テラーノベル
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※流血描写あり
春の風が、ゆるやかに庭を撫でていた。窓の外では花が咲き始め、鳥たちがさえずりを交わしている。レイラは湯気の立つ紅茶を手にしていた。香りの奥に、微かにミントの清涼が混じっている。
星空を描き上げてからというもの、ハーロルトは少しずつ表情を取り戻していた。笑うことこそ少ないが、以前よりもずっと柔らかい眼差しで周囲を見つめるようになった。
レイラはそっと立ち上がり、絵の乾きを確かめに部屋へ戻る。絵の中の星空は、朝の光に照らされて淡く輝いていた。青は少し色を変え、夜と朝の境界のような優しい紫を帯びている。
「……綺麗。」
思わず、ひとりごとが漏れた。
その瞬間、廊下から足音が聞こえた。
「ハーロルト様?」
振り返っても、彼の姿はなかった。再び静寂が戻る。風の音と、絵の具の匂い。穏やかで、温かくて、どこか夢のような時間。
一発の銃声が聞こえた。胸の奥で、時間が止まったような感覚。息を吸うことすら忘れて、ただ、耳だけがその音の余韻を追っていた。
「……今のは……。」
かすれた声が、喉の奥から漏れる。足が勝手に動いた。廊下を駆け抜け、ハーロルトの部屋の前に立つ。
そこには血を流して倒れている者と、銃を手にしたハーロルトがいた。部屋には火薬の臭いが立ち込めている。ハーロルトはゆっくりと銃口を下げた。
その表情には怒りも恐怖もなかった。ただ、何かを覚悟した人間の、静かな決意だけがあった。
「やっぱり、希望なんて持つべきじゃなかった。」
低く落ち着いた声。だがその声音の奥には、震えるような焦燥が混じっている。レイラは動けなかった。目の前の光景が現実だと受け入れられず、足が床に縫い付けられたように動かない。床に倒れた男は赤く汚れ、腕には紋章が見える。ルーケ党の紋章が。
「こいつもきっと、戦の生き残りだ。俺を恨んで襲撃しにきたんだろう。」
レイラは震える唇を押さえながら、一歩、また一歩と近づいた。
「……ハーロルト様を、狙ったんですか。」
「そうだ。」
ハーロルトは男の亡骸を見下ろし、まぶたを閉じた。
「私がこいつを殺しても、こいつが私を殺しても、辿り着く未来は変わらない。」
ハーロルトの声は静かだが確かだ。彼はゆっくりと拳を開き、銃を手放した。男の血がゆっくりと床に垂れている。屋敷の中に、戦の匂いが重く残った。
「このことは直に国中に伝わるだろう。そうなれば、軍事衝突は免れない。結局、人質などつくっても意味のないことだった。馬車を出してやる。お前は家族の元に戻れ。人質としての役目は終わりだ。再び戦が始まろうとしている今、ここにいる必要はない。」
レイラの目に涙が溜まっていたが、頬を伝ってこぼれる前にぐっと堪えた。
「いいえ、私は行きません。ここにいます、ハーロルト様と一緒に。」
声は震えていたが、強さがあった。しかし、ハーロルトは変わらず低い声で言った。
「命令だ。」
「従いません。」
「従え。お前はギッター家の人質──」
「ハーロルト様はたった今おっしゃいました。“人質としての役目は終わりだ”と。ですから、私はもう人質ではありません。私はハーロルト様とここに残ります。」
ハーロルトは一歩、彼女に近づいた。その足取りは重く、まるで床に沈むようだった。彼の掌には、まだ温もりが残っている。命を奪ったばかりの現実。 その感触が、銃よりも重く、彼の心を締めつけていた。
「……お前はどうしてそこまで。」
「ハーロルト様は私にとって、大好きな家族だからです。」
レイラは真っ直ぐに彼を見た。
「ハーロルト様がそばにいてくだされば、私はどんな夜でも共に歩けます。」
沈黙が落ちた。外では風が強まり、木々のざわめきが窓を揺らした。遠くで鐘の音が聞こえる。それはまるで、戦いの始まりを告げる鐘のようにも聞こえた。
「レイラは本当に、愚かだな。」
「ハーロルト様もです。」
コメント
2件
まさか…おい……おいやめろ…………おい…………………!!! あぶね~~~ ハーロルトさんが倒れていたら私、もうどうしようかと この二人の関係が好きなんだわとても