「つまり、3年4組の教室は異次元に繋がってるから、入っちゃいけないと」
健斗はそう言ってから、わははと笑う。
「ば、馬鹿にしちゃいけないよ。マジで、マジでやばいんだから」
怯え気味に、ひそめた声でリュウが言った。
「やばいの? だったらおれが見てくるよ」
「や、やめといたほうがいいって。第一、あの扉は開かないんだ」
「開かずの間、ってやつか。面白そうじゃないか」
「ぼくまで、巻き込まないでくれないか」
「あー大丈夫。おれひとりで行ってくるよ。同じ階の端っこじゃないか」
健斗は席を立って、肩をならすように準備運動めいた動きをしてみせた。
「ほんとに行くの?」
「おれ、ホラー耐性とか十分にあるし。どんな異次元が待ってても、怖がらないぞ」
「マジでやめといたほうがいいよ、マジで」
「大丈夫! すぐ戻ってくるから、さ」
そう言って教室を出ていく健斗を、リュウは心配そうな目で見送った。
*
3年4組の教室は、物置として使われているらしい。しかし健斗の知るところ、誰かが出入りするのを見たことはない。教室の窓は全て黒いビニールで覆われており、放課後の夕景と相まって、いかにも好奇心をかき立てるようなたたずまいだった。
——こりゃなんか起こりそうだな、楽しみだ。
健斗は早速、教室の入り口の引き戸に手をかけた。だが、どれだけ力を込めても開かなかった。施錠されているのか、錆でも固着しているのかのどちらかだろう、と思った。
——鍵がないと、かな。
そう思いながら鍵穴の方を見ると、鍵穴の上部のガラスに小さな亀裂が入っているのがわかった。その亀裂の中央の部分に、小さな穴が空いている。
この学校のすべての教室は、鍵がなくても内鍵がかけられる構造になっている。
——つまり、亀裂の隙間から何かを突っ込んで内鍵を開ければ、この部屋に入れるってことか。この位置なら指でいけるな。
健斗は早速人差し指を入れようとしたのだが、確固たる意志はとつぜん、茫漠とした不信感に駆られる。
——もしこの部屋が罠だったら? 指を入れた瞬間ちぎれたら?
太陽は沈みかけ、校舎を一種ノスタルジックな色に染めていた。
——いや、きっとこの夕暮れが、おれに心配させてるだけだ。心配なんていらない。
健斗は納得したようにひとつ頷き、恐る恐る指を隙間に差し入れる。難なく指が入る。
胸が高鳴る。少し下の方に指を動かすと、内鍵らしいものに触れた。それを押すと「カチッ」という音がした。すぐさま指を引き抜いた。
もう一度、引き戸に手をかけた。それをスライドさせると、予想に反してするりと開いた。
——なんだ、鍵開けるほうが大変だったじゃないか。
健斗はなんの躊躇いもなしに、室内に足を踏み入れた。
室内は真っ暗で、強くさし込む斜陽だけが、出入り口から室内を照らしていた。ただそれで見る限り、室内はほんとうにただの物置だった。怪しいものは何もない。
——こんなの、異次元でもなんでもないや。ブラックホールみたいな何かがあるのかと思ったのに。期待して損したな。
健斗は舌打ちして、3年4組を後にした。
彼は戸は閉めたものの、鍵をかけるのを忘れてしまっていた。
*
「おーいリュウ! 行ってきたぞ、なんにもなかったけどな!」
そう言いながら3年1組の教室に戻ってきた健斗。しかしリュウの返事はない。
「リュウ?」
リュウは自分の机の椅子に座ったまま、微動だにしなかった。
「寝てんのか? リュウ?」
彼は返事をしない。まったく動かないのだ。
「おい……」
健斗はリュウに近づき、両肩を揺さぶろうとした。
だが彼の身体は、大理石のように硬質で、冷たくなっていた。
「まさか」
——死後硬直。
健斗の頭にサッとそのワードが露呈された。彼はすぐさま教室を出て、職員室に向かった。
「失礼します! 大変だ! リュウが」
そう言いかけた健斗は、再び異様な光景を目撃した。
教師たちは皆、彫刻のように固まって、動かなくなっていたのだ。
「おい……どうなってるんだよ!」
叫び散らしても動かない教師たちは、写真にでも写ったかのように静止していた。
*
——急いで家に帰らなくては。
スマートフォンでメッセージを送る時間はない。いち早く家に帰り両親にこのことを伝えて、この怪異を終わらせければならない。健斗は訳のわからない状況にあっても、なんとかしなければ、という正義感に駆られていた。
走ること10分、ようやく家に着いた。息を切らしながら玄関を開ける。
「母さん、大変なんだ、助けてくれ!」
そう言って母親が夕食を作っているであろうダイニングルームに入る。
ダイニングルームには、煙が充満していた。
見ると、キッチンのコンロにかかっている鍋から出火している。
「母さん!」
母親は微動だにせず、野菜を切るポーズをしたまま硬直していた。
「母さん、大変だ、逃げなきゃ……!」
母親の肩を揺さぶる。だがその肌は冷たく、石のように硬くなっている。
健斗は、母の手から包丁を外し、背負うことにした。前傾姿勢になっているから背負えばいける、と思ったのだった。
しかし硬直した身体は意外にも重く、力には自信があるはずの健斗にも背負うことはできなかった。
そうしているうちに火の勢いはどんどん強まり、ダイニングルームの煙はもう一寸先も見えないぐらいに広がっていた。
健斗は母親を助けることを諦め、自分だけでも逃げようとした。だが、煙を吸ってしまい、咳き込んでしまった。それから吸う息吸う息がすべて煙になり、とうとう咳き込むことも、呼吸もできなくなってしまった。
酸素を失った身体は次第に動かなくなり、意識も急激に薄らいでいった。
***
「まりか、聞いた? 1組の金谷健斗くんが、昨日死んだって」
「え、そうなの?」
「うん。同じクラスの土田リュウくんが死んだのを見つけたんだけど」
「学校で死んだってこと?」
「そう。これは噂なんだけどさ——3年4組の教室の前で死んでたんだって。教室の中に入ったけどすぐに出てきて、それで死んだって」
「あの部屋って、やっぱヤバいんだね」
「うん……。あとこれも噂だけど」
「続きがあるの?」
「うん。金谷くんの体、見つかった時完全に固まってて、今も石みたいに動かないんだって……」
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