不敵な笑みを浮かべる。その時に何を企んでいるか気づくことができていたら。後悔だけが消えない。僕は春華をじっとり睨みつける。春華は下手くそな口笛を吹いて誤魔化そうとするが、到底誤魔化せるレベルじゃない。
「僕が怖いの苦手って知ってるよね?」
春華は振り向かずに心のこもっていない笑いだけをもらす。春華に言ってももうダメだ。せめて1人にならないようくっつくしかない。僕が覚悟を決めた時だった。
「夏輝行くよ!」
力任せに手を引かれ、暗い部屋に連れ込まれる。壁にはべっとりと赤黒い液体が付着していて、その生々しさがなんとも不気味だった。
「わーすごーい、本物みたーい。」
どこまでも能天気な春華の後ろにピッタリと張り付き僕は考えるのを辞める。そんな僕を見て春華は困ったように眉を細める。
「なんか昔よりひどくなってない?大丈夫?」
大丈夫……。なんとかそう答えるのが限界だった。
「ならこのまま進むよ?」
真っ暗な廊下にはポツポツと小さな光が見えるか見えないか程度の豆電球だけがつけられていて、ほとんど何も見えない状態だ。そんな中、春華は1人先に進み続ける。
「ほら、そんな所で尻込みしてないで、先進もうよ。そんなんじゃ出られないよ?」
振り向いて春華は言う。確かに、春華の言う通りだ。進まなければ何も解決しない。勇気を持って一歩踏み出した時だった。突然隣の壁が開いて二の腕を直接掴まれる。声をあげる暇もないまま、僕は1人別の部屋に連れ込まれた。暗い部屋の中、だんだんと目が慣れてきて、僕を掴んだヤツの正体が見えてくる。それは全身真っ赤の化け物だった。
「あぁ……あぁああぁ」
言葉にならない悲鳴が口から漏れ出る。それが僕の目の前まで来た瞬間、僕は勢いよく走り出す。
「あっ、そこはダメ!」
何か聞こえた気がしたが僕にそれが何なのか判断している余裕はなかった。ただ無我夢中に駆ける。どれくらい走っていただろう、僕は狭いお化け屋敷内で完全に迷子になっていた。春華はもう脱出しただろうか、春華が恋しい。僕は座り込む。もう動けない。春華が合流してくるまでここで待っていよう。情けないかもしれないけど、それが僕にできる最善策だった。しばらくそうしていると、不意に白い手が見えた。呼吸が荒くなる。僕を探しているのだろうか、せわしなく動いている。逃げるタイミングを探そうと、その手を注意深く観察する。手は二の腕までが見えていて、その白い肌が露わになっている。そして、二の腕の辺りに水色の見覚えのある袖口が見える。あの手ってもしかして春華?疑惑が確信に変わる。春華の声がした。急いで手に向かって走ると春華の名前を呼ぶ。振り向いたのは顔中血だらけの化け物だった。ふと、腰がぬける。そんな僕に向かって目の前の化け物は駆け寄って来た。
「夏輝大丈夫?ずっと探してたんだよ?」
そう言って化け物はその顔を剥ぎ取る。顔の下から現れたのはずっと探し求めていた春華だった。どうやらお面だったようだ。安心して涙が溢れる。そんな僕を見て春華は一瞬ギョッとするが、すぐに僕を引っ張り起こして背中を撫で始める。
「ごめんね、怖いの苦手なのに無理にやらせちゃって。血が苦手だって言ってたよね。ごめんね、早く出ようか。」
小さい子供をあやすような口調に頷く事しかできなくなる。2人で同じ歩幅で歩いて行く。
「見つかりました!ありがとうございます!」
お化け屋敷の終点につくと、春華は赤い化け物にお礼を言った。通路と違い、この場所は少し明るく、よく見えなかった所もクッキリと見えた。はっきり言うと、この化け物は布に血糊をつけただけの陳腐な物だった。
「それは良かったです。私共もお客様に何かあってはと心配で心配で。大変申し訳ございません。」
深々と頭を下げられる。こうゆう姿を見ると、やはり人間、作り物だと実感する。そして、こっちは楽しませてもらう側だというのにここまで迷惑をかけてしまって物凄く申し訳なくなる。
「こちらこそ大変ご迷惑をおかけしました。」
それに対して僕も深々と頭を下げる。そのまま、そそくさと逃げるようにお化け屋敷を出ると、ベンチに腰掛ける。隣に追いかけて来た春華が座って、僕たちの間に微妙な沈黙が流れる。それを払拭するように春華が口を開く。
「夏輝、二の腕に赤いのついてるよ。タオル貸して、落としてあげる。」
そう言って受け取ったタオルで僕の二の腕を強めに拭う。僕の肌が少し赤くなるまで擦ってから春華は満足そうにタオルを返してくる。
「えっと、ありがとう。それと、情けないところ見せちゃってごめん。」
まともに顔が見れない。俯きがちの僕の顔を掴んで春華は無理やり自分の顔を見せる。
「私は情けないなんて思ってないし、私のお化け屋敷に入りたいって我儘とおあいこでしょ。」
かなり近い距離で目と目が合う。しばらくそうしていると春華は立ち上がって、くるっと回り僕を見る。
「それと、自分が悪いって思ってすぐに謝るのやめた方がいいよ。悪くないのに悪くなっちゃうし、聞いてて気分が下がっちゃう。」
手を差し出してくる。その手を掴むと、僕は春華に強く引っ張られ立ち上がる。手のひらに柔らかい感触が伝わる。
「ヒマワリ園に行く前に、観覧車に乗ろうよ。夏輝は高いところ大丈夫だよね?」
無言で頷く。それを見てから春華は優しく微笑む。とても柔らかい笑顔だった。僕たちは観覧車へ向かって行く。