テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「不倫!?」
半個室とはいえ、間違いなく両隣の客には聞こえているだろう声量に、史子《ふみこ》がシーッと唇の前で人差し指を立てた。
ハッとして大袈裟に掌で口を覆った美佳《みか》が、テーブルに肘をついて前のめりになる。
テーブルにのっかった柔らかそうな胸は、オーバーサイズのシャツでも隠し切れないほどの大きさ。
「ごめん。でも、マジ!?」
「うん」
史子は美佳と対照的で、スレンダー。
全体的に細く、いつも羨ましいと言いながら内心では細すぎではないかと心配になるほど。
胸も大きいがお尻も大きく、若い頃ならばぽっちゃりと言えた体型も、四十も半ばとなればそんな可愛い印象ではない美佳は、いつも史子の倍の量を食べながら、何度も羨ましいと言う。
「もうね、ずっと家庭内別居状態なの。私が職場復帰してから、生活のリズムが微妙に違うからって寝室を別けてね? それからは食事の時間も別だし、休日も合わないしで。とーぜん、レスで」
よく聞く話だ。
ワイドショーでもネットニュースでもSNSでも、レス夫婦の話はよく聞くし、見る。
流行りの漫画やドラマもそういった内容のものが多いと思う。
「一年くらい前に同窓会があって、元カレに会ったの。結構年下の奥さんがいるんだけど、奥さんは子供の世話で手いっぱいで構ってもらえないって聞いて」
史子は、まるで初恋相手に告白をした報告をする中学生のように、少し恥ずかしそうにはにかむ。
私は黙ってあんかけ焼きそばのえびを口に入れた。
「で、不倫!?」
「酔ってたし、ね? それから時々会うようになって」
「へぇ~……」
美佳が胸をテーブルからおろし、箸を持つと、油淋鶏に突き刺した。
その表情は、好奇心から嫉妬に変わっている。
「だからってわけじゃないけど、美佳も出会いを求めてみる?」
「は?」
頬を膨らませながら、美佳が目を丸くした。
「レスなんでしょう?」
確かに言った。
久しぶりの女三人でのランチに来た、中華店で数分前に。
他愛のない話をして、料理が運ばれてきた時、美佳がハマッている不倫ドラマの話になり、美佳が「今時レスなんて珍しくないよね。うちもだし」と。
それに対して史子が「実は私、不倫してるんだけどね?」と言ったのだ。
「不倫を勧めてるわけじゃないよ? でも、美佳ってあんまり遊びにも出ないし、ストレス発散って言うか、刺激? がないんじゃない?」
そりゃ、子供がいてパートもしてれば、遊びに行く時間なんかないでしょ……。
美佳には三人の息子がいる。
中学生、高校生、大学生で、食べ盛りの育ち盛りの金がかかりまくりらしい。
写真を見たことがあるけれど、旦那さんも揃って五人とも体格がよく、似た者家族だ。
対する史子は、高校生の娘がいる。
史子に似て華奢で可愛らしく、大層優秀だという。
高校生にもなれば、食事さえ用意しておけば自分で食べて片付けられるだろうし、なんならお金を渡せば買って済ませることもできるだろう。
そういう意味では、史子と美佳はまるで違う生活環境にある。
「出会いって刺激的だよ?」
「いや、でも、こんなおばさんなんか――」
「――何言ってんの!? 今時の四十代って二十代よりモテるよ!?」
「そうなの?」
美佳が少し前のめりになって聞いた。
史子が頷く。
「若い子は面倒なことになりがちだけど、四十代にもなれば、人生経験も常識も分別もあるから、割り切って遊べるじゃない」
常識や分別があるなら、不倫なんてしないんじゃ……。
それを言ったら場がシラケるとわかる程度には、私も人生経験を積んでいる。
「そりゃ、史子は若く見えるしスタイルいいし? モテるだろうけど……」
急に卑屈になりだした美佳が、中華スープをすする。
「美佳もちゃんとお化粧して、お洒落したら変わるよ! それに、ぽっちゃりが好きって男の人もいるんだよ!?」
「そう……なの?」
「うん」
話に夢中で放置していた天津飯に、ようやく史子がスプーンを入れる。
「今、よく会ってる人がね? 今度友達も一緒に飲もうって言ってるの。一緒に行かない?」
「え? 美佳の彼に会えるの?」
「うん。あ、さっき話した元カレじゃないけど」
ん!?
「別れたの?」
私は十数分ぶりに言葉を発した。
「ううん? でも、不倫《こういう》相手って、そんなにしょっちゅうは会えないじゃない? だから、一人と付き合うって感覚じゃないんだよね」
要するにセフレが複数いる、と。
「ね! 行こう、美佳」
「え~……。でも、なんて言って出かけたら――」
「――私たちで飲みに行くことにすればいいじゃない。嘘じゃないんだし」
「そっか」
「今週の土曜日は? あ、金曜日の方がいい?」
「今週は無理。息子の部活の大会があるから」
「じゃあ、来週」
「来週なら……」
史子が天津飯の上で楽しそうにスマホを操作する。
スケジュールに登録しているのか、彼氏にメッセージを送っているのか。
「詩乃《しの》は?」
美佳に名前を呼ばれて「ん?」と聞き返す。
「詩乃も行く? 飲みだけでも」
『だけ』という言葉に引っかかりを覚えたが、そこはスルーして小さく首を振る。
「来週は予定があるの」
予定なんかない。
予定がなくても行かない。行きたくない。
「詩乃のとこは旦那と仲いーもんね?」
「悪くはないかな」
当たり障りない言葉を選んだつもりだが、二人には嫌みに聞こえたかもしれない。
それでも、構わない。
嘘じゃないから。
「うちも子供が生まれるまでは仲良かったんだけどなぁ」
美佳が呟いた。
時々言われる。
詩乃のとこは子供がいないから、とか。
以前は言われるたびに胸が痛んだけれど、今はそれほどでもない。
まったく痛まないわけじゃないけど……。
「彼もOKだって!」
「ホント? あ、私、何着てこう」
とにかく、史子と美佳が話しに夢中になっている間に、私のあんかけ焼きそばはすっかり胃袋に収められていた。