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#BL
#ヒューマンドラマ
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「おい、新入り! 顔が赤いぞ。茶が熱すぎたか? それとも殿下に絞られたか?」
回廊の曲がり角から、朗々とした声で顔を出したのは清朗だ。
脇に大量の竹簡を抱え、いつものように気さくな笑みを浮かべて、彼は縫季の隣に並んだ。
「……清朗殿。務めの最中にふざけないでください。私はただ、報告を終えてきただけです」
「報告帰りか。ご苦労さん。……殿下、お前にも容赦ないだろ。俺なんか今朝から走り通しだ」
清朗はわざとらしく溜息をつき、空いている手で自分の足を叩いてみせた。
その気取らない振る舞いに、縫季の肩からわずかに力が抜ける。帝辛と二人きりの時に張り詰めていた「何か」を、清朗の明るさが強引に中和していく。
「……殿下は、厳しい方ですね。でも、それ以上に……」
「優しい、だろ?」
清朗は笑った。いつもの軽さで――けれど、その軽さが、言葉を痛くする。
「あの人、優しいって言われるの嫌がるんだよ。甘いって意味に聞こえるって。だから、表では絶対に『正しい顔』しか出さねえ」
清朗は縫季の横顔を盗み見て、わざとらしく口角を上げた。
「でもさ。あの独楽のときみたいに、一回でも『素』を見せると……戻すのに時間かかる。自分で自分を叱るみたいに、急に黙って、急に強くなる」
少しだけ声が落ちる。
「俺は、あの黙り方が一番怖い。……あれ、多分、泣くのを止めてる顔なんだ」
清朗が言葉を継いだ。
歩きながら、彼は少しだけ声を落とし、慈しむような目で中庭の方を見た。
「あの人は、昔からそうだ。自分が傷つくより、誰かが困ってるのを見るのが一番嫌いなんだよ。あ、『完璧な殿下』も本物だけどさ。……あのお節介な独楽回しの顔が、本当の帝辛なんだよな」
清朗はそれ以上を言わず、ただ中庭の方へ目をやった。
あの独楽のときの無防備が、『本当』だと縫季にも分かってしまう。
「帝辛」と呼び捨てにした言葉に、二人の長い年月が滲む。
縫季は、その絆が羨ましく、そして眩しかった。清朗が語る帝辛の話を聞くたびに、自分の知らない「王太子の欠片」が埋まっていく。
(茶を飲みながら見せた、あの青い顔も――)(「まだ、父上が必要です」と言った、あの声も――)
清朗の語る「本当の帝辛」と、縫季が見た帝辛が、重なっていく。
ただ確かめたいだけだ。あの人の輪郭を、手の届く範囲に置いておきたいだけだ――そう自分に言い聞かせる。
だが、その時だった。
清朗がふざけて縫季の肩を叩こうと、ぐっと距離を詰めてきた。
「――っ」
鼻先をかすめた匂いに、縫季の身体が止まった。
これは……。
執務棟を出てから鼻に引っかかっていた、あの甘さ。
出所は、清朗の腰に下げられた香袋だった。
本来、清朗が好んでいた爽やかな草木の香りではない。
喉の奥にこびりつくような、不自然に甘く、重い香り。熟れすぎた果実が腐り始める直前のような、思考を泥の中に沈めさせるような、逃げ場のない甘美さ。
照合機構は示していた。執務棟周辺の香の濃度が、記録値より上振れていると。
その「記録にない香」が、今、縫季の眼前にある。
「清朗殿、その香袋……」
「ん? ああ、これか? 最近もらったんだよ。良い匂いだろ? 疲れが取れるっていうか、これをつけてるとさ、嫌なことも全部『どうでもいいか』って思えてくるんだ」
清朗はからりと笑う。
だが、その瞳。
いつもなら表情豊かに動く彼の目が、笑い声のわりに、どこか平坦で、焦点が合っていない気がした。
まるで、薄い膜の向こう側から世界を見ているような、そんな違和感。
「……どこでもらったのですか?」
「ああ、確か兵舎の方の知り合いに……いや、この話はまた今度だ。次の伝令がある。じゃあな、縫季。――もう少し力を抜け。お前、顔が堅いぞ」
清朗は手を振り、再び回廊を走っていった。
縫季はその背中を、すぐには追えなかった。
鼻の奥に残る、あの甘い残響。
照合機構が検知した「記録にない香」が、既に人に触れている。触れて、侵食している。
清朗の笑顔は本物だ。本物だから、質が悪い。
善意の顔をした違和感が、喉の奥に居座っている。
(……黒闢という名前が出た後に、これか)
偶然だと言い聞かせるには、流入経路が近すぎる。兵舎。黒闢が統べる場所だ。
甘さの奥に、糸のように冷たいものが混じっている。――誰かが『効かせ方』を知っている香だ。
帝辛の優しさは、いまは陽だまりみたいに見える。
けれど陽だまりは、毒を乾かす。
縫季は、清朗の背中から目を離せなかった。
あの香袋の紐の結び目が、妙に綺麗すぎた。
(黒闢は――どこまで、この国の『匂い』を歪ませている)
記録に残らない香でも、人は変わる。人が変われば、選択が変わる。選択が変われば、歴史の線が歪む。
香そのものは記録からこぼれる。だが、香が促した選択の結果は、記録される。
照合文が、遅れて胸を刺した。
――縫う者の線が歪めば、修正対象に干渉できなくなる。
縫季は、歩き出した。
まず流入経路を特定する。帳には残らない香の動きを、現場の「匂い」で追う。
それが今、縫季にできる唯一の一手だった。
コメント
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読了しました。いやあ、この「甘い香り」の使い方が絶妙ですね。清朗の明るいキャラだからこそ、香袋の違和感が際立つ。善意の顔をした侵食——灯台のデータと清朗の変化が重なる瞬間、背筋が冷えました。帝辛の「素の顔」を語る清朗が、実は一番危うい場所にいる皮肉。黒闢の影が香りを通じてじわじわ迫ってくる感じ、ゾクゾクします。次が気になる!