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見知らぬ他人がいつのまにか家の中に隠れ住んでいる。
昔そんなサスペンス映画を見たことがあった。
知らないうちに生活を監視されているなんて想像するだけで恐ろしい。
(……あの映画どんな結末だったっけ)
思い出せなかったがハッピーエンドではなかった気がする。
両親から受け継いだこの家は築年数も古いし、幼少期から長年暮らしているとはいえ、梨沙が知らない場所も多い。
父の荷物が置いてある部屋など手つかずの状態の部屋がいくつかある。
梨沙は家の中の捜索を始めることにした。
右手に武器として包丁を持ち左手に懐中電灯を持った。
もし暴漢に出くわしたとして自分が立ち向かえるとは微塵も思わないが、なにもないよりはましだ。
警察に連絡するべきか迷ったが、警察とはいえ赤の他人を家の中にあげるのはためらいがあったし、まずは自分で確かめてみようと梨沙は思った。
少しでも異常を見つけたらすぐに110通報するつもりだった。
リビング、ダイニング、バスルーム、父の書斎、梨沙の寝室、倉庫、全ての部屋で、人が入れそうな隙間までくまなく探していった。
もし誰かがこの家に潜んでいたら?
お腹の子供はもしかして……。
想像は悪い方悪い方に膨らんでいく。
気が狂いそうな恐怖と闘いながら梨沙は捜索を続けた。
梨沙の不安をよそに、一階の捜索は終わり、床下収納までチェックしたがネズミの糞の一つすら見つからなかった。
続いて2階だ。
2階の屋根裏を覗くのは本当に勇気が必要だった。
脚立を使って、両親の寝室だった部屋の天井の蓋をもちあげ、暗闇が広がる屋根裏に首だけを突っ込み、埃だらけの真っ暗な空間に懐中電灯の光を向ける。
屋根裏の隅々まで明かりで照らして捜索してみたが人が潜んでいそうな気配は全くなかった。
(よかった……)
脚立をおりながら梨沙は胸を撫で下ろした。
その時、突然、玄関のチャイムの音が高らかに鳴った。
梨沙は、ふいをつかれてバランスを崩してしまい、脚立から転げて尻もちをついてしまった。
腰の痛みに数秒起き上がれずにいると、玄関からノックの音と声が聞こえた。
「綿貫さん、宝町警察のものです。ご在宅でしょうか?」
立ち上がって2階の窓から表を見ると、制服姿の中年の警察官の姿が見えた。
警察の方から来てくれるなんて渡りに船に思えた。
相談してみようか。
そう思って、部屋を出て行こうとするとドアが開かない。
何度ドアノブを捻ってもモノがつかえているみたいにドアが動かない。
仕方なく窓を開けて呼びかけようと思って、窓に手をかけたが、今度は窓が開かない。
鍵は開いているのに、たてつけが悪いのか、なにか引っかかっているのか、いっこうに窓がスライドできずびくともしない。
窓ガラスを叩いて、自分の存在をアピールしたが、警察官はしばらくして立ち去ったしまった。
梨沙はイライラと窓ガラスを叩いた。
こんな建てつけが悪いなんて、早く修理をお願いしなくては。
ところが、窓に再び手をかけると、さきほどまでのつかえが嘘のようにスッと窓が開いた。
ドアも同じで何事もなかったかのように開いた。
廊下にはドアの開閉を止めるようなものは何もなかった。
(……なんなの、もう)
しばらく使ってないと家というのはここまでボロが出るものなのか。
それにしても、警察が巡回しているなんて、やはり近隣で大きな事件でもあったのだろうか。
普段、梨沙はSNSをほとんど見ないのだが、ローカルの事件情報などはSNSを調べるのが一番早いのはわかっていた。
『宝町』『事件』で検索してみると数件ヒットした。
「宝町、今日もパトカー出動」
「なんか宝町、最近事件とか事故多すぎじゃね?」
梨沙と同じようなことを考えている人達の投稿を見かけたが、具体的な事件などに言及しているものはなかった。
1週間が経った。
梨沙はまだ病院で検査を受けていなかった。
妊娠周期でいえば6週にあたる。
お腹の子供は、胎芽と呼ばれる状態で 、まだ人の形はしておらず、これから脳や脊髄、神経系、目、耳、口などが作られる段階だという。
一般的に大きさは5〜7mm。
妊娠6週目の子供がお腹の中で脈動するなんてことはありえない。
先日、お腹の中で動いたような気がしたのはやはり気のせいだったのか。
オンライン診療のサービスにはあれから一度もアクセスしていない。
考えないといけないことが多すぎるのに、その上、説教までされたらたまらない。
この1週間、梨沙は仕事を言い訳に、お腹の子供のことを考えないようにしていた。
問題に向き合わずに逃げている自覚はあった。
だけど、他にどうすればいいのかわからなかった。
大口のデザインの仕事の納期が迫っていた。
クライアントは大手ナショナルクライアントで梨沙のデザインした広告を見て声をかけてくれていた。
依頼は、今年開始する新サービスのWebサイトのバナーデザインだった。
今後の仕事のためにも失敗するわけにはいかなかった。
精神的なストレスでろくに睡眠も取れず、体調も最悪だったが、なんとか納期に間に合わせるために手だけは動かした。
その夜。
梨沙は腹痛で目を覚ました。
針で刺されたような鋭い痛みに身をもだえた。
痛みはどんどん強くなり、起き上がるのも困難になった。
全身から脂汗が吹き出し、布団を噛んで呻き声をあげても痛みは少しもおさまらない。
その時、お腹の中で何かが脈動し始めた。
何かが出てこようとしている。
(やめて、痛い、やめて…!)
