この物語はフィクションです。
実在の人物、団体、事件等には一切関係ありません
目を覚ました僕は違和感を覚えて何度か 瞬(まばた)きをした。
いつもとは違う寝具の感触。
どことなく違う部屋のにおい。
暗い室内にだんだんと目が慣れてくると、自分の部屋との違いがあちこちで確認できた。
大学入学と同時に上京してきた僕の部屋は、安いパイプベッドにシングルの布団を敷き、カラーボックスが二つ並べてあるだけの簡素な部屋だ。
照明もワンルームマンション備え付けの天井に張り付いているタイプの丸いもので、この部屋にあるつり下げ型の照明器具とは違っている。
そっと体を起こしてみると、窓際にかかったカーテンから外の灯りが 漏(も)れているのか、薄い灰色の闇が部屋を満たしていた。
窓の横の壁際には大きな本棚。小学生が使うようなシステマチックな学習机に、不釣り合いなほどに大きなテレビといくつかのゲーム機が床に直接置かれている。
僕は、自分のとは違ってちっともきしまないベッドから足を下ろした。
フローリングの感触だけはあまり変わらずに、足の裏を刺激している。
(電気……は、どこだ)
とりあえず、照明器具からぶら下がっている 紐(ひも)を引いてみたが、手応えはあるものの反応がない。おそらく壁のスイッチで灯りを消したのだろう。
僕は、手を前に突き出したまま入り口らしきドアの方へ向かった。
指でドアの周りの壁を探ってみると、スイッチの感触がある。
押し込んでみたが、照明は反応しない。
(あ、そうか。さっき、紐、引いちゃったからか)
僕は、壁のスイッチをオンの状態にして、先ほど操作してしまった紐を再度引くべく部屋の中央に戻る。
そして、紐を手のひらに納め、引こうとしたとき、目の前の壁に異変があるのに気がついた。
(……なんか、書いてあるっぽいな。こんなのさっきまであったっけ?)
ベッドのヘッドボード側の壁に、何か文字のようなものが見える。
白っぽい壁にはっきりとした色で書かれているのだろう、薄暗い中でも何となく文字であることが見て取れる。しかし判読できるほどには部屋が明るくないことも確かで、僕はその文字を読むべく、照明の紐を引こうとした。
その時だった。
「灯りをつけると奴らに気づかれるよ」
不意に、真後ろから声がかかった。
思わず振り向くが誰もいない。静かな薄闇の空間があるだけだ。
僕は念のため部屋を見回してから、再び手に力を入れようとした。
「生きて帰りたくないのならご自由に。でも、灯りをつければ、きっと彼らは君を見つけるよ」
「だ、誰だ!」
「大きな声も出さない方がいい。この家に奴らが居ないとも限らないんだ」
声はおかしなことに、僕の後ろからだけで無く、前からも横からも聞こえているようだった。
ただでさえ訳のわからない所で目が覚めたのだ。
僕は、手のひらが嫌な汗でぬるつくのを感じながら、慎重に辺りの気配を探った。
「俺を探してはだめだよ。ほら、壁に書いてあるんだろう?灯りをつけなくたって、近づけば読めるさ」
危害を加える様子はなさそうだが、相手が見えないことには不気味で仕方が無い。
しかし、 躍起(やっき)になって探したりして相手の 不興(ふきょう)を買いでもしたら、暴力が加えられないとも限らない。
僕はとりあえず声が言うとおり、文字を読むべく壁に近づいた。
確かにカーテンの隙間から 漏(も)れる外の光で、いくつかの文字は読み取れる。
「……にも……て……は……ない?」
目を 凝(こ)らしても外からの光は家具によって 遮(さえぎ)られ、いくつかの文字を隠してしまっており、どうがんばっても全文を読むことが出来なかった。
「カーテンを開けちゃだめか?」
僕はおそるおそる提案してみた。
「……そっと、めくる程度なら……たぶん」
声は、一瞬の間の後にそう言った。
僕は、カーテンを一気に引き開けたい欲求を何とか抑え込んで、カーテンの 端(はし)をめくりあげた。
街灯が近くにあるのだろう、部屋の中は思った以上に明るくなる。
壁の文字もこれなら読める。そう思った僕は、次の瞬間息をのんだ。
「な、……これ、何だよ」
「読めたか。ここから君が生きて帰る方法はただ一つ。そこに書いてある通りにすること、これだけだ」
壁には、黒っぽいペンキのようなもので
誰にも会ってはいけない
と書いてあった。その文字は決して友好的とはいえない 雰囲気(ふんいき)で、こちらを毒々しく見つめているような、そんな文字であった。
ばかげた、それでいて趣味の悪いいたずらにでも引っかかったのだろうか。
僕は一度深呼吸をしてから口を開く。
「これは、何……ですか。あなたは、誰ですか」
この問いに対し、声は小さくため息をついた後、わずかに雰囲気を和らげて
「どちらの答えも、俺は持っていない。君は自分が誰か、思い出せるかい?」
と言った。
何をばかなことを、と笑おうとして顔が引きつった。
僕は……誰だろうか。
ここに居る僕は……男性であることは確かだ。寝起きに考えたとおりならば大学に入ったばかりの、男。
でも、ここがどこなのか、自分が誰なのかを思い出すことが出来ない。
まるで足元から世界が崩れたかのようだった。
何度も無意味な呼吸と口の開閉を繰り返し、なんとか酸素を脳に送りこむと、ようやくぐらついた足元が質量を取り戻した気がした。
コメント
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なんか、見にくい
他サイトでファンになって新作が始まったあたりで仕様変更があり離れた後読み返したくて探してました…また読めるなんて嬉しいです…! 伏線とかすごくて大好きなのでまた読みます。書籍化したら良いのになぁ…