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#追放
カルドはボズワースの戦場を、
泥にまみれながら逃げ出した。
振り返ることは、ついに一度もなかった。
港へ戻り、船を出す。
それが、彼の“国”との別れだった。
やがて
ヘンリー・テューダーは王位につき、
テューダー朝は華々しく幕を開ける。
――だが、それはカルドには関係のない話だった。
後年、彼はこう語る。
「もうな、何もかも嫌になってたんだ」
「仲間と海に出ようって思った。
こんな国、どうでもいいってな」
少し笑って、酒をあおる。
「それでエイシアに行くことにした」
「なんたって――お宝の山だからな」
一拍。
「……でもな」
グラスを指でなぞりながら、カルドは続けた。
「そこは天国じゃなかった」
視線だけが、遠くに落ちる。
「商売ってやつがな」
「きれいな布をかぶってるだけで」
静かに言い切る。
「――中身は地獄だった」
「あいつらは笑って奪うんだ」
夜明け前、海はまだ青ではなく、鈍い銀色をしていた。
やがて東の空がほどけるように明るみはじめると、水平線の向こうから、ゆっくりと光が滲んでくる。
その光に照らされて、海の色が変わった。
濃い藍から、透き通るような青へ。
そして波の先だけが、金を溶かしたように輝きだす。
やがて、陸が見えた。
白い砂浜が、長く、どこまでも続いている。
その背後には、濃い緑が壁のように立ち上がり、風に揺れていた。
見たこともない形の木々が、陽を受けて鈍く光る。
葉の一枚一枚が、異国の匂いを含んでいるようだった。
潮の香りに混じって、甘い匂いが流れてくる。
花なのか、香料なのか、それとも果実か。
鼻に残るその香りは、どこか現実離れしていて、夢の中にいるようだった。
波は穏やかで、まるで船を拒まない。
むしろ――歓迎しているかのように、静かに寄せては返している。
「……なんだ、ここは」
誰かