テラーノベル
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再建が進み、平和の兆しが見え始めた王都。
かつての喧騒は消え、人々の顔には穏やかな笑みが戻っていた。しかし、その穏やかさの裏側で、静かに、だが執拗に元貴を追い詰める影が潜んでいた。
事の始まりは、元貴の枕元に置かれるようになった、季節外れの青い薔薇だった。
「……また、置いてある」
元貴は、寝室の窓際に置かれた一輪の薔薇を手に取り、微かに眉をひそめた。その花には、元貴の慈愛の術とは異なる、どろりとした執着を感じさせる魔力が絡みついていた。
最初は、熱心な崇拝者からの贈り物だと思っていた。だが、それは次第にエスカレートしていく。
公務から戻れば、愛用の筆記具が消えている。夜中にふと視線を感じて窓の外を見れば、闇の中にうごめく人影がある。そして何より、元貴が一人で街へ出た際、常に背後から聞こえる、ぬらりとした足音。
「ひろぱには、言えないな……」
元貴は、自室の机の下に隠した数通の手紙を見つめた。そこには、歪んだ文字で「君は僕だけの神だ」「あの男から君を奪い返してあげる」という、おぞましい言葉が並んでいた。
今の平和を壊したくない。何より、自分のために再び剣を握り、返り血を浴びる滉斗を見たくなかった。
だが、異変はすぐに滉斗の知るところとなる。
「最強の盾」として元貴の全てを見守ってきた滉斗にとって、元貴の僅かな顔色の変化や、夜中にうなされる声を見逃すはずがなかった。
「……元貴、隠しごとはよせ」
ある夜、執務室で。滉斗は元貴の手首を優しく、だが逃がさない強さで掴んだ。
「何のこと? 僕は大丈夫だよ」
「嘘をつくな。……お前の周りの空気が、淀んでいる。俺が気づかないとでも思ったか?」
滉斗の瞳に、かつての氷のような鋭さが宿る。元貴は観念したように、隠していた手紙と、消えぬ足音の恐怖を打ち明けた。
語り終えた瞬間、部屋の温度が急激に下がり、窓ガラスに霜が降りた。
「……そいつは、どこにいる」
低く、地を這うような滉斗の声。それは、最愛の者を害そうとする者へ向けられた、絶対的な殺意だった。
決着は、霧の深い満月の夜に訪れた。
元貴がおとりとなり、一人で庭園を歩く。背後から、期待に震える狂信者の影が音もなく忍び寄る。
「やっと二人きりだ……。あんな氷の男、君にはふさわしくない。君を傷つけない世界へ連れて行ってあげる」
男が、元貴の首筋に手を伸ばそうとしたその瞬間――。
世界が、一瞬で凍りついた。
「……その汚い手で、私の妻に触れるな」
男の背後に、影のように滉斗が立っていた。
抜かれた氷剣からは、絶望的なまでの冷気が溢れ出し、男の足元を瞬時に地面へと縫い止める。
「若井……! 貴様、なぜ……!」
「お前の死に場所を、俺が選んでやっただけだ」
滉斗は、怯える男の喉元に刃を突き立てた。かつて国を滅ぼしかけた軍神の威圧感に、ストーカーの男は恐怖で声も出せない。
「ひろぱ、待って!」
元貴が駆け寄り、滉斗の腕を掴む。
「……殺さないで。そんな人のために、君の手を汚してほしくない」
「元貴、だがこいつはお前を……」
「わかってる。でも、僕たちの国に、もう死体はいらないんだ。……ねえ、お願い」
元貴の悲しげな瞳に見つめられ、滉斗は深い溜息とともに剣を収めた。だが、その瞳の奥の冷気は消えていない。
「……命だけは助けてやる。だが、二度とこの国の地を踏むな。もし次があれば、お前の存在そのものを、一欠片の記憶も残さず凍らせてやる」
滉斗が指を鳴らすと、男を縛っていた氷が砕け散り、同時に男の意識を刈り取るほどの衝撃波が放たれた。男はそのまま衛兵たちに引き渡され、永久追放の刑に処されることとなった。
騒動が終わり、静まり返った庭園で。
震えの止まらない元貴を、滉斗は強く、壊れ物を扱うように抱きしめた。
「怖かっただろう。……すまない、俺がもっと早く気づいていれば」
「ううん。……守ってくれて、ありがとう。やっぱりひろぱは、僕だけの騎士だね」
元貴は、滉斗の胸に顔を埋め、ようやく安堵の涙を流した。
滉斗はその背中を撫でながら、心に誓う。この温かな体温を脅かす者は、神であれ悪魔であれ、自分の剣で全て排除してみせると。
「元貴。……明日からは、トイレに行く時も俺が付いていくからな」
「それは……ちょっとやりすぎだよ、ひろぱ!」
不器用な守護者の極端な提案に、元貴は困ったように笑った。
何年経っても、二人の愛は変わらず、少しだけ重すぎるほどに、この国を温めていた。
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