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グリュエーは手紙からサイスの所持していた小冊子へと乗り移っていた。サイスは少しも気づくことなく自室へと戻る。ノンネットほどではないが、広くて家具の充実した部屋を与えられている。サイスが眠りに就くまで、命無き者らしくじっと待ち、気づかれないように少年の懐から這い出て、手紙よりもさらに動きにくい体で僅かな月の光を頼りにノンネットの部屋へと戻った。風に戻ることも一瞬考えた。しかし冬の迫る夜に部屋の窓を開けば気づかれる可能性は高く、気づかれずとも冷風に晒すのはあまりに酷だろう。


「ああ、良かったです。一体どうなることかと」ノンネットは胸を撫でおろしつつ、部屋の扉の隙間から忍び込んできた小冊子を拾い上げる。「貴女が持っていかれて気が気では……。これはファボム写本の抜粋集? 手紙はどうしたのですか?」

「ごめん」この後叱られることを知っている子供のようにグリュエーは密やかな声で言った。「サイスに引き渡されて、その後モディーハンナに持っていかれちゃった。何とかこの紙切れに乗り移って逃げてきたんだけど」

「何てことを! 手紙がばれてしまったら、いえ、あれを報告しなかったことがばれてしまったら拙僧がどうなるか分かっていたでしょう?」


魂を抜かれた護女を魔法道具として利用する悪行をノンネットに告発するための手紙だ。当然、ノンネットも隠されるべき真実を知ってしまった人物だと分かってしまう。

グリュエーはノンネットの視線から逃れるように身じろぎしてうなだれる。


「もしもそうなったら――」

「拙僧は逃げるしかありません」小冊子を摘まむ指の力が強くなる。「……ああ、つまり、そういうことですか?」

「違うよ! あの使い魔に見つかったことも、サイスに引き渡されたことも偶然なんだから」


ノンネットは寝台に座り込み、全てを拒むように顔を覆う。


「どちらにしても終わりです。聖女になって救済機構を変えるどころか、この後すぐにでも口封じされるかもしれません」

「逃げよう、ノンネット」


ノンネットは手を下ろし、波打つ毛布の上で立ち上がろうとする小冊子をじっと見つめ、摘まみ上げ、寝台の脇机に置いた。


「いいえ。逃げません。救済機構に殉じると、護女になった時に決めたのですから」


それ以後、グリュエーの言葉はノンネットに届くことはなく、失意の護女は眠れぬ夜を過ごした。




第一聖女の予言の選集に宿ったグリュエーの魂はいつの間にか気を失い、しかし美しい調べに誘われて目が覚める。それはまるで全ての不幸と災難が朝の訪れと共に洗い流され、それでいてこれまでと変わらない日常は変わらず目の前に横たわっていることを表すような歌だ。

誰の歌だろう。ノンネットではない。


夜は去り、その裾の端だけ残されている朝は、黴臭い砦の開かれた窓へ清々しい空気をもたらす。代わりに妙なる歌声が、その部屋から外へ小川の支流のように流れ出していた。朱子織りの羽を背負った磁器製の小さな人形が歌い、昨夜絶望を胸に抱えて寝台に縮こまっていたノンネットが今はその心のままに踊っている。それはまだ憂いを知らない獣の仔が跳ねるようだった。


何と声を掛ければ良いのかグリュエーには分からなかった。聖女への道を失ったノンネットが自暴自棄になってしまったのだ、という発想が最初に浮かんだからだ。


「ノンネット? 落ち着いて?」

「言われなくたって、落ち着いています」と拍子に合わせず手足を振り回しながらノンネットが言う。「本当なら街に飛び出して歌いたい気分なのですから」

「じゃあ良いことがあったって言うの?」


ノンネットが小冊子グリュエーを拾い上げ、しかし抱きしめられるようなものではないと気づくと宙に放り投げた。まるで乾杯の音頭と共に杯を掲げるようにして。


「そうです! 拙僧が次代の聖女に選ばれたのです! 今朝、聖女会からの報せがありました」


つまりこの使い魔はお祝いの歌をうたっていたのだ。小冊子のグリュエーはひらひらと舞い落ちながら机の上の人形の歌を聴く。控えめながら楽しげで、どこで開かれているのか分からない祭囃子が霧深い森の奥から聞こえてくるかのようだ。


