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#主人公目線
征也に失恋してから二週間が経つ。それまでは十日に一度くらいのペースで彼のカフェに顔を出していたが、さすがに足が向かないでいる。
こんなふうに会わない時間が増えていくにつれて、これまでの彼への想いは徐々に鎮まり、懐かしい思い出に変わっていくはずだと自分に言い聞かせながら、また、なかなか塞がらない傷を労わりながら、私は日常を過ごしていた。
塚本から連絡が入ったのはそんなある日のことだ。帰宅した途端、スマホが鳴った。連絡先を交換してから少々間が空いていたから、私の誘いはあのまま忘れ去られてしまい、結局は彼と疎遠になるに違いないと思い始めていた矢先のことだった。用件は食事に行く話だろうと予想し、これであの日の借りをようやく返せるとほっとする。
「もしもし、遠野です」
私はやや緊張しながら、彼からの初めての電話に出た。
緊張していたのは塚本も同じだったようだ。電話の向こうで一瞬の間が空いた後、やや固い声が返ってくる。
『こんばんは。塚本です。今、大丈夫だった?』
「うん、大丈夫よ。ついさっき家に帰ってきたところだったから」
『そっか。お疲れ様』
そこでやや間が空いた。
いい年をした大人同士がもじもじしながら電話している図が、ふと頭に思い浮かんだ。なんておかしな光景かと苦笑した時、調子を取り戻したらしい塚本が口を開く。
『ところで今、少し話せる?この前遠野さんが誘ってくれた食事の件で電話したんだけど……。あ、というか、その話って、まだ有効?』
「もちろん有効よ。なかなか連絡が来なかったから、むしろ塚本さんに忘れられてしまったのかしら、って思っていたところよ」
私はわざと皮肉めいた言い方で返した。
塚本は拗ねたように、しかし笑いながら言葉を返してくる。
『心外だな。俺が遠野さんとの約束を忘れるわけないでしょ。それで早速本題なんだけど、次の土曜の夜はどうだろう。この間堀田さんから、二人の会社の休みは土日だって聞いたんだ。その日、遠野さんの予定は空いてる?』
私はカレンダーに目をやった。その日は何の予定もない。私にとっては借りを返すための食事だから、早めの方がいい。
「えぇ、空いてるわ。じゃあその日にしましょうか」
ほっとしたような塚本の息遣いを感じる。
『店は俺が選んでもいいかな?』
「別にいいけど……」
『取引先の人から最近教えてもらった店があってね。駅前にあるイタリアンの店なんだ。どうかな』
願わくば、私の支払い能力を超えない店であってほしいと密かに思いながら承諾する。
「もちろん構わないわ」
『じゃあ電話を切ったら、予約できるか聞いてみるね。時間は七時頃からで大丈夫?』
「えぇ」
『予約が取れたら連絡するよ。もしも取れなかったら、その時はまた別の店を考えよう。その場合も、俺に任せてもらっていい?』
そもそもの目的は、彼に迷惑をかけてしまったことへの詫びと礼だ。私が全てセッティングすべきなのではないかと、彼に任せることをためらう。
「お願いして、いいのかしら……」
『いいよ、全然問題なしさ。俺、こういうの好きだから』
「そうなの?そうであれば、すみませんけど、よろしくお願いします」
『了解。じゃあ、また連絡する。週末、楽しみにしてるよ』
「うん。週末に」
塚本との通話を終えて、スマホのスケジュール表に予定を書き込んでから、あることにふと気がついた。
私は今まで、身内以外の男性と二人だけで食事に行ったことがない。それは、相手がそこに何かを期待している、していないに関わらず、これまで男性から誘われたことが皆無だったという意味ではない。
私はずっと征也一筋だった。だから、期待が見え隠れする誘いはもちろんだが、それでなくても征也に少しの誤解も与えたくないという理由で、異性と二人きりで会う状況をすべて避けていた。