隆起した皮膚から血が滲み伸びきった梨沙の腹部がはち切れパックリと割れて……
梨沙は全身汗ビッショリで跳ね起きた。
パソコンの前で突っ伏して眠ってしまっていた。
夢……。
『エイリアン』の映画を思い出した。
キャラクター造形の勉強になるからと彼に騙されて観たのだ。
劇中、黒光りするエイリアンの幼体がクルーのお腹を突き破って出てくるショッキングなシーンは、梨沙のトラウマになってしばらく夢にも出てきた。
お腹をさすってみる。
まだ何も感じないが、それでも子供は梨沙のお腹に宿っているのだろうか。
夢は梨沙の不安を反映している気がした。
いまだ2年間引きこもりの人間が妊娠した理由はわからない。
どうか何かの間違いであって欲しい。
その気持ちは消えてはいない。
ふいに涙が溢れそうになった。
この2年、いまほど孤独がつらかったことはなかった。
誰か傍にいて欲しかった。
梨沙は必死で涙をこらえた。
今泣いてしまったら、これまで堪えてきたものが堰を切って溢れてきそうで怖かった。
その時、スマホの通知音がした。
丸山からのSMSだった。
「体調大丈夫?」
メールに返信してなかったので心配して連絡をくれたらしい。
丸山との仕事は区切りがついている。
連絡する必要はないはずだが、梨沙のことを気にかけてくれているようだ。
丸山に話を聞いてもらいたい衝動に駆られた。
けど、こんな荒唐無稽な話をして、引かれてしまったら、それこそ梨沙の精神は耐えられるだろうか。そう思うとためらってしまう。
その時、梨沙は頬に風を感じた。
家の中を風が流れている。
奇妙に思って、仕事部屋を出て、風が流れてくる方へ向かった。
父の書斎として使われていた部屋の窓が開いていてカーテンが風にはためいていた。
梨沙は窓を開けていない。
カタン
そのわずかな音を梨沙の耳は聞き逃さなかった。
カツ……カツ……カツ……
足音……。
家に誰かいる。
反射的に叫び声をあげそうになるが口を押さえてなんとか堪えた。
やはり何者かが家に潜んでいたのか、いや、窓が開いているのだから外から侵入してきたのか。
梨沙は、パニックになりそうな頭を鎮めようと試みた。
どうする?どうしたらいい?
