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正直、繊細で精巧な人形を作るにはお金がかかる。そんな金のかかる人形を、数年前まで私は好んで作っていた時期があった。自分の腕前に溺れ、自惚れ、賛美を受ける事を当然としながら、だけど誰に分け与える訳でも無い人形達を作り続けていた。
そうなると当然、金銭的問題が出てくる。
作品として発表する程度の人形では、得られる金銭の額はたかが知れているからだ。
『私は、もっと人形を作りたい——』
そんな感情に支配され、没頭し過ぎてしまい、目の前に積まれた大金を前に二つ返事で作ってしまった、数体の人形達。 作る時の絶対条件として『誰にも見せない』と約束させたのに——何故?
困惑した眼差しで彼を見ていると、ロイさんが笑顔のまま力強い声で言った。
「カミーリャ家の……椿財閥の力を舐めてもらっちゃ困るな。僕に出来ない事は、一つしか無いんだよってさっきも言ったよね?」
彼の顔は『笑顔』という形をとっているのに、その奥に暗い闇を感じてしまい体が固まる。
「『公表はしない』という約束で数体の人形を作ったよね。彼等にとって最愛の女性だった人に似せた、等身大の人形を」
「……あ、あれは全て、失敗作だ」
『あの子達』の事は、思い出しただけでもイライラする。どうしてもと頼み込まれて仕方なく作った作品達だったが、私はあの子らを作った事がきっかけで人形を作る事を止めたのだから当然だ。
「失敗作じゃないよ。持ち主はとても喜んでいたしね。今でも彼等は、芙弓ちゃんの作った人形をとても愛しているんだから」
『とても愛している』
その言葉が耳の中で響き、忘れてしまいたい記憶が私の中で鎌首をもたげた。
「うぐっ……」
ロイさんの言葉に吐き気がし、私は手で口元を押さえた。
「大丈夫かい!?何か袋は——」
彼が周囲を見渡し、部屋に落ちているビニール袋を手に取った。
「これに吐くといいよ」
袋を広げ、私の口元に近づけてくれる。吐き気で身体を丸めた私の背中を、布団の中に手を入れまでしてロイさんが撫でてきた。
「……あの人形の事は本当に禁句だったみたいだね、ごめんよ」
本当に心配してくれているのか、ロイさんが此処に来て初めて申し訳なさそうな声で言ってくれた。
「大丈夫?水でも取ってくる?」
「いえ、そこまでは……」
演技でやった行為ではなかったのだが、これで人形の事は諦めてくれるだろう。そう思うと少し気持ちが落ち着き、そのおかげか吐き気がさっきよりは治まってきた。
なのに、だ——
「じゃあ、僕にもあのレベルの人形を作って欲しいな。この吐き気が無くなったらさ」
明るく弾むような声で、ロイさんはハッキリとそう告げた。
(わ、わざとなのか!?その声は!)
イヤでも声が大きくなる。
「えー、作ってくれないとイヤだなぁ。その為だけに、仕事全部みーんな押し付けて来たのに」
「イヤだろうがなんだろうが、私もイヤなんです。もう人形を作るのは」
「絶対に気に入る題材を持って来たのに。知りたい?知りたいよね?僕がどんな人形を欲しいのか」
彼は身体を軽く左右に揺らし、一人だけなんだかやけに楽しそうだ。
「知りたくないですから。作らないのに題材を聞く意味なんて無いですし」
しかめっ面で答えたが、ロイさんは笑顔のままだった。
「僕が欲しい人形はね——」
ロイさんが欲しがる人形の題材が簡単に想像でき、聞きたくないという気持ちで頭がいっぱいになってくる。
そう叫び、私は布団の中に完全に身を隠した。
「雪乃の人形が、僕は欲しいんだ」
布団越しに、私の耳のありそうな位置をわざわざ探したのか、ロイさんの囁く声がはっきりと聞えてきた。
分かっていた。 彼が『人形が欲しい』と告げた時点で、絶対にそう言うだろうって。 『雪乃の人形が、僕は欲しいんだ』と、 耳に入ってきた言葉に対して私は『あぁやっぱりな……』としか思えなかった。
だって、彼は実の妹である雪乃の事を、とても愛しているのだから——
ロイさんが妹想いである事は、会う機会の無かった二十年の間に雑誌やテレビなどで彼を観ていてるだけでもすぐに分かった。実際に彼等の家で二人のやり取りを見ていた時も、子供ながらにそう感じていたし。雪乃とネット経由でのやり取りをしていても、兄である彼の事はよく話題になっていたから余計にだった。
内容が常軌を逸している事が多く、話の九割が兄の愚痴なのだが、ロイさんが本当に雪乃の事を好きなのだという事がイヤでも伝わってきた。彼女の方はそうでも無い様だったが、ロイさんの方は、『兄』が『実妹』を想う気持ちよりももっと深い気持ちが見え隠れして、ザワッと背筋に寒気を感じる事もしばしばあったくらいだ。
「……実妹の人形が欲しいなんて、気持ち悪い」
布団の中で、私はぼそっと呟いた。
「『気持ち悪い』だなんて、僕がそうお願いする事は分かっていただろうに。芙弓ちゃんは言葉がキツイなぁ」
聞えたんだ。布団越しだし、声なんてくぐもっていて聞えないと思ったのに——と、私は心の中で呟いた。
「作ってくれるよね?僕の頼みなんだから」
(何処から来るの?その自信と確信は!)
