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季節は冬。けれど、空は高く澄んでいた。
赤葦京治は、駅前のベンチに腰掛けて、手帳を開いた。
開いたページには、ぎっしりと文字が並んでいる。
──「木兎さん、今日は青いマフラーをしていた」
──「練習のあと、自販機のコーンスープをこぼした」
──「“俺って最高にかっこいいよな!”って言ってた」
一つ一つが、木兎光太郎という人間の痕跡だった。
赤葦はそれを、毎日書き留めていた。
もう、彼がこの世界にいないことを、脳は理解している。
でも、心はどうしても追いつけない。
⸻
葬儀の日、空は妙に晴れていた。
「らしくないですね、こういう時にまで晴れるなんて」
誰かがそう言って笑った。
赤葦は答えなかった。ただ黙って、空を見ていた。
木兎光太郎がいなくなった世界は、驚くほど静かだった。
練習後に飛び跳ねる声も、誰よりも早く駆け出す足音も、全部、消えた。
代わりに残ったのは、余白みたいな日常だった。
でも、不思議なことに、赤葦は泣かなかった。
「泣いたら、本当に“終わり”な気がして」
そう言って笑うと、先生に心配された。
⸻
時間だけが、恐ろしく正確に流れていく。
木兎の好きだったカフェは春に閉店した。
体育館は今、別の部活が使っている。
卒業して、もう何年も経った。
けれど、赤葦の手帳は今日も更新されている。
──「木兎さんなら、ここで“飛べ!”って言うな」
──「木兎さんなら、あの子に声をかけてる」
──「木兎さんが、いない」
ページの端に、初めて涙の跡がにじんだ。
⸻
「……赤葦?」
ふいに、風の音がした。
いや、違う。風じゃない。
彼の耳が覚えている、あの、明るくて、まっすぐな声。
「おーい! なに一人でしんみりしてんだよ!
俺がいるときみたいに、もっとテンション上げていこうぜ!」
振り返っても、誰もいない。
でも、不思議と寂しくはなかった。
赤葦はそっと目を閉じた。
「……はい。了解です、木兎さん」
静かな空が、少しだけ騒がしくなった気がした。
それは――たぶん、心の中でずっと生きてる誰かの声。