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昨夜は興味も薄かったから、この辺一体にある賃貸住宅群の大家が営んでいる料理店の店構えをよく見てはいなかった。ルスとリアンの借りている一号室からは徒歩十歩程度と言う好立地にも関わらず、節約の為にと一度も食事をした事が無かったせいで彼女から得た“記憶”の中でもこの店の様相はうろ覚えである。
そんな料理店の名前は『山猫亭』。何ともまぁ、店員からの注文の多そうな名前だ。名前に相応しく、小憎たらしい目をした山猫の描かれた巨大な木製の看板が扉の上にドンッと飾ってあって結構目立つ。そんな絵に対して興味津々といった眼差しを向けるリアンの頭を軽く撫でてやりつつ扉を先に開け、ルスを店内へ先に入れてやった。
「いらっしゃいませー!何名様かしらん?」
随分と、無理矢理甲高い声を出しています感の強い声が聞こえた。此処の大家は、厨房は他の者に任せて自分は“ウェイトレス”をやっているらしいから、この声はきっとオーナーである“マリアンヌ”のものだろう。ルスの“記憶”から得ている大家の容姿は確か…… 黒髪で、背の高い妖艶な印象の美人だ。…… だった、んだが…… 。
(——おいっ、またか!)
「あらーん!ルスちゃん、いらっしゃい!お昼時に顔を見せてくれるだなんて初めてじゃない?」
頑丈そうな腰をくねらせ、嬉しそうにマリアンヌがルスの方へ駆け寄って来る。そして最速で彼女の腰に手を回し、「丁度良いわ!今日こそはご飯食べて行って頂戴な!」と奥の方へ誘導していく。
「はい、ありがとうございます」
嬉しそうに答え、されるがまま席に案内されていくルスに着いて行くと、四人掛けの席に着いた。一切声を掛けられてはいないが一応僕の存在も認識はしているらしい。
「すぐにリアンちゃんの椅子も持って来るわね!メニューを見て待っていて」
「はい、ありがとうございます」
定型文しか話せない玩具みたいに先程と同じ言葉を口にし、ルスが椅子に腰掛ける。僕は彼女の向かい側に座ると、丁度子供用の椅子をマリアンヌが軽々と片手で持って戻って来た。
「はーい、リアンちゃんはこちらに座りまちょうねぇ」
微妙に赤ちゃん言葉を使いながらマリアンヌがリアンに声を掛けると、彼も慣れた様子で子供用の椅子の方へ飛び移った。首周りから温かなモフッと感が急に消え、少し寂しい気持ちに。
「さて、何がいいかしらん?まずはドリンクでもどう?サービスしちゃうわよ」
マリアンヌがバチーンッと音でも鳴っていそうなウィンクをする。そんなオーナーに対してルスが「じゃあ、水で」と言うと、「リンゴジュースでも持って来るわね!」とマリアンヌは即座に彼女の要望を却下した。遠慮させる気なんぞ毛頭無いみたいだ。
「そちらさんは何を飲む?」
あからさまな作り笑顔を向けられ、注文を訊かれた。『僕だって客なんだがなぁ』とは思うも、庇護欲をくすぐる容姿をした二人が知らないオッサンを連れて来たらこんなもんかとも納得してしまう。
「じゃあ、アイスコーヒーで」
「了解。すぐに持って来るから、ちゃーんとお料理を選んでおいてね?ちなみに本日のオススメはハヤシオムライスよ」
強烈なウィンクをまた残し、マリアンヌが厨房の方へ向かう。姿が見えなくなったのを確認し、僕はルスに対して不信感丸出しの表情をぶつけた。
「——ん?」と首を傾げるルスと、それを真似るリアン。二人とも底抜けに可愛いが、今はそれが間抜け面にしか感じられない。
「アンタ、眼科行った方がいいぞ?」
「え⁉︎ワタシの視力は全然悪いくないよ?」
何でそんな事言われたんだろ?って顔をしているが、目が悪く無いなら頭を一度診てもらった方がいい。リアンの時もそうだったが、ルスの認識している“マリアンヌ”と実際のオーナーの姿が随分と違うからだ。
『黒髪・黒目・妖艶な印象の人』って辺りまでは確かに否定しない。だがそれ以外が問題だ。話し方のせいかルスはマリアンヌを女性だと思っている様だが、『あのボディで何故そう思える⁉︎』と激しく問い詰めたいくらいに首から下が見事なまでのマッチョボディだ。全体的にチャイナ服に近い印象のあるデザインの服を着こなしてはいるが、ムキムキの筋肉が全く隠せていない。いや、むしろ隠す気は無いってくらいのシルエットである。身長も今の僕並みに高く、出来上がった料理を運ぶ時も、複数の皿を腕の上にずらりと乗せて運ぶ姿はもはや曲芸の域に達している。なのにルスの中では『スラッとした高身長の女性』くらいで認識しているんだから、絶対に、絶対にアレは一度病院へ行くべきだ。
「注文は決まったかしらん?」
他の席をぐるっと周り、マリアンヌが戻って来た。
「えっと…… サラダで」と言ってメニュー表にある一番小さな小皿の絵を指差したルスの注文をガン無視し、マリアンヌは「ハヤシオムライスね!」と言い切る。ルスが遠慮している事を察して強引にいくつもりの様だ。
「リアンちゃんには薄めに味付けして一口サイズにカットしたお肉と、スティック野菜でも用意しましょうか」
「は、はい」
やっと自分が遠慮し過ぎていたと自覚したのか、ルスは『いいや、サラダだけでいいってんだろ!』的な反応はしなかった。むしろ勝手に決めてもらえてホッとしている様な感じである。
「じゃあ、僕はこの煮魚定食ってやつで」
見た事のない料理の絵が気になり、それを指差す。異世界からの移住者達のおかげで最近は随分と食生活が変化したのは情報として知ってはいたが、実際目の当たりにすると正直好奇心がくすぐられる。
「今の時間はサービスでご飯を大盛りに出来るけど、どうする?」
「あー、そのままで」
「わかったわ」と答えてはいるがマリアンヌが一度もこちらを見ていない。完全に視線がルスに釘付けで、ハートまで飛ばしていそうな雰囲気だ。なのに彼女の方は全然その事に気が付いていないから驚きだ。オーナーにとても気に入ってもらえているとすら思っていない事を、ルスの“記憶”のおかげで知っている身としては、少しだけ不憫になってきた。
「じゃあ、すぐに用意させるわね!」
意気揚々とそう言って、マリアンヌが厨房の方へ戻って行く。顔立ちは妖艶な美人系なのに首から下はマッチョボディというアンバランスさを持ちながらも、立ち居振る舞いと化粧、髪型、口調などで、どうしたって抱えてしまうはずの違和感を拳で破壊していくあの容姿を見ていると、ルスは相手が『他者からこんなふうに見られたい』と思っている容姿で認識するタイプなんだなとわかった。まぁ、人としては美徳と言えるだろう。彼女を見捨てたロイヤル達三人の事ですら悪い印象を持っていなかった点は全く評価出来んけどな。
(僕が傍に居てやらないと、いつか手痛い目に遭うぞ、コイツは。——って!いやいやいや)
当然の様に自然とルスの心配をしている自分に気が付き、はっと我に返る。額に手を当てて『毒されんな!』と自分に言い聞かせながら軽く頭を振っていると、「頼もぉぉぉお!」と、喧しい声が山猫亭の扉を開ける音と共に店内に響き渡った。同時に物凄く嫌な予感が胸の奥にじわりと湧く。こういう時の予感は大概当たるので、僕は大きなため息をついて俯いたのだった。