塚本との食事は自分から誘ったものだし、そこに色気ある理由はお互いにない。それでも、自ら作り出した約束ではあるが、私史上初めてとなる状況にどうにも落ち着かない気分になった。
塚本からはその日のうちに、予約が取れたと連絡が入った。何度かメッセージをやり取りし、店の名前を教えてもらい、改めて待ち合わせ時間を確かめる。
ネットでその店について調べてみたところ、店内はおしゃれな雰囲気で、口コミには、女子会はもちろん『デートにもぴったり』、などという書き込みが多かった。
それを見た私の中に、そんな店に塚本と一緒に行ってもいいのだろうかと躊躇いが生まれた。しかし、塚本はその店に行くのを楽しみにしているようだったし、もっと気軽に入れそうな他の店に変えようとは言い出しにくかった。
それならばせめてと、店の雰囲気の中で自分だけが浮いて見えないように、また、端正な容姿の彼の隣にいてもあまり違和感なく見えるように、私もそれなりの格好をした方がいいだろうと考えた。
そしてやってきた当日は、自分としては、今までの中で恐らく最も綺麗めだと思われる装いをした。何かの時にと買ったものの、なかなか出番が訪れなかったワンピースを身に着け、前回の冬のボーナスで買ったダイヤのピアスとネックレスで顔周りを飾り、どきどきしながら部屋を出た。
店に着いた私は、出迎えてくれた店員に、塚本の名で予約してある旨を告げた。
すぐに案内された席にはすでに、塚本の姿があった。スーツではないが、ジャケットを羽織っている。以前仕事帰りに会った時とは違い、ややカジュアルな出で立ちは、実年齢よりも若く見える。
私に気がついた彼は、驚いたように目を見開いていた。
「こちらのお席にどうぞ」
店員に促されて、私は椅子に腰を下ろした。ずっとこちらを見ている塚本の視線に緊張する。
「あの……。どこか変かな」
店員が離れて行ってから、私はひそひそ声で塚本に訊ねた。
しかし彼は私を見たまま瞬きを繰り返し、何も言わない。
私の今日の装いについてどう答えたらいいものか、迷ってでもいるのだろうかと不安になった。この格好は気合が入りすぎていたかしらと後悔が生まれ、私は言い訳を口にする。
「ネットで調べたら、ここっておしゃれな店みたいだったから、こういう格好の方がいいかと思ったんだけど、ここまでは必要なかったかしらね。失敗しちゃったみたい。あはは……」
すると塚本は我に返ったような顔をして、私の言葉を否定した。
「違う違う。やっぱり遠野さんはきらきらしてるな、って思って見入ってただけだよ。すごく似合ってる。可愛いよ」
「か、可愛いっ?」
彼の言葉に顔があっという間に熱くなった。その熱を冷まそうとして、私は手でぱたぱたと顔を仰ぐ。
「や、やだなぁ。来年三十になる女に可愛いはないでしょ」
「年なんて関係ないよ。可愛い人は可愛いんだから」
真顔でそんなことを言う塚本に私は戸惑う。
「まさかとは思うけど、もう酔ってたりするの?ここに来る前に、飲んできたりとか?」
「え?どうして?飲んでないよ」
「本当に?」
「本当だよ」
断言する彼に私はため息をつく。
「素面でそんな調子のいいこと言うなんて、ほんと、中学の時とは別人よね」
思い返せば、彼が元同級生だったことに私がまだ気づいていなかったあのランチの日も、彼は今のような調子だった。後日彼はその時のことを、私との十数年ぶりの再会に緊張して舞い上がったせいだと弁解した。
もしかしたら、今もそういうことなのだろうかとふと思い、私は彼に訊ねる。
「まさかとは思うけど、今、緊張してたりする?」
塚本は照れたように笑う。
「やっぱり分かる?だって遠野さんとこんな風に二人で食事だなんて、嬉しいし緊張もするって」
「大げさすぎるわ」
彼の言葉が本心からくるものなのか、それとも単なるリップサービスなのか、いったいどちらなのか、判断がつけられない。しかし少なくとも、彼は私との時間を喜んでいることは本当だと思えて、私は小さく微笑んだ。
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