テーブルの上のコーヒーは、既に冷めている。
奈美は落ち着かなくて、待ち合わせ時刻の三十分ほど前に、カフェへ到着していた。
豪と初めて会った時に着た、パステルブルーのワンピース、そして下着もパステルブルーのキャミソール、ブラ、ショーツを身に着け、温くなったブレンドコーヒーを口に運ぶ。
このワンピースと下着を選んだのは、彼女の意思の表れ。
互いが身バレした状態で、このまま口淫関係を続けるのは良くないから、終わらせよう、出会う前の豪と奈美に戻ろう、という思い。
これからやって来る彼に、伝えるのだ。
改札の方を見やると、豪がこちらに向かってくるのが見えた。
ネイビーのサマーニットにベージュのスキニータイプのチノパンを合わせた彼は、少し離れた場所でも、存在感を際立たせている。
今の時刻は十七時五十分。
彼も少し早めに来たようだ。
「奈美ちゃん、こんばんは」
「こんばんは。お久しぶりですね」
奈美は、半ば作ったような笑顔を彼に向けた。
「もしかして、大分早く来てた?」
湯気がすっかり消えたコーヒーカップを見て、豪が奈美の正面の椅子に腰を下ろす。
「ここに来たのが十七時半くらいです」
そこへ、カフェの店員が彼の注文を取りに来た。
豪がブレンドコーヒーを注文すると、奈美に向き合い、穏やかな表情を見せる。
「それにしても、この前は驚いたな……」
「私も…………見学に来た向陽商会の方が、まさか豪さんとは思わなかったので、ビックリしました……」
その時の事を思い出して恥ずかしくなり、奈美は伏目がちになってしまう。
会話は途切れ、しばらくの間、沈黙が支配していた。
「お待たせ致しました。ブレンドコーヒーです」
彼が注文したブレンドコーヒーが、テーブルにコトリと置かれると、豪がコーヒーカップを口元に運ぶ。
どう切り出していいのか分からず、豪と奈美は無言のままだ。
二人の間には、見えない壁が存在しているかのよう。
店内には、イージーリスニングのピアニスト兼作曲家、アンドレ・ギャニオンの『想い出をかさねて』が、低い音量で流れていた。
優しく語りかけるようなピアノの旋律に、バックのストリングスが控えめに曲を盛り上げ、彩りを添える。
奈美の大好きな、ピアノ曲のひとつ。
だけど、曲のタイトルとは裏腹に、この三ヶ月、二人で重ねてきた想い出を、奈美はリセットさせようとしていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!