助けを呼ばないと。
スマホは仕事部屋に置きっぱなしだ。
廊下をうかがう。
誰もいない。
足音を立てないよう、気配を殺して、廊下を慎重に歩いて戻った。
仕事部屋までの数歩が何百メートルにも感じられた。
震える手でスマホをとり110番を押す。
その時、梨沙は背後の気配に気づいた。
後ろに誰かが立っている。
フッフッという荒い息遣いが聞こえる。
スマホはあと発信ボタンを押すだけで警察に繋がる。
梨沙はボタンめがけて指を動かした。
しかし、ボタンを押す前に、首に熱い痛みを感じスマホを手から落としてしまった。
細い縄が梨沙の首に食い込んでいる。
ものすごい力で後ろに引っ張られた。
息をしても空気が入ってこない。
首を引っ搔いて縄を外そうとするが、首の皮膚に食いこんでいて、まったく外れない。
手を振り回し、何か武器になるものを探した。
作業机のものを手で薙ぎ払ううちにペン立てを倒した。
こぼれ落ちたハサミに手を伸ばす。
だが、勢い余って指で遠くに弾いてしまった。
視界が霞がかって意識が遠のく。
手に力が入らない。
その時、男の呻き声が聞こえた。
見ると、男の太ももに作業机から落ちたハサミが突き刺さっていた。
縄が緩んだのを見逃さず、梨沙は背後に思い切り体重をかけて男の身体をガラス戸棚にぶつけた。
思わぬ反撃に男が怯んだ隙に梨沙は首にからまった縄を外した。
勢いよく空気を吸い込んだせいで激しく咽せた。
男は戦意を失ったようで、ハサミをふとももから抜き取って捨てると、足を引きずりながら部屋を出ていった。
意識がはっきりとして視界の霞が取れると、梨沙は男が捨てたハサミを拾い後をおった。
廊下に血の跡が点々とついている。
その血は父の書斎の窓の下まで続いていた。
窓から風が吹き込みカーテンがはためいている。
梨沙はカーテンを開けた。
誰もいない。男は逃げたのだ。
よかった……。
梨沙は窓ガラスを閉めた。
次の瞬間、閉めた窓ガラスに男が体当たりしてきた。
白目を剥いて鼻と口から血を流している。
梨沙は悲鳴をあげた。腰がくだけてしりもちをついた。
男はガラスにべったりと張りつき泳ぐようにうねうねと奇怪な動きをしている。
半開きになった口からよだれと血が溢れガラスに不気味な文様を描いている。
梨沙は後ずさりした。
男は何度か窓を開けるような動きをしたのち、突然弾かれたように窓から離れ、間接を曲げて踊るような奇妙な動きで立ち去っていった。
窓ガラスには梨沙の恐怖に歪んだ顔が反射していた。
ーーー15分後。
梨沙の通報で制服の警察官が2名やってきた。
1人は先日、梨沙の家を訪ねてきた中年の警察官だった。
中年の警察官は柳田、若い方は露木という名前らしい。
梨沙が事情を説明している間、柳田と露木はずっと上の空に見えた。
「はい」とか「そうですか」と相槌は打つのだが、心ここにあらずで、本来するべ事件に関する質問などするつもりがはなからなさそうに見えた。
しまいには、「何かありましたらご連絡いただくということで」と露木は打ち切って帰ろうとしはじめた。
さすがに梨沙もおかしいと思い、
「待ってください。殺されかけたんですよ?なにも調べないんですか?」
と語気を強めた。
すると、2人は気まずそうに視線を交わし、「捜査はします」と答えるにとどめた。
露木は自分の首を指さし、「お首大丈夫ですか?病院で診てもらった方がいいですよ」と言った。
梨沙を心配するフリをして話題を事件から逸らそうという魂胆が透けてみえた。
ありえない妊娠の話を伝えたら何か変わるだろうか。
そうも思ったが、さんざん迷ったあげく、梨沙は打ち明けるのをやめた。
梨沙の頭がおかしいと思われるだけな気がした。
わかってもらえないもどかしさが余計に梨沙をイライラさせた。
梨沙は中年の警察官・柳田の方に向き直った。
「先日ウチを訪ねてきましたよね?」
「……私が?そうでしたかね」
柳田の目は泳いでいて嘘がみえみえだった。
しかし、なぜ、そんな嘘をつく必要があるのか梨沙にはさっぱりわからなかった。
この1週間で何の状況が変わったというのだろうか。
柳田と露木の目に浮かんでいたのは怖れだった。
梨沙に対してではない他の何かに対するものだ。
2人は何を恐れているのだろう……。
「捜査が進みましたらご連絡いたしますね」
2人はそういうやそそくさと帰っていってしまった。
血の跡や割れたガラス片などを梨沙は1人で片付けた。
考えれば考えるほどおかしい。
警察が捜査をしないなんて職務放棄ではないか。
彼らの態度はどこか異様だった。
最近、宝町で事件や事故が増えているというニュースと何か関係あるのだろうか。
それに、家に現れたあの男……。
人間の動きとは思えなかった。
そもそも生きていたのか。
まるで死霊のように梨沙には見えた。
(そんなまさかね……)
二階にあがってカーテンを開ける。
この家は少し小高い場所に建っていて、開けた景色が見渡せる。
この辺りは一面の住宅街だ。
ふと表の道路に目がいった。
何人かの人が夜道を歩いているのが見える。
なんとなく見ていると梨沙は異様な光景を目の当たりにした。
道行く人々が一斉に足を止めて梨沙の方を見上げていたのだ。
全員、何の感情もこもっていないガラス玉のような目をしている。
まるで時間が止まったかのようだ。
だが、それはほんの一瞬の出来事で、ハッとした時には人々はもう動き始めて歩き去っていた。
(……なに今の?)
