帝都北部、山岳地帯。
茨の奴隷刻印が施された甲冑が、闇に輝いた。
帝国軍人ロン・デュラが合図を出すと、馬がいななき歩兵が進む。
反逆者ゼゲルを討つ為、集められた正規軍が300人。
対するゼゲルの従えるオークは50もいないとされている。
「奴隷魔法で村人を使役しているとはいえ、脳を虫に食われた死に損ないなど大した戦力にはなるまい。皇帝陛下は慎重すぎるのだ」
ロン・デュラはかつての戦争でゼゲルに敗れたハン・デュラの弟だ。
兄は奴隷魔法などという忌まわしい術に手を出したにも関わらず死んだ。
同士討ちするどころか、反逆者の頭のひとつを取り逃がしていた。
その上、兄がばら撒いた呪いは当時の騎士の身体を操り。今でも血を求めて周囲を徘徊している。さながら、死した君主の命に従い続ける奴隷のように。
デュラ家は否定しているものの。
時折、帝都周辺に現れる首なし騎士と兄の残した奴隷魔法の関係は疑いようもない。
あろうことか、帝都魔道図書館の最新モンスター辞典には「デュラハン」などという、忌まわしい名の首なし騎士が登録されてしまった。
デュラ家の汚名は未来永劫語り継がれることだろう。
だが、その汚名に一矢報いるチャンスがやってきた。
ゼゲル討伐。
積年の恨みを晴らす時がやってきたのだ。
兄が奴隷魔法などという忌まわしい術に手を染めたのは、ゼゲルが奴隷を率いて反逆などしたからだ。
それどころか、ゼゲルは本来軍事の大権を握るムンミウス家の人間だ。それがなぜ、奴隷などという浅ましい者の味方をし、反旗を翻す?
意味がわからない。
いや、そういえば主張はしていたな。
あらゆる人には人権があり。
人はその尊厳を犯しても犯されてもならない。
故に反乱すると。
馬鹿馬鹿しい、余りにも愚かな考えだ。
全ての人には人権がある。
それはつまり、人が平等であるということだ。
そんなことはありえない。
皇帝の血は何よりも高貴で、世俗に生きる凡夫とは比べものにならないし。
奴隷や罪人にも人としての権利があるなど、イカレている。
正当な序列があり、徹底した差別を行えるからこそ、人は平和を築けるのだ。
でなければ、盗みを働いたクズの腕をその場で切り落とすこともできない。
そんなことで、どうやって秩序を保つというのか。
まさかとは思うが、すべての罪人にいちいち裁判を開くのか?
そんなことをすれば、罪人は罪から逃れる為に脱走を企てたり。あらゆる手段を使って嘘の証言をし、証拠を捏造したり。わざと裁判を長引かせて判決を先延ばしにしようとするだろう。
罪が確定しても、それで終わりではない。
人の尊厳を犯せないのでは、首も刎ねられない。
まさか。
処刑しておきながら「尊厳は保たれた」と主張するのか?
愚かな生者の傲慢だ。
そんなことを続けていれば、いずれ人は殺すということがどういう事なのか忘れてしまう。
そうなれば、誰も罪人を殺すことができなくなる。
これは大いなる矛盾だ。
罪人は放っておくと悪さをするから、捕まえておかなければならない。
しかも、殺せないということは罪人を生かし続けなければならなくなる。
罪人であっても腹は減るのだ、雨風のしのげる家も必要になる。
誰が金を出すのだ。帝国か?
帝国が民から税を聴取して、その税で罪人を養うのか?
今、まじめに帝都で働く者の中にはまともに雨露もしのげず。食う者も食えない者がいるというのに、それでもその者から税をとり、罪人を肥え太らせる。
こんなことでは、むしろ罪人になった方がマシだと自ら罪を犯す者すら現れるだろう。
清く正しく働くより、罪を犯した者が優遇される世界。
それは想像しうる限り最悪の地獄。悪徳が賛美される逆しまの世だ。
バカのゼゲルはここまで知恵を巡らせてなどいないだろう。
何という浅はか、何という愚かさだ。
ゼゲルが求める人権なるもの。
到底認めることなどできはしない。
「ロン様、オークの群れを発見しました」
「よろしい、索敵を継続しろ。陽動かもしれん」
配下のライがぐっと引き締まった顔をする。
我が、正規軍は実戦経験に乏しい。
訓練こそ怠ったことはないが、ライなど戦場に出るのは初めてだ。
故に油断せず、規範通りに行動するべきだろう。
「ロン様……人が。村人が倒れています」
別の配下が声を上げた。
「いかがされますか?」
何を言っている。
村人であれば我が帝国の民、皇帝の庇護の対象ではないか。
当然、保護する。
「しかし、虫人は全員殺せとアーカード様が」
馬鹿者!
