テラーノベル
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第2話 昨日まで、同じ巣にいた
「人型化が進めば、身体の変化が急に大きくなる可能性があります」
職員は黒い霊獣本人へ向けて説明した。
「安全に状態を確認するため、人型化準備区域での滞在を提案します。入ることは、人型化を望んだという意味にはなりません。変化を早める処置も行いません」
区域への出入りは制限される。番であっても、許可なく居室へは入れない。
「滞在中の処置や面会も、本人へ直接確認します。番の方の判断だけで決めることはありません」
説明は図と札でも示された。
「ここまでの内容を理解できましたか」
黒い前脚が「理解した」の札を押さえる。
その後で、二枚の選択札が置かれた。
準備区域へ入る。
今日は巣へ帰る。
黒い前脚が、一枚目を選んだ。
――離れるのは嫌だ。だが、ここに残る。
「分かった」
男は自分の寂しさを理由に、その選択を変えさせなかった。
区域の入口で、黒い霊獣が振り返る。
――明日、来るか。
「来る」
「面会は、状態を確認してからの許可制です」
職員が告げる。
「なら申請する」
男は黒い霊獣へ手を伸ばしかけ、止めた。
「入る前に触れていいか」
――いい。
黒い額へ自分の額を重ねる。
――待っている。
それを最後に、二人の間で扉が閉じた。
*
男は一人で巣へ帰った。
「ただいま」
いつもの言葉に、香波は返らない。
食事の支度で二つの器を出しかけ、一つを棚へ戻した。食べ始めても、肉を押しつけてくる黒い前脚はない。
寝床には、黒い霊獣が使っていた場所だけが広く空いていた。
男は灰銀の獣型になり、そこへ身体を横たえる。残された香へ鼻先を埋めても、返事はなかった。
黒い霊獣も、準備区域の個室で夜を迎えていた。
食事を取り、必要な確認を受け、自分で寝床へ入る。
身体に異常はない。区域へ残る理由も理解している。扉を叩くことも、外へ出せと訴えることもしなかった。
だが、落ち着いていることと、平気であることは違う。
どこにも番の香がなかった。
黒い霊獣は扉へ背を向けずに横たわる。
――いない。
送り出した香波は、誰にも受け取られないまま消えた。
昨日まで、同じ巣にいた。
それだけのことが、二つの寝床をひどく広くしていた。
*
翌朝、男は面会受付へ書類を差し出した。
「昨日も提出されています」
「昨日の条件では認められなかった。だから書き直した」
職員が申請書へ目を落とす。
区域外面会室を使用。担当者立会い。短時間。入室時は接触せず、本人から近づいた場合のみ接触を認める。
「居室へ入れないなら、面会室でいい。直接会うことが刺激になるなら距離を取る。香を預けるだけなら可能か。香も負担ならやめる」
男は職員を見た。
「何なら認められる」
「毎日来る必要はありません。面会が状態の安定に有効とも限りません」
「昨日まで同じ巣にいた番だぞ。急に会えなくなって平気な方がおかしいだろ」
「ご本人が会いたくないと意思表示した場合は」
「会わない。俺が来たことも伝えなくていい」
男は申請書を指した。
「規則を破らせたいんじゃない。規則の中で会える条件を聞いてる」
受付の男性職員は、申請書へ目を落とした。
昨日の申請を退けられても、男は入口を突破しようとも、番だから特別に扱えとも言わなかった。
居室へ入れないなら、入らない。
接触が負担なら、触れない。
香を預けることさえ負担なら、それも諦める。
書かれているのは、男が何をしたいかではなく、黒い霊獣が拒めるための条件ばかりだった。
会わせてやりたい。
職員は、そう思ってしまった。
だが、面会は職員の同情だけで簡単に許可していいものではない。
規則は二人を引き離すためではなく、区域にいる本人を守るためにある。その安全と意思を守ったまま会える方法があるなら、それを探すことも職員の役目だった。
職員は面会規定を開き直した。
指が、一つの条項で止まる。
「区域外面会室で、半刻。立会いあり。接触は本人の意思を確認してから。それであれば許可できます」
「それでいい」
「先に、ご本人へ確認します」
*
黒い霊獣の前へ、「会う」と「今日は会わない」の札が置かれた。
「番の方が来ています。会いますか」
黒い前脚が、迷いなく「会う」を押さえた。
面会室には二つの入口があった。
男は先に入り、床へ引かれた境界線の手前で待つ。反対側の扉が開き、黒い霊獣が入ってきた。
――遅い。
「昨日から申請していた」
――分かっている。
責める香が、すぐにほどける。
――来た。
「ああ。来た」
男は境界線を越えなかった。
昨日まで夜も共にした番であっても、今ここで触れていいとは限らない。
「触っていいか」
――俺から行く。
黒い霊獣が境界線を越え、男の首筋へ鼻先を寄せた。外の香の下から、変わらない番の香を確かめる。
それから、額を胸元へ押しつけた。
立会いの男性職員は、黒い霊獣が自ら境界線を越え、接触を望んだことだけを確認した。
そこで、そっと記録板へ視線を落とす。
立会いは必要でも、昨日まで同じ巣で眠っていた番同士の再会を、真正面から見続ける必要まではない。
すでに確認した面会条件の一行を、職員はもう一度読み直した。
そこで初めて、男の手が黒い毛並みへ触れた。
「巣は変えてない」
――俺の場所もか。
「そのままだ」
――明日も来い。
「毎日申請する。だが、会いたくない日は断っていい」
――それでも来い。
「分かった」
男は持参した布を見せた。自分の香を移したものだった。
「これを置いていっていいか」
――持っていく。
黒い霊獣が自分から布を受け取った。
その夜も、二人は別々の場所で眠った。
男は黒い香の残る寝床で。
黒い霊獣は、灰銀の香を抱くようにして。
同じ巣には戻れなくても、今夜は互いの香があった。
#多聞くん今どっち!?
低気圧
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コメント
1件
「昨日まで同じ巣にいた」っていうだけで、こんなに胸が締め付けられるんだな…。離れてる夜の描写が静かで、でもすごく重くて、二人の寂しさがじわじわ伝わってきたよ。面会のシーンで、男の人が「規則の中で会える条件を聞いてる」って言うところ、本当に相手を大事に想ってるんだなって思った。それに、黒い霊獣が自分から境界線を越えて香を確かめる仕草が愛おしくて…。最後に互いの香を抱いて眠る描写、切ないけど優しさがあって、すごく好きです。続きが気になる…!