「イヤだって、もう何度言ったかも分からないくらいに、断ってますよね?」
「うん。でもその言葉は受け入れられないな。だって、ずっと欲しかったんだもん。芙弓ちゃんの作った人形が」
この人の言う事は、発想が子供と一緒だ。
『欲しい』としか考えていない。
「何度でもお願いするよ、芙弓ちゃんが作ってくれるまでね」
「何度言われても、作る気は無いです」
布団の中で私は、彼にも分かる様に大きく首を横に振った。
「じゃあ、首を縦に振ってくれるまで、ずっと芙弓ちゃんの家に僕が居るけど、いいよね?」
私は大きな声を上げながら布団の中から顔を出し、驚きに見開いた目でロイさんの顔を見た。仕事で毎日毎日忙しいくせに何を言ってるんだこの人は。
「作ってもらえるまで、芙弓ちゃんの傍にずっと居るよって言ったんだよ。布団越しで聞えなかったのかな?」
「無理に決まってますよね!?」
家族でも無ければ、付き合ってもいないのにずっと傍にとか……何を言っているのか理解出来ない。第一、仕事はどうする気だ。
「この為だけに数年ぶりの長期休暇も取ったんだよ?何か手伝える事があるんじゃないかなって思ってね」
「『この為だけに』って……人形は作らないんだから、仕事に戻ってもらえませんか!?」
「無理だよー。雪乃の人形を作ってもらえるまで、僕は君から一生かかろうとも離れないつもりだからね!」
「なっ。……さっきからアンタ、自分の発言の意味解っててしゃべってんの!?」
信じられない言葉に、思わず素が出てしまった。
「あははは!自分の発言の意味が解らないほど、僕はお馬鹿さんじゃないよー」
楽しそうに笑うロイさんとは間逆に、私の顔は一気に蒼白に変わっていく。
「全っ然解ってない!絶対にアンタは何もかも解ってないって!!一生傍にって……付き合ってもいない女に言っていい言葉じゃないですよ!ばっかじゃないの!?」
「言葉遣いがぐちゃぐちゃになってるよー。芙弓ちゃんは、意外と面白い子だったんだね」
叫び声をあげる私の頭を、子供をあやすかのような仕草でロイさんが撫でる。私はその手を勢い任せに払い除けた。
「返事になってないって!」
「返事が欲しいのかい?解った!じゃあ僕達付き合っちゃおうか。それなら一生傍に居ても問題ないだろう?いや、結婚しないと『一生』は世間体があるか……。よし、じゃあ僕達結婚しよう!」
私にとっては重い発言を軽いノリでロイさんが楽しそうに笑いながら言った。それを聞いた瞬間、火山噴火を彷彿させる程に沸き立つ怒りで一気に私の頭に血が上り、部屋の中にバチンッと大きな音が響いた。その弾みで彼のかけていた眼鏡が外れ、ベッドに落ちる。
怒りが爆発し、頭で考えるよりも先に、私はロイさんの頬を平手で叩いてしまっていた。苛立ちからそれ以上声も出せずに肩を震わせていると、彼は少しだけ驚いた顔で、徐々に赤くなっていく自分の頬をゆっくりとした仕草で押さえた。