卑しい奴隷商人の言葉など忘れてしまえ!!
何が虫人だ。
頭に虫がついたくらいで殺すだと?
元は我らが守るべき民ではないか。
治療できるかどうかもわからぬのに、即刻殺すとは何事か。
早く助けてこい!!
「は、はい!!」
回復魔法を扱える僧侶を連れて、兵が村人に駆け寄る。
そうだ、それでいい。
これこそが軍の正しい在り方だ。
だというのにアーカードはオークも捕虜にせず全員殺せと言う。
奴は戦争というものを何も理解していない。
捕虜になる可能性があるから、敵は降参するのだ。
全員殺されるとわかっていれば、決死の覚悟で反撃してくるだろう。
そうなれば余計に無駄な血が流れる。
戦争は相手を殺す為に行うのではない、落とし所を見つける為に行うのだ。
そんなことすら分からぬとは、愚かにも程がある!
「何が影の王、黒き勇者だ。たかが奴隷商人ではないか」
闇を裂く極光、爆発音。
鼓膜がびりびりと震える。
「な、なんだ!?」
振り向いた先には焼け焦げた穴があった。
兵と僧侶が村人ごと光魔法で消し飛ばされている。
光で敵を焼く!?
【聖光よ。闇を焼き払え《ホーリーレイ》】は第六光魔法だ。
とてもオークに扱える代物では。
空中に残った光の残滓を辿ると、一人の老人が杖を向けていた。
頬は削げ、右の目は落ちくぼみ虫が沸いている。
「虫が、人を操り。魔法を使わせているだと」
まさか、ここまで精密に操れるとは。
脳がどこにあるかもわからぬ小虫に、人がこうも乗っ取られて。
焦るな、幸運にも今は夜。
闇に乗じて一旦引き、体勢を整えれば。
「ぐふふ。やはり虫の奴隷魔法は便利だなぁ」
岩陰に潜むゼゲルがにやにやと笑う。
ゼゲルの脳裏にはいくつもの光点があった。
虫である。
ゼゲルは一度刻印した虫の位置を把握できるのだ。
罠として設置しておいた村人につけた虫が一瞬で焼き消えた。
つまり、村人を助けようとした誰かに反応して、奴隷化したジジイが光魔法を放ったのだろう。
ちょっと高位の光魔法が使えるからって説教してきたジジイも、今では虫に脳を食われた哀れな操り人形でしかない。
両手両足の腱を切り、闇魔法で一時的に言葉を失わせた村人(エサ)を設置し、誰かが近づいたら自動的に魔法を放つ。生体罠だ。
『ゼゲル、あなたには虫が見えるでしょうが。オークには見えていませんよ』
「おっと、それもそうだ。さてやるか」
女神に促され、ゼゲルは第六奴隷魔法を唱える。
【血を捧げよ《ブラド・プルス》】
その時、ロン・デュラが率いる軍の周囲が強烈に光り出した。
「な、何だ!?」
その光は、光虫によるものだ。
本来の光虫は繁殖期に穏やかな光を放つだけの虫だが、ゼゲルは第六魔法で虫の命を対価に、数百倍に光らせている。
その証拠に命尽きた光虫が光りながら転がり落ちていた。
「位置が! 位置がばれた!!」
「馬を走らせろ! ここは危険だ!!」
ロンが軍に指示を出すが、突然起こったできごとに兵が対応できていない。
一人であれば逃げることは容易いが、兵を置いて逃げることなどできるわけもなかった。
オークの雄叫びが上がる、位置が補足されたのだ。
こちらは光ってばかりで丸見えだが、オークは未だ夜闇の中だ。
どこから襲ってくるかわからない。
「どこだ、どこから来る?」
武器を構えるロンが最後に聞いたのは、極光と轟音。
どこからか放たれた第六光魔法によって、ロンと兵士は山岳地帯の染みとなった。