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遅かった。
俺に気が付いたあきらと目が合った。
俺を見つけ、俺の目の前の坂上さんを見て、あきらは進路を九十度変更した。向かうは下りのエスカレーター。競歩かと思うほどの速さで、遠ざかって行く。
「すいません! 連れが来たので、失礼します」
俺は深々と頭を下げ、駆け出した。
あきらを待ちながらナンパしていたなんて思われたくなかった。
「あきら!」
エスカレーター前の人たちが振り返るほど大きな声で、呼んだ。
あきらはギョッとして、エスカレーターに向かう列から抜けた。
「お前、歩くの早えーよ」
「そう?」
「つーか、なんで無視すんだよ」
「お取込み中のようだったから」
「ふざけんな」
俺はあきらの手を引き、反対側の上りのエスカレーターに向かった。
「どこ行くの?」
「車、屋上に停めたから」
「あの人、よかったの?」
「仕事先の店員で、挨拶しただけだから」
「ふぅん」
気のない返事。疑われているのはわかったけれど、ムキになるのは余計に怪しまれると思った。
「女子会、楽しかったか?」
「うん」
「さなえ、元気だった?」
「うん」
「そっか」
腹は減ってないとあきらが言ったから、コンビニで俺の分の弁当を買って、あきらのアパートに帰った。
あきらが俺の部屋にいるのも良かったが、やっぱりあきらの部屋が落ち着く。
「シャワー浴びてくる」
俺はテレビを見ながら弁当を食った。
たいして、面白い番組もなく、消した。
外を走るバイクの音が、すごく近くに感じた。雪が降り始める前の走り収めなのだろう。迷惑だ。
テレビ台の上に無造作に積まれた雑誌が目についた。
ホームセンターや百均なんかの家具やインテリア、収納用品を集めたものが二冊。その下には、物件の情報誌。
引っ越すのか……?
あきらの部屋は、二階建ての二階。ハッキリ言って、古い。セキュリティも何もないから、少し心配。
引っ越さないのかと何度か聞いたことがあるが、気に入っているから、と答えるだけだった。
就職を機に一人暮らしを始めたから、最初は収入も少なくて、安いアパートを選んだのはわかる。けれど、今となってはもっといいマンションに住めるだけの収入があるはずだ。
俺ですら、いい物件があったら引っ越したいと思っている。
まぁ、俺の場合は、会社とあきらのアパートの中間地点で勝手がいいからという理由で、引っ越せないのだけれど。
情報誌をペラペラとめくっていると、微かにスマホのバイブの音が聞こえた。俺のは、テーブルの上。あきらのスマホがソファの上にあった。
あきらはよく、スマホを放り投げて、どこにあるか分からなくなる。
ちょっと鳴らして、なんてよくあること。
俺はあきらのスマホをテーブルの上に置いた。再び、ブーッと震えた。
手帳タイプのケースを開くと、画面にポップアップが表示された。未読のメッセージが三件。
全て、勇太、からだった。
『会いたい』
『話がしたい』
身体が熱くなる。
脳が沸騰しそうだ。
あんなにあきらを傷つけておきながら、結婚して子供もありながら、どの面下げて連絡してるのか。
怒りに任せて、スマホをきつく握り締める。俺が自分の感情に振り回されるのは、いつもあきらのこと。
好きで、好きで、堪らない。
苦しくて、苦しくて、堪らない。
「龍也?」
顔を上げると、バスタオルで髪を拭きながら、あきらが俺を見下ろしていた。
ゆるゆるの色褪せた赤いTシャツにふくらはぎまでのスウェット。いつもの部屋着。
勇太の前でも、こんな格好でいたのか。
バカバカしい嫉妬だ。
十年も付き合っていたのだから、当然じゃないか。
それでも、やっぱり、嫌なものは嫌。
あと何度あきらを抱いたら、勇太を超えられるのか。
「引っ越すのか?」
「え?」
俺は開いていた雑誌を閉じた。
「ああ……」と声を漏らして、あきらがソファに座った。
「いい物件があったら、ね」
「どうして、急に?」
「別に? 気分転換?」
「どうして、今?」
おかしなことを聞いている。
けれど、頭の中でおかしな考えが膨らんで、あきらにその考えを消してもらいたかった。
「勇太に会ったからか?」
「え――?」
俺はあきらにスマホを返した。
開かれたスマホのボタンを押し、表示されたポップアップを見て、あきらはテーブルに置いた。
「そうかもね」
ムカついた。
俺の気持ちを知りながら、あきらの中に勇太が居座っていることをほのめかすなんて。
「なんだよ、それ……」
「この部屋、勇太も知ってるし」
「だから?」
「別に……」
なんだよ、それ!
