テラーノベル
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湖から5mほど離れた場所に置かれた、小さな木製のベンチ。
私は今泉さんと手を繋いだまま、ゆっくりと腰を下ろした。
目の前には、柔らかな青い光をたたえた湖から立派な幹を伸ばす柳の木。
枝葉いっぱいに散りばめられた白い光の宝石は、風に誘われ、葉の揺らめきとともに夜空へ舞い上がる。
まるで……
湖の底から生まれた光が、優しい夜風の奏でる旋律に乗って踊っているよう。
言葉を交わすこともなく。
静寂の中、ただ光を見つめていた。
「柳の木が湖の真ん中から生えてるのなんて初めて見ました。あんなに水に浸かっても大丈夫なんですね」
ぽつりとこぼれた私の言葉が、沈黙を破る。
「ん?……ああ、根元は水に浸かっても大丈夫。水中で根腐りしないように、ちゃんと柳さんの技術も施してある」
今泉さんは私へ視線を移し、静かに答えた。
「そうなんですか。湖を囲ってる青い光は、水底にスポットライトが埋め込んであるんですか? あ……それとも底じゃなくて、湖の壁に設置されていて、横から照らしてるから浮かび上がって見えるのかな……」
青い光をまじまじと見つめ、不思議そうに首を傾げる。
今泉さんは私の横顔を見つめたまま、返事の代わりにくくっと意味深に喉を鳴らした。
えっ!? どうして笑うの?!
水中にはスポットライトは設置できないとか!?
彼の反応の意味が分からず、目を白黒させる。
「亜紀さん。君には、感じたままの感覚に酔いしれる時間が必要だよ」
今泉さんは優しい笑みで目を細めた。
「……」
今泉さんの言葉に戸惑い、ただ彼の澄んだ瞳を見つめ返す。
「自分の中で作り出す、現実から切り離した非現実的な世界に論理は要らない。
……亜紀さん、湖の方を向いて。そして、ゆっくり目を閉じてごらん」
「ここは君の生まれ育った場所だ。瞼を閉じれば聞こえる……幼い頃に聞こえた枝葉と水面の囁き」
「……」
私は今泉さんの柔らかな声に誘われ、そっと目を閉じる。
「……草木の香り、土の香り、風の香りを感じられる場所。ここは君の記憶の中にある変わらない場所。亜紀さんの感じるままに……」
今泉さんの優しい囁き……
今泉さんの優しい温もり……
……
湿った風に乗って流れる、鼻腔をくすぐる草の香り。
朽ちた虫や葉から、新たな生命が芽生える優しい土の香り。
月や星の光を映し出す、澄んだ水の香り。
見える……
感じる……
閉じた瞼に映る……
夜空に舞う無数の蛍の光が。
目を閉じたまま空を仰ぎ、深く息を吸った。
触れ合う肌から今泉さんの鼓動が聞こえる。
懐かしいこの感覚。
今泉さんの手……
とても温かい……
私を包み込み、守ってくれる優しい温もり……
優しくて……
懐かしい……
「…………お父さん……」
「……」
えっ!?
無意識に放った自分の言葉に驚き、目を見開いた。
「ご、ごめんなさい!」
振り払うように繋いだ手を離し、動揺を隠せないまま両手で口を塞いだ。
「いや、別に構わないよ。そうかぁ。お父さんかぁ」
今泉さんは、私が離した手を見つめながら頭を掻き、「はははっ」と笑い声を上げた。
「ち、違うんです! 今泉さんが父親みたいだという意味ではなくてっ。父親がちょうど今泉さんくらいの年齢で……。今泉さんが老けて見えるとか、そういう意味でもないんです」
自分でも、どうして「お父さん」と言ったのか分からなかった。
……信じられない。
今泉さんの温もりを感じながら、そんな言葉を口にするなんて……。
今泉さんの表情を見て、さらに動揺は深まる。
「えっ……待って。お父さんが俺と同じくらいの年齢……?」
今泉さんは驚きを隠せない様子で、表情を固めている。
「ああっ。言い方を間違えました。その……」
きっと変な女だと思われた……
……泣きたい……。
「……私の記憶に残る父が、今泉さんと同じくらいの年齢なんです。……父は、私が十三歳の時に病気で他界しました」
私は深呼吸をしたあと膝へ視線を落とし、静かに口を開いた。
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コメント
1件
うわあ、今泉さんの「感じたままの感覚に酔いしれる時間」という言葉、すごく沁みました。あの幻想的な湖と蛍の光の描写が美しくて、読みながら自分も目を閉じたくなりました。それなのに「お父さん」って言葉がぽろっと出ちゃう切なさ…。亜紀さんの無意識の叫びが胸に刺さります。温かさと寂しさが一緒に流れてくる、素敵なエピソードでした。