私の反応などお構いなしに、太陽がエレベーターのボタンを押す。ふっと横目で私を見た彼は、無表情だった。
どうあっても、私の部屋に行くつもりらしい。
私は小さく息を吐いた。
「部屋に入れたくない理由は言ったけど?」
「入らない。玄関先まで荷物を取りに行くだけ」と、太陽はエレベーターの階数表示を見上げながら言った。
「ひなたにも、ここに住んでいて欲しくない」
「そんなこと言ったって――」
「――すぐに部屋を処分しろとは言わないから、俺と暮らせるか試してよ」
「暮らすって――」
「――俺、ひなたとは、たまに会って飯食ってセックスするだけの関係になる気、ないから」
同棲や結婚を示唆しているのだろうか。
数か月振りに会ったというだけではない。
そもそも、お互いのことを何も知らないのだ。調査会社の報告以外は。
満月の夜に会い、弱っているところに優しくされて、その後も満月の夜にだけ会うなんて普通じゃない関係を、愛だの運命だのと勘違いしているのではないだろうか。
互いに惹かれあったのは事実かもしれない。
が、年の差だけでも、関係が長くは続かない理由として十分だ。現に、私はたった数十分で、太陽の若さというか、行動力についていけてない。
エレベーターの扉が開き、太陽が片手に私のバッグ、もう片方の手で私の腕を掴み、鉄の箱に踏み込んだ。
「何階?」
仕方なく、私は階数ボタンを押した。八階。
そこまで高い場所に住みたかったわけでないし、周囲に同じくらいの高さの建物もないから、希望する広さの中でも安い方の、その中でも一番上部の部屋を購入した。
九階より上は同じ間取りでも価格が二百万は違った。
「八階に住めるなら、十階でも平気だよな?」
「そういう問題じゃ――」
「――諦めて」
何を諦めろというのか。
答えを聞いても、今の太陽は私の反論を受け付ける気はなさそうだ。
言葉通り、太陽は玄関から中には入らなかった。
ただ、私がバッグに荷物を詰めて玄関に持っていくと、「もっと積めるから」と言うだけ。
一、二泊するだけなら十分だと言ったが、腕を組んで私をじっと見るだけで、納得しない。
本気で一緒に暮らすつもりなのか。
私は、手つかずで持ち帰る覚悟で腰の高さほどあるスーツケースに服を詰め込んだ。バスルームと洗面台の棚の化粧品類も。それから、冷蔵庫を空にした。
もともと、あまり買い込んではいないけれど、エコバッグ三つ分にはなった。
さて荷物を運ぼうかという時に、「あ、食器も」と言われた。
引っ越して間もないから、調理道具や食器が揃っていないらしい。
太陽がスーツケースを運んでいる間に、私は段ボールに食器を詰めた。俊哉が使っていた物は離婚時に処分していたから、多くは残っていなかった。
結局、太陽の言葉通り、車一杯の荷物になった。
「ねぇ、ホントに一緒に暮らすつもり?」
走り出すと同時に、聞いた。
「もちろん」と、太陽は前を向いたまま答えた。
「いきなり一緒に暮らすって――」
「――もう、離れたくないから」
当然のように言われ、それ以上は何も言えなかった。
正直、嬉しい。
けれど、不安は拭えない。
太陽のマンションは私の職場から二駅の場所にある、完成時にはテレビでも紹介されていた。
起業して一年足らずの太陽が買える価格ではなかったし、そもそも販売開始からひと月ほどで完売したはずだから、起業前に購入したことになる。
「ねぇ、ここって、奥さんと暮らすはずだったの?」
荷物運びの二往復目で、聞いた。
こんなマンションを買っていたのなら、奥さんが離婚するとは思えないが。
「いや。この部屋を買ったのはひなたんとこの社長だよ」
「えっ!? うちの社長?」
「そ」と言って、太陽がエレベーターの階数ボタンを押した。
「俺さ、堂々とひなたを迎えに行きたくて、めちゃくちゃ仕事頑張って、ホント、過労でぶっ倒れるんじゃないかって心配されるくらい頑張ったんだ。で、少し前に経費精算ソフトをの開発を請け負った会社の社長に、ひなたの会社の社長を紹介されたんだ。社長から見せられた勤怠システムと経費精算システムの提案書で、ひなたが作ったものだってわかってさ。もう、絶対、やるしかないって思って。タダでもいいからやらせて欲しいって、頼み込んだんだ」
「タダ……って」
「社長に、提案書作った女に認められたいからって、全部ぶちまけてさ」
「は……あ? 社長に喋ったの!?」
「うん」
「うん……って――!」
エレベーターが十階で停止し、扉が開いた。
降りて左手が太陽の部屋。
このマンションはエレベーターを挟んで左右に一軒ずつしかなく、隣家の声が聞こえるようなことはないらしい。
「二か月前かな? 社長の奥さんの妊娠がわかって、マンションじゃなくて一軒家の方がいいってことになったんだって。で、ここを売りに出さなきゃいけないって聞いて、俺が買ったんだ。本当なら不動産屋に払う仲介手数料分を差し引いた価格で。仕事ももらえたし、すげーラッキーだった」
玄関で靴を脱いだ太陽は、すぐ右手にある部屋に荷物を運び入れた。
「ひなたの部屋、ここでいい? もう一つの部屋は机とか入れちゃったんだよね」
私もバッグを持って後に続く。
何も置かれていない部屋には、カーテンもかかっていない。
十階だから要らないのか……。
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