龍本が、ここ最近組に来ていない。
その事は、組員全員が知っていた。
現在、河内組は同じ花宝町に事務所を構える組と争っている。その敵幹部の暗殺に抜擢されたのが龍本だった。
阿蒜「あれから連絡ないっすね…大丈夫なんでしょうか?」
鮫洲「龍本の兄貴を信じろ。大丈夫に決まってんだろうが」
相手は武闘派組織の幹部。百戦錬磨の龍本とはいえ、少なからず皆心配していた。
阿蒜「龍本の兄貴もそうなんですけど…」
そう言って阿蒜は後方のソファーの方を振り向く。
阿蒜(本当は、あなたが一番心配ですよね。…伊武の兄貴)
逞しい黒馬のような背中を、不安げに見つめた。
龍本の兄貴と伊武の兄貴が付き合っている。
その事もまた、組員全員が知っていた。恋人がヒットマンに抜擢されれば、誰だって心配する。皆がそれを分かっているから、無駄なことを言うわけにはいかなかった。
数日後―、事務所の電話が鳴った。
組員A「もしもし?…はい…はい……えっ!?…分かりました、すぐに上層部に連絡します!」
受話器を半ば振り下ろすように置く。
眉済「どうした?」
組員A「龍本の兄貴が…!銃で弾かれて意識不明だと!」
阿蒜「えっ!?!?」
伊武「!?…」
その知らせには、誰もが驚きを隠せなかった。
眉済「分かっていると思うが、今回の計画は中止だ。しばらくは誰も動かねぇように」
動揺に包まれる組員達に向け、眉済はこう告げたのだった。
阿蒜「龍本の兄貴…」
龍本が心配だった。それよりも、予想を超える“死”というものの身近さに、阿蒜は鳥肌が止まらなかった。
伊武「…蒜…阿蒜」
阿蒜「あ…はい」
伊武「気を抜くんじゃねぇ。今回の作戦が失敗したとはいえ、まだまだ仕事は多いからな」
阿蒜「はい…すみません」
それから一ヶ月ほどが経った、ある日のこと―。
阿蒜「…は…?え…?!」
龍本「よう、阿蒜」
阿蒜の目の前に2メートルはあろうかという大柄な体格の男が立っていた。腕のタトゥーが力強いその男に、阿蒜は見覚えがあった。
阿蒜「た…龍本の兄貴?!…大丈夫だったんですか?!」
龍本「おー。一度死にそうになったけどな、あんな仁義外れのチャカごときで、俺は殺れねぇよ」
そうだ…やっぱりこの人は強ぇ!
阿蒜が口角を緩めたとき―誰かが強く袖を引っ張った。そのまま物陰に引きずり込まれる。
阿蒜「うぉあっ?!…えっ…?…」
引きずり込まれた方を見ると―、鮫洲と半田が鬼のような形相で立っていた。
半田「阿蒜ぅ、こういうのは空気読まねぇと駄目だろうがぁ」
阿蒜「ど…どういうことでしょうか…?」
阿蒜が困惑したように訊ねると、鮫洲が口を開く。
鮫洲「あれ、見てみ」
龍本の方を指差す。そこには、阿蒜に代わってもう一人の人物が来ていた。
阿蒜「あれは…伊武の兄貴?」
鮫洲「感動のご対面なんだ、二人っきりにさせてやろうってことよ」
成程。阿蒜は納得しながら、他の組員達と共に見守った。
伊武「…龍本の兄貴…大丈夫だったんですか」
龍本「あぁ。ちと時間がかかったが、何とか動けるようにはなったよ」
龍本が微笑を浮かべる。いつものように力強く。
伊武「…ッ」
でも包み込むような、どこか温かい顔だった。伊武の目から涙が溢れ出す。
龍本に駆け寄ると―優しく抱きついた。肩に顔をうずめる。
伊武「…離れない」
龍本「…」
二人の間だけ、時が止まったかのように思えた。
肩にうずめていた顔を上げて、伊武は龍本を見上げる。その目は少し泣き腫らしていて、上から新たに止めどなく涙を零していた。
伊武「ずっと…会いたかった」
龍本「…」
伊武「弾かれたって聞いた日から、怖かった。もし…もし、助からなかったら…って…ッ」
龍本「…そうか」
伊武の目を見つめた。その白い額に、小さなキスを落とす。
龍本「…もう泣くんじゃねぇよ…折角、綺麗な顔してんだからよ」
そう言ってみるが、本心ではない。伊武だけは、泣き顔さえも美しいと思えた。
龍本「…心配かけて、悪かった」
伊武「いいんです。…あなたが帰ってきてくれれば、俺は…俺はそれだけで、幸せですから」
恥ずかしそうに笑う伊武を、龍本は愛おしそうに見つめた。―そして、今度はその艶やかな唇に、甘いキスを落とした。
…この数秒後、阿蒜が号泣しながら盛大に拍手をしてしまい、兄貴達の怒りを買ってしまうのは、また別のお話。
コメント
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なんやろう…この人まじで小説家になれるって言うくらい再現がすごいんだけど( ᐛ )