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帝都を少し離れた場所に、カピリスの丘がある。
その端はまるで巨人が斧で断ったような断崖で、落ちた先には荒涼とした大地が広がっている。
「む、アーカードか」
酒瓶を持ったオレに気づいたのは聖堂騎士団副団長。リズ・ロズマリアだ。
既に酔っているのか、顔を赤くしていた。
「酔ってカピリスの丘から落ちられては、死んでしまいますよ。ロズマリア様」
「心配で来たというわけか、白々しい。笑いたいなら笑えばいいだろう」
副団長ともあろうものが、酒に逃げるなど。恥ずかしいのだろう。
だからこんな人気の無い場所で酒瓶を傾けている。
リズが度数の高い蒸留酒の瓶に口をつける。
口元を拭うと、憂いが帯びた瞳が月夜に照らされた。
「……ベルッティの件はすまなかった。私が殺したようなものだ」
手をかけたのは、暗殺者です。
ロズマリア様ではありません。
オレの言葉にリズが苦笑する。
「ああ、そうだ。手をかけたのは暗殺者だ。だが、その暗殺者を雇ったのはブルルク商会で、なぜブルルク商会がそんなことをしたかと言えば……原因は私だ」
奴隷を虐待している組織があると聞きつけたリズはブルルク商会に突貫した。
武装した聖堂騎士団に、市井の商人が敵うわけもない。
なすすべ無く捕縛され、教会の地下に引きずり込まれた後、拷問の末に処刑された。
拷問で自白を強要した為、罪人扱いになっているが、実際は無実の者もいたのだろう。
いつもやっていることなので、聖堂騎士団の連中は気に留めなかったようだが、普通はよく調べもせずに人を拉致して拷問にかけると恨まれる。
これまで報復されなかったのは、聖堂教会という巨大権力と聖堂騎士団の理不尽な暴力を恐れて誰も手出しできなかっただけだ。
聖堂教会に属さないベルッティに矛先が向くのは自然な流れだった。
「最近、ふと思うんだ。私は本当に正しいのかと」
リズが不安を口にする。
聖堂騎士団の前ではけして言えないことだろう。
「私はこの目で邪悪を見定め、神の裁きを与えてきた。そこに間違いなどないはずだった」
「だが、ブルルク商会の人間たちを拷問していると。ふと、思うのだ。もしかして、無関係な人も巻き込んでるんじゃないか?って」
普通にそうだと思う。
というか、ようやく気づいたのか。
「薄々勘づいてはいたんだ。だが、それを認めると私は無実の者に罪を着せ、一方的に拷問し、処刑していたことになる。それを認めるのが、恐ろしかった」
「何が正義だ。こんなものが、正義と呼べるのか。こんな」
リズはようやく自分の過ちに気づいたのだろう。
だが、もう手遅れだ。
その血塗られた手でどれだけ祈ろうと、リズはリズを許さないだろう。
自らを呪う限り、たとえ神が許しても、リズは呪われ続ける。
かつて危惧したことが、遂に起こったらしい。
オレは沈痛そうな顔を浮かべながら考える。
ここは一つ「あなたは正しい。何も間違っていない」と気休めを言うか?
リズは感謝してくれるだろうが、何も解決しない。
では、「あなたには罪がある。何もかも間違っていた」と真実を告げるか?
リズはそうだなと苦笑するだろう、そして酒に溺れるに違いない。
リズがアルコール中毒を悪化させ、醜態を晒そうがどうでもいい。
だが、オレとしては少しでも長く暴力装置の役割を担わせたい。
ちょっと情報を与えるだけで、法を無視して拷問にかけ、殺してくれる。
それも全責任は聖堂騎士団が負ってくれるのだ。
こんなに都合の良い手先はそういない。
絞りカスになるまで使い潰させてもらう。
そういえば、リズが飲んでいる蒸留酒もワインの絞りカスで造られたものだったな。
そんなことを思いながら、オレは持ち込んだワインをあおる。
瓶に口をつける下品な飲み方だが、この場においては必要な行為だ。
酔っていなければ許されぬ言葉もある。
「ロズマリア様、このカピリスの丘の下には数多の屍があります」
「いっそ、皆で宴でも開かれてはいかがでしょう」
道化のような言葉にリズが苦笑する。
カピリスの丘の断崖は、天然の処刑場だ。
大罪を犯した市民はここから突き落とされ、転落死する。
埋葬の必要もない、死体は魔物に食い荒らされ、残るのは骨だけだ。
「お前は私に死ねというのか? ふふ、面白い。ははは」
「そうだ。死んでしまえばいいんだ。私なんか」
そう言って、リズは膝を抱える。
自己嫌悪に酔っているのだ。
人はよく死にたいと願うが、ほとんどの場合、本当に死を求めているわけではない。
実際にはどうにもならぬ難題や、不条理があり。
それを解決することができないから、逃避として死を選んでいるに過ぎない。
確固たる目的の為に死を選択したベルッティは止められないが、現実逃避の為に死を求めているだけのリズならどうとでもなる。
「人は罪を犯す生き物です。誰もがそうですし、オレもそうですよ」
「この際ですから、誰にも言えないオレの罪をお話しましょう。リズ様が話してくれたお礼です」
リズは目を見開き、オレの言葉に耳を傾ける。
そうだ。オレには罪がある。
先の奴隷達の反乱、第二ルナックス戦争が起こった発端はオレにあるのだ。