「髪を切った理由も勇太。引っ越す理由も勇太、かよ」
「え?」
「あんなことされて! 別れて四年も経ってんのに! まだ、あいつに振り回されるのかよ!」
わかっている。
あきらが引越しを考えているのは、勇太に訪ねて来られたくないから。
あきらが勇太に未練なんて微塵もないことはわかっている。
けれど、良くも悪くも、勇太があきらを動かすんだと思ったら、堪らなかった。
「一緒に暮らそう」
「は――っ?」
「勇太には、会わせない」
最低だ。
わかっている。
それでも、現在、あきらの目の前にいて、触れているのは俺なのだと、わからせたかった。
両手であきらの首を引き寄せ、乱暴にキスをした。顎を引き、唇を開かせ、舌をねじ込む。同時に彼女のTシャツの裾をめくり、伸縮性のある下着の中に手を滑り込ませた。親指と人差し指で先端を摘まみ、くりくりと回す。
あきらが俺の肩を、両手で思いっきり押したが、俺はやめなかった。
四年前、あきらは泣いた。
勇太に傷つけられて、俺のシャツがべちゃべちゃになるほど。子供のように嗚咽を漏らして。疲れて眠るほど。
それから、あきらの泣き顔を見たことはない。
涙が枯れるほど、泣いたのだろう。
あんな目に遭っても、亡くした子供のことを勇太には言わなかった。
それは、それほどあきらが勇太を好きだったということ。
本当に、好きだったということ。
長かった髪を切って、好きでもない俺に抱かれてまで、忘れたいと願うほど。
俺も、あきらに愛されたい――。
醜い、嫉妬だ。
唇は離さなかった。
あきらの声で拒絶されたくなかった。
俺はあきらのスウェットの中に手を突っ込んで、脚の間に指を押し付けた。いつもならすぐにぷっくり勃ち上がる膨らみを擦る。
「んーーーっ!!」
あきらが俺の肩を拳で叩く。
やめるつもりはなかった。
スウェットとショーツを一緒に彼女の足から引き抜き、自分のベルトを外す。焦っているせいか、片手ではうまく外せず、彼女の首を押さえていた手を離した。
「いやだっ――!」
途端に、正面からあきらの足が飛んできた。足の裏で胸のど真ん中を蹴られ、両手をベルトにかけていた俺は、なすすべなくひっくり返った。ゴンッと鈍い音を立てた。
「いってぇ……」
痛みに耐えながら目を開けると、すぐ真横にテレビ台があった。数センチ違っていたら、台の角に頭をぶつけて、病院行きだったかもしれない。
「さい――ってい!!」
その通りだ。
ブオンッとバイクのエンジン音が聞こえ、ようやく我に返った。
そうしたら、あとはもう、自己嫌悪の底なし沼。
「あきら――」
「帰って!」
あきらは片足にしがみついていたショーツとスウェットにもう片方の足を入れ、引き上げた。ぐちゃぐちゃにめくり上がったTシャツを直す。
「ごめ――」
「出て行け!!」
あきらの目から、雫がこぼれた。
こんな風に、泣かせたかったわけじゃない。
「あきら……」
「大っ嫌い!!」
あきらの首筋が赤くなっているのが目に入った。俺が掴んだ痕。
俺が、あきらを傷つけた――――。
妊娠の可能性がないからと、あきらを性欲の捌け口にした男と、同じことをしようとした。
もちろん、理由は違う。
俺は性欲の捌け口なんて考えたこともない。
けれど、したことは同じだ。
あきらの気持ちを無視した。
大切にしたかったのに――!
「あきら、ごめん……」
「……」
恐る恐る彼女の顔に目を向けた。あきらは両手で自分の身体を抱いて、俯いている。
好きだ、と言いたかった。
愛している、と言うべきだった。
が、今の俺に、そんなことを言う資格はない。
俺は、間違えた――。
伝えられない想いを抱えたまま、俺は逃げ出した。