テラーノベル
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その夜は、なかなか眠れなかった。
怖い夢を見たわけじゃない。
むしろ、静かすぎて、落ち着かなかった。
すちは、布団の中で小さく身じろぎをした。
「……みこと」
「ん?」
すぐに返事が返ってくる。
それだけで、胸の奥が、少しゆるんだ。
「……起こした?」
「起きてた」
嘘じゃない。
みことは、すちが眠りにつくまで、
ずっと浅く起きていた。
「……ここ、あったかい」
すちは、ぽつりとそう言った。
部屋の温度のことじゃない。
でも、みことは何も突っ込まない。
「エアコン、弱めにしといた」
「……そっちじゃ、なくて」
言いかけて、すちは黙った。
言葉にすると、
壊れてしまいそうな気がした。
みことは、
その沈黙を、ちゃんと受け取った。
「……眠れないなら」
少し間を空けて。
「ここに、いる」
それは「一緒に寝る」でも
「抱きしめる」でもない。
ただ、離れないという宣言だった。
すちは、
その言葉を、胸の奥にそっと置いた。
翌朝。
キッチンから、音がする。
すちは、恐る恐る起き上がった。
(……怒鳴り声、ない)
当たり前のはずなのに、
それを確認してしまう自分がいる。
「おはよ」
みことが、フライパンを持ったまま振り返る。
「……おはよ」
声が、ちゃんと出た。
「無理しなくていいから」
「……でも」
「座ってて」
それは命令じゃない。
心配から来る言葉だった。
テーブルに並ぶ、簡単な朝ごはん。
焦げていない卵。
急かされない時間。
すちは、
一口ごとに、呼吸が深くなるのを感じた。
「……毎日、こうなの?」
「ん?」
「……怒られない朝」
みことは、一瞬だけ手を止めた。
「……そうだね」
短く答えて、
それ以上は言わない。
過去を否定しない。
でも、今を差し出す。
それが、みことのやり方だった。
昼。
洗濯物を干すのを、手伝おうとして、
すちはまた、立ち止まった。
「……俺、役に立たない」
無意識に、口から出た言葉。
みことは、すぐに振り返る。
「立ってるだけでいい」
「……え」
「今日は、それで十分」
すちは、戸惑った。
「……それ、意味ある?」
「ある」
即答。
「ここにいるってことが」
すちは、
胸がきゅっとなるのを感じた。
(……条件、ないんだ)
何かをしないといけない。
役に立たないといけない。
そう思ってきた時間が、
ゆっくり、ずれていく。
夕方。
テレビの音だけが流れる部屋で、
二人は並んで座っていた。
肩と肩が、少し触れる。
すちは、逃げなかった。
「……近い?」
「……いや」
むしろ、
離れるほうが、怖かった。
みことは、
その距離を、変えなかった。
触れないけど、
遠ざからない。
それが、
すちにとっては、とてもいい距離だった。
夜。
電気を消す前、
みことのスマホが、短く振動した。
すちは、気づいた。
「……なに?」
みことは、一瞬だけ画面を見て、
すぐに伏せた。
「……なんでもない」
でも、その声が、
少しだけ硬かった。
すちは、
何も聞かなかった。
聞かれない優しさも、
ここでは、ちゃんと存在している。
ただ――
胸の奥に、
小さな不安が残った。
(……この時間、ずっと続くのかな)
その不安は、
まだ名前を持たない。
でも、
次の連休の向こう側で、
また「過去」が動き出そうとしていることを、
すちは、まだ知らない。
必要とされる
それは、
守られている時間の中でさえ、試される。
夜。
電気を消したあとも、
二人はすぐには眠らなかった。
布団の中で、
すちは天井を見つめている。
「……みこと」
「ん」
「……変なこと、聞いていい?」
「だめって言わない」
少しだけ、空気が和らぐ。
「……俺さ」
言葉を探すみたいに、間を置いて。
「……ここにいて、いいんだよね」
みことは、答える前に、
そっと身を起こした。
そして――
すちの頭に、手を伸ばす。
一瞬、触れるだけ。
強くも、長くもない。
「……いいよ」
指先が、髪を軽くなぞる。
すちは、びくっとしたあと、
そのまま動かなかった。
「……や、だった?」
「……ちがう」
声が、小さい。
「……なんか」
言葉が続かない。
みことは、
もう一度、今度は少しゆっくりなでた。
「無理なら、やめる」
「……やめなくて、いい」
その返事に、
みことの手が止まる。
「……嬉しい?」
しばらく沈黙。
それから、
すちは、正直に言った。
「……わからない」
でも。
「……でも、いやじゃない」
みことは、
それ以上、踏み込まなかった。
ただ、
なでる回数を、少し減らす。
「それで、十分」
その言葉に、
すちは、目を閉じた。
胸の奥が、
じんわり温かい。
(……これが、安心、なのか)
知らなかった感覚。
翌日。
休日の昼。
ソファに並んで座り、
テレビを見ているだけ。
すちは、
いつの間にか、みことの肩に
ほんの少し、寄りかかっていた。
「……近い?」
「……離れたら、いや」
反射みたいな言葉。
言ってから、
自分で驚く。
みことは、
一瞬だけ目を丸くして、
それから小さく笑った。
「じゃあ、このまま」
それだけ。
何も起きない。
でも、
何も起きないことが、一つの安心だった。
すちは、
そのまま、うとうとし始める。
頭に、
また、軽い重み。
なでられている。
(……すき、なのかもしれない)
でも、
まだ言葉にしない。
夕方。
インターホンが鳴った。
短く、
不自然な音。
みことが立ち上がる。
「……俺、出る」
すちは、
なぜか、胸がざわついた。
(……いやな、音)
ドアの向こう。
低い声。
聞き覚えのある、声。
すちは、
体が凍りつく。
「……いるんだろ」
みことの背中が、強張る。
「……帰ってください」
「保護者だ」
その一言で、
空気が、変わった。
みことが振り返る。
「すち」
声が、真剣になる。
「……ここ、出ないで」
でも――
その瞬間。
すちは、
立ち上がってしまっていた。
(……逃げたら)
(……また、同じになる)
ドアが、開く。
視線が、ぶつかる。
「……やっぱりな」
すちの世界が、
一気に狭くなる。
みことが前に出る。
「触らないでください」
「邪魔するな」
腕が、伸びる。
「……っ」
みことが、
すちの前に立った。
「行かせない」
声が、震えていない。
でも――
相手は、知っている。
どうすれば、すちが動けなくなるかを。
「……ほら」
名前を呼ばれる。
その瞬間、
すちの足が、止まった。
(……あ)
掴まれる。
力は、前より強い。
「……みこと!」
叫ぶより早く、
玄関の外へ引き出される。
「……離せ!」
みことの声が、
背後で響く。
でも、
ドアが閉まる音で、遮られた。
数分後。
部屋には、
みこと一人。
さっきまで、
確かに、ここにいた温度が、消えている。
拳を、強く握る。
(……二度と)
声にならない誓い。
これは、もう、
見過ごせない。
コメント
11件
りゅ~せ~くんがしょうせつかくさいのうありすぎてちょっとやばい((