができなかった。
でも、ちゃんと伝わっている。私の想いも2人の気持ちも。
その後、彼女たちは自分の魔力を登録して己の魔導書に名前を付けた。
――『烈火の魔導書』と『激流の魔導書』。
2人の魔力により、深紅と紺碧に染まった魔導書の表紙にはそれぞれの名前が刻まれたのだった。
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