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二子玉川の自宅マンション20階のバルコニーから、多摩川を挟んで神奈川方面を眺める。日曜日の朝の遅い時間、曇天の隙間から光を放つ朝陽が、多摩丘陵や横浜ランドマークタワーを幻想的に照らしている。
「彼等も、そんな世界で生きているのだろうか、否、彼等の見ている全てには実体がある。即ち現実世界を生きているに過ぎない」
瀬戸際大楽は、稚拙なひとり問答を苦々しく思いながら、濃いめに淹れたキリマンジャロを口に運んだ。
瀬戸際が、キリマンジャロを淹れる行為は信念に基づいての決まりごとだった。
その内容は験担ぎにも似ていた。
アドレナリンを覚醒させるか、セロトニンを増幅させるかの選択行動に、コーヒーの香りと深呼吸は欠かせないのだ。
学術会議を控えた夜。
そして、飲み過ぎた朝。
瀬戸際は、昨晩の沢口院長とのやりとりを思い返していた。
葬儀を終えて北九州からの帰路、帝北神経サナトリウム病院へ出向き、沢口と共に隔離病棟で拘束された鮫島結城の別人格・カシイアヤメとの面会を試みるも、鎮静剤と麻酔の効果でアヤメは眠っていた。
頭部に施されたヘッドセットからは、映像が絶え間なくサイドモニターへと送られ続けている。
数人のドクターに混じって、医療機器メーカーの開発担当者と、防衛医大院長補佐・安全管理室長の姿、そして、鹿児島中央医科大学教授、鮎川・ティナの姿もあった。
沢口に促されて新設された管理室へ向かうと、そこには、遠隔操作が可能な脳情報デコーディング測定器が設置され、デスク周りには大小様々なモニターが6機並べられていた。
脳波、心電図、残像画像、可視映像、後期予測変動画像、そして病棟内の監視映像を見ながら、沢口が言った。
「親父とさ、前厚労大臣の長瀬佑太郎が同期でさ」
「ええ」
「でさ、防衛医大のあいつなんだが、私の同期のせがれなんだよ。まあ、あいつは次の選挙で新潟3区から出馬するらしいが、地盤は堅いし優良株だよ、次期大臣って訳だな」
「ほう」
「鮫島結城を利用して、人体実験って訳だ、ま、陸軍登戸研究所とも御近所さんだし、なんの因果か、会長も余計なことしてくれたもんだよ」
「防衛省が何故また…」
「マインドコントロールに関する実証研究とか言ってるが…最近じゃほら、宗教法人と国会議員の関わりが表沙汰になってるだろ? 現にあいつんとこの支持母体だってそうだ。ミタマガミのキルア財団…まあ、一種のパフォーマンスにも見えるがね。それと、BMIの軍事転用というか…どのみちさ、卵が先か鶏が先かみたいなもんさ。医学と軍事、科学と軍事、紙一重だろ、GPSやらドローンにしたって元は闘う道具な訳だから」
「なるほど…巨額の予算も割り当てられるし、帝北としては万々歳ですね」
「いつもながら、嫌味な男だな」
「いえいえ」
「しかし、恐ろしいね、大学ってとこも、同期だ先輩だ後輩だなんて、死ぬまで関係性が続くんだから嫌になっちまうよ、ま、長い目で見りゃあさ、メリットの方が多いんだろうが、どうも人付き合いってのが苦手でね、お前さんだってそうだろ?」
「そうですね」
「そっかそっか、精神医学のニューウエーブ、瀬戸際大楽にも不得意なモノがあったか、こりゃ結構だな、人間だったてことだ」
「え?」
「ん?」
「院長、誘導なさいましたよね?」
「いいから、ほら座って、我々は見物といこうじゃないか!」
沢口は急かすように言って、椅子に腰掛けた。
並んで座った瀬戸際は、横目でチラッと沢口を見、時折自分に向けられる劣等感は、父親との確執のせいだと考えた。
長い付き合いになるが、威厳や地位を手に入れたというのに欲張りな男だ…そう心で呟くと、いささか気分も晴れた。
前方の可視映像モニターに目を向けると、主人格・鮫島結城が見ているであろう夢の景色が映し出されていた。
沢口は、その終末世界の映像に、関心とも恐怖ともとれる表情を見せていた。
瀬戸際は言った。
「ここまで鮮明に可視化されると…観る側も申し訳ない気になりますね…」