気のせいなのか。
精神的なストレスからおかしなモノが見えたのか。
少なくとも梨沙の疲労が限界を超えているのは確かだ。
わけのわからないことが多すぎる。
脳はとっくにパンクしていた。
それでも、なんとか大口の仕事の納期には間に合わせた。
出来栄えは正直かなりよくなかった。
無理やり完成させたに近いものだった。
今日、納品後初のうち打ち合わせが行われる。
この大口の仕事が落ち着いたら、いろいろ考えよう。
病院にも行こうかと思い直し始めていた。
家の中で襲われても梨沙はまだ一歩も家を出ようとしていなかった。
そんな自分に対して不安な気持ちが日に日に強くなってきていた。
自分の判断を信じられなくなってきている。
指定されたオンラインミーティングに入ると、先方参加者は2名のはずなのに5名もいた。
上役も参加するとのことだった。
嫌な予感がした。
今までの経験上、予定にない急な参加者の増員は、ろくな話に展開しなかった。
案の定、梨沙の仕事を一通り労った後、納品物の出来栄えに納得がいかないという話が始まった。
自分でも自覚はあったので反論しづらいが、
「コンセプトは理解できているか」「お客さんがどう反応すると思うか」など、ねちっこく回りくどく否定するやり方には辟易した。
「ポートフォリオで見た作品とは比べものにならない出来に思えます。どこかご自身の仕事に集中できていない感じがしますが……」
図星だった。グウの音も出ない。
するはずのない妊娠をしたらあなた達にも私の気持ちがわかる。
梨沙は内心で毒づいた。
「あなたには弊社の仕事以外にやるべきことがあるのでしょう」
梨沙が「一からやり直します」と言っても、5人分の沈黙が返ってきただけだった。
梨沙がどう答えようと、聞くつもりなどなさそうだ。
はっきりとは言わないが、梨沙がサジを投げて、「もうできません」と仕事を降りてくれるのを狙っているのだろうか。
自分たちが悪者になることはなくフリーランスのデザイナーが仕事を投げ出した状況に持っていきたいのかもしれない。
正式な契約はまだ交わしていない。
対価の支払いもせずこの話を破算にもっていきたいのだ。
大手だからといって誠意ある仕事の進め方をしてくれるとは限らない。
かえって、こういう、生々しい人間の悪意にさらされることがある。
普段なら、うまく着地点を見出す交渉をしただろうが、今の梨沙はほとほと疲れていた。
彼らの望み通りにするのは癪だったが、この無駄な打ち合わせを早く終わりにしたかった。
「すみません、ではこのお話はなかったことにしてください」
そう梨沙がいうと、クライアントは明らかに安心したような顔をした。
梨沙が諦めるやすぐにミーティングはお開きとなった。
呆然と佇む梨沙を残しクライアントは早々とオンラインミーティングを抜けていく。
オンライン会議上には梨沙だけが残された。
今頃もうクライアントは新しいデザイナーを探し始めているのかもしれない。
悔やしくて惨めで涙がこぼれた。
消えていなくなってしまいたかった。
梨沙は自分だけが映ったパソコン画面と向き合う。
(……私は一人だ)
その時、表から何台ものサイレンの音が聞こえてきた。
消防車数台とパトカーが家の前を通っていった。
(……何の騒ぎだろう)
急いで2階に上がると衝撃的な光景が飛び込んできた。
いくつもの赤とオレンジの火柱。
近隣の家々から火の手が上がっていた。
東の方角に2か所、西の方角に2か所、少なくとも4軒は燃えているのが見えた。
爆ぜた火の粉が梨沙の家まで飛んできている。
まるで戦火の街のような地獄の光景だった。
梨沙はハッとした。
燃えている家の屋根に人のシルエットが見えた気がした。
……人?どうしてあんなところに?
シルエットは灼熱の炎をものともせず平然と立っている。
そして手を広げ燃えさかる炎の海に飛び込んでいった。
トクン……
梨沙は再びお腹の中で脈動を感じた気がした。
おかしなことばかりだ。
一体、この街で何が起きているというのか。
そして、そのことと梨沙の妊娠は何か関係があるのだろうか。
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