「はぁぁぁぁぁぁ〜〜〜……」
憂鬱そうに大きな溜息が落ちる。ベッドに寝転がり、天井を睨む善逸。その声は部屋の白壁にむなしく反響する。
「どうしました? 善逸君」
カルテをまとめていた胡蝶しのぶが眉をひそめてる。
「あと、ベッドから降りてください。それ診療用です」
「いやぁ……久遠院さんすげぇなって……」
善逸は体を横にして枕を抱え込み、呻くようにこぼした。
「俺と同じ呼吸使っててさー、爆速で柱になってさー……みんなから慕われてさー……。俺なんか鬼を前にするとすぐ泣き喚いてさ……雷の呼吸だって壱ノ型しか使えないし……きっと俺と比べもんにならないくらい、俺の苦手なコツコツやる努力ってのをしてきたんだろうな……って思って」
善逸の声のトーンは珍しく沈んでいる。普段の騒々しさが嘘のように、その瞳は重々しく半分伏せられていた。
「じいちゃんには悪いけど……俺、久遠院さんの継子になりてぇよ〜……」
ぼそりと落ちた言葉に、胡蝶の手が止まった。
「じいちゃん……育手の方ですか?」
善逸の意外と真剣な様子に、しのぶも姿勢を正して椅子を向き直す。
「あ、はい。桑島慈悟朗っていう元鳴柱で俺が入隊する前から稽古をつけてもらってて……」
その名前を聞いた瞬間、胡蝶は目を見開き、ぱっと笑みを浮かべた。
「まあ! 奇遇ですね。久遠院様も桑島一門の門下生だったと聞いていますよ」
「……え、マジすか」
善逸はガバッと跳ね起き、目を丸くした。胡蝶は穏やかに助言する。
「久遠院様は今、継子を取っていらっしゃらないようですし……相談してみてもいいかもしれません。同じ門下生なら、思ったより気が合うかもしれませんよ?」
「じゃ、じゃあ炭治郎の用事が終わったら話しかけに行こうかな! めっちゃ怖いけど!!」
「ふふっ、良いと思います。強くなれば生存率も上がりますし、討伐の成果も増える。結果的に鬼殺隊全体の士気も上がりますからね……あ、私も一緒に行きましょうか?」
「え? いいんすか!? やったー!!」
安心して善逸は飛び上がらんばかりに両手を振り上げた。
「これで炭治郎や伊之助より強くなっちゃうぞ〜!!」
そのはしゃぐ姿に、胡蝶は思わず目を細め、微笑ましく眺める。
(単純……でも、こういう素直さは、時によって誰かの救いになるのかもしれない)
――そのとき。
「胡蝶。道場借りるぞ」
低く、よく通る声が部屋に響いた。
振り返った瞬間、そこに立っていたのは久遠院光継。その重みのある気配で空気が一瞬で張り詰める。
「ビヤァァァァァ!?!?」
善逸は猫のように飛び上がり、心臓を押さえて絶叫した。
「久遠院様、稽古ですか?」
胡蝶はいつもの落ち着いた声で応じるが、善逸は顔面蒼白、膝はガクガク震えている。
「炭治郎君は動けますけれど、怪我はまだ完治していません。どうか程々にお願いしますね。備え付けの竹刀などはご自由に」
「軽い見取り稽古をするだけだ。心配ない」
久遠院は短く答えると、迷いのない足取りで道場へ向かっていく。その背に、恐る恐る炭治郎がついていった。2人の背中が見えなくなるまで固まっていた善逸は息を吐いてからあれ?と首を傾げる。
「炭治郎の使ってる呼吸って水だよね……見取り稽古って何やるんですかね?」
「さあ……見に行きます?」
胡蝶が目を細めて小さく笑う。
「えっ? いいの? あれ」
「バレなければ大丈夫ですよ、恐らく。それに、善逸君も久遠院様のこと、気になってるんでしょう?」
「……いや、恐らくって怖いんですけど!?!?」
とはいえ、久遠院の継子になることを決意した善逸には、覗きに行かない理由がなかった。
「まあ私も気になるので、ご一緒しますよ。もし見つかったら……その時は私も一緒に怒られてあげますから。ね?」
しのぶの冗談めいた様子に、善逸は肩をガタガタ震わせながら叫ぶ。
「いや怒られること自体は避けたいんだよ!?!? 俺安心できないんですけどーー!!」
善逸の恐怖心は夏の積乱雲のように、どんどん膨らんでいった。