「ねえ、おかしいと思わないの?」人形の前に落ちたグリュエーがノンネットに尋ねる。


ノンネットは踊るのを止めて、グリュエーを見下ろす。


「優秀な貴女ではなく、拙僧が聖女に選ばれたことがですか?」

「そうじゃなくて! 護女の秘密がばれたことがばれたのに、何も言って来ないなんて」

「いずれ聖女になれば明かされる秘密だったということでしょう。少なくとも次代の聖女を口封じすることはないでしょうし」

「護女の抜け殻が物みたいに扱われていることに関して、納得できる事情があると思う?」

「分かりません。しかしとても大きな組織です。多少なりとも後ろ暗い事案はあるでしょう」


グリュエーは食事の夢を見ている者のように言いたい言葉を探しながら口を開閉する。


「多少なりとも? 黙認するって言うの?」

「程度問題です。些少な問題を抱えて、莫大な問題解決ができるならば、そういうこともあるかもしれません」


「そのためなら護女が犠牲になっても良いってこと?」

「多かれ少なかれ、救済機構の僧侶は世の救済に殉じる覚悟があるものと見なされます。勿論、中には、ただ自分が社会的地位を得るために、あるいは強大な組織の力を利用するために帰依したふりをしている者がいるのも事実ですが、それとてある種の覚悟の上でしょう。最早立場は違いますが、貴女だって機構を変えるために危険を顧みず、こんな所へ、そのようなか弱い存在になってまでやってきているではないですか。それこそ不思議なものです。一度は逃げ出したのに、どうしてわざわざ?」

「そもそも救済機構なんてどうでもいいよ。グリュエーは友達を助けに来ただけ」

「……友達だと思ってくれていたのですね」

「ノンネットは、どうしてそこまでして聖女になりたいの?」


ノンネットは過去を偲ぶように遠い目で壁を見つめ、少し微笑む。


「初めはただの憧れでした。収穫祭でも見たことのない豪勢な食事を村総出で用意して、皆で綺麗な衣を身に纏って迎えたお客様が、巡礼の際にたまたま立ち寄った聖女アルメノン様でした。いつもは高慢ちきな領主や僧侶たちが、その夜ばかりは下男のように駆けずりまわって、仔犬のように聖女様にひれ伏す姿は今でもよく覚えています。何より大人たちの尊崇の眼差しは異様な光景とさえ思いました。私、その場で聖女様に言ったんです。貴方のようになるにはどうすればいいですか? って。あの時の両親の破裂しそうなほどの怒りの形相、その場で護女として迎えることを許していただいた時の零れ落ちそうなほどの喜びの表情。忘れられません」

「それって、さっき言ってた社会的地位ってやつ?」


グリュエーは皮肉を言ったつもりだったが、ノンネットはしっかりと頷いた。


「その通り。でもそれは最初だけです。護女となり、修行のために各地を旅し、私は各地で、あの時の私を見ました。ようやく私を見ることができた。あれほど悲惨な生活を、私は普通だと思っていました。そしてそれは確かにありふれたことでした。救われるべきだということにすら気づけていない皆を救いたい。それが私の偽りなき本心です」


ノンネットの言葉はグリュエーの心を通じて、その過去と共鳴した。希望無き故郷、バソル谷、ひいてはクヴラフワを救いたいと抱いた大望の切れ端は今も魂の一部になっている。

長い年月に体を酷使した老人のように、小冊子の体を何とか伸ばしてグリュエーは立ち上がる。


「分かったよ。ノンネットは救いを誰かに託す側じゃない。そういうことだよね。聖女になって救済機構を中から変えて? グリュエーは外で頑張るから。約束だよ」

「ええ、約束しましょう」

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