「はは、さすがに痛いや」
頬を押さえ、ロイさんが笑いながら言った。そりゃそうだ、目一杯叩いてやったんだから。
(なのにお前は笑顔のままって……変態なの!?)
「んー。でもこれじゃ仕事にはしばらく行けないね。どうしてもーって言うなら仕事に戻ろうかな?とも少しだけ考えてたけど、完璧に無理になちゃったから、しばらく此処に居るね!」
「——んな!?」
目を丸くしながら、私は完全に言葉を失った。それと同時に頭で響く『してやられた!』の一言。もう私に叩かれる事すら彼の想定の範囲だったとしか思えない。
「それとも、暴行罪で訴えちゃった方がいいかい?いい弁護士が友人にいるからお願いしちゃおうかな。『賠償金代わりに、芙弓ちゃん自身を差し押さえてよ』ってね」
楽しそうに言いながら、ロイさんは私の鼻先をつんっと突いてきた。
「まぁ、そんな訳だから今日からしばらーくよろしくね♪芙弓ちゃん」
にこやかな笑顔でそう言うと、今度はロイさんが布団越しに私の腰へ横からぎゅーっと抱き付いてきた。
恥ずかしさと嫌悪感とが入り混じった、可笑しなトーンの悲鳴が口から出た。
「裁判所でも警察でも何にでも訴えていいですから!とにかく帰ってぇぇ!!」
ロイさんの頭をぐぐっと手で押して、私は涙目になりながら訴えた。
「あははは!全力で拒否されるのって僕、すっごく大好きなんだよね!!」
明るく変態発言をするだけで、全然私の腰から腕を離してくれようとしない。絶賛引き篭もり中の身なせいで今日も昨日どころか一昨日すらもお風呂に入っていないし、顔も洗ってなければ着替えだってしてないっていう最低で最悪な状況なせいか、火事場の馬鹿力的に押す手に力が入る。……だがそれでも性別の差には抗えず、ロイさんを引き離せる様な気配はまるでなかった。
「雪乃の人形を、作ってくれたらねー」
「他の事なら何でもするから、それだけは嫌ぁ!」
親友の事が過剰に好きな兄の為に、親友のリアルな人形を作るだなんて、考えただけでも気味が悪く、全身全霊で抵抗し、ひたすら叫ぶ。すると「——本当に?」と言いながらロイさんの腕から少しだけ力が抜けた。それと同時に湧く後悔の念。
(マズイ……絶対にこの人は無理難題を押し付けてくる!)
本能的にそう感じる。
「じゃあ、僕のお休み中は此処に居るね」
「に……人形は作らないのに、アナタが此処に居る意味なんか無いって何度も言ってますよね⁉︎」
必死過ぎて声が裏返った。彼の腕から力が抜けているうちにと死にもの狂いで抵抗を続けるが、やっぱりロイさんを自分から引き離す事が出来ない。
「だってぇ、一緒に居て、毎日お願いし続けていたら、芙弓ちゃんの気が変わるかもしれないだろう?だからずっと此処に居て、お願いし続ける事に決めたんだ」
「それって凄く矛盾してません!?作らない代わりに、他の事をって話のはずですよね?」
納得が出来ない、出来るはずがない。
「やだなー、そこは気が付いちゃ駄目な部分だったのにぃ」
終始楽しそうに笑い続けるロイさんの態度に、自分の中で不快感と怒りが再度頂点へ達しそうになるのがハッキリ分かる。
「離して!もう何もアンタの言う事なんか聞かないんだから!!」
「怒ってるねー、そんな君も可愛いなぁ。五歳の女の子みたいで」
語尾にハートマークでも付いていそうな声色でロイさんが言った。
「可愛くなんかない!髪も肌もボロボロで、パジャマ姿でキーキー言ってる女を可愛いなんて言うのはアンタくらいなもんだっ」
「あ、そういえば。声、出るようになってきたね。僕のおかげかな?」
「話を逸らすな!」
「分かった!芙弓ちゃんも認める程、君の事を可愛くしてあげれば、僕の言った言葉は本当だって納得してくれるよね?」
そう言い、やっと腰に抱き付いていた腕を離してくれたかと思うと、ロイさんは周囲を軽く見渡し、「あ、これでいいや」と言いながらベッドの上にあった薄手のタオルケットに手を伸ばした。『今度はいったい何を?』と問う間も無く、ロイさんは私の布団を隠し芸のテーブルクロス抜きの様なスピードで剥ぎ、タオルケットをかけてきた。それで体を包んで、私をす巻状態にして軽々と持ち上げる。
「か、軽いなぁ……ここまで軽いとは全然全く思っていなかったよ。コレ死亡フラグレベルだよ?」
乙女の憧れ『お姫様抱っこ』——のはずが、自分はす巻状に拘束されているのと相手のせいで、ちっともドキドキなんかしない。
真っ赤なんだか、青ざめてるんだか分からない表情で、私は叫んだ。
「だってー、流石にこれから外へ連れ出す女性を荒縄で縛る訳にはいかないだろう?まぁ、恥ずかしながらそっちも大好きだけどね」
照れながらの変態発言にゾッとする。
「アンタの性癖なんかどうでもいいんだ!」
(ん?……ちょ、待って。今連れ出すって——まさかこの格好で?)
「無理無理むーりぃぃー!パジャマ姿の女を外に連れ出す男がどこに居るっていうの!!」
「ここー」と、ロイさんが爽やかな笑顔で答える。
「ホント、勘弁して!それだけは許してっ」
叫んでいる女が此処に居るというのに涼しい顔をした見知らぬ黒スーツ姿の男性がいつの間にか私室のドアを開け、私達を廊下に促す。
「あれは嫌、これも嫌じゃ交渉には応じられないなぁ」
「アンタも交渉する気なんか更々無いじゃないか!」
もうこうなったら、アンタから逃げる事が出来るなら床に落ちてもいい!と、私はロイさんの腕の中で激しく身体を動かした。そのせいで階段を下りて行く彼の足取りが少しふらついた。
「暴れたら危ないよ?」
ロイさんの顔から笑顔が少し薄れ、困っているような雰囲気に。
「流石に女の子を落っことしちゃったら格好悪いから、芙弓ちゃんにはちょーっと黙っていてもらおうかな?」
そう彼が言ったかと思うと、私の目の前が一瞬で暗くなり、唇に生暖かい感触がおちてきた。ふんわりと柑橘系の香りが鼻孔をくすぐりカサつく唇に柔らかい温かさを感じる。
現状を理解する事を拒むかの様に思考が停止し、徐々に私の目が無駄に大きく開かれていった。
「よし!静かになったね。今のうちに車に乗っちゃおうかー」
ロイさんの声がどこか遠くに聞える気がする。魂が抜け落ちたかの様に私の体からは気力どころか抵抗する気持ちすらも無くなってしまった。そしてこれが、私の初めてのキスになってしまった事を、この時点では気が付く事が出来ないでいた。
(驚き過ぎてフリーズとか……私は鹿か?)
そう思ったのすらも随分後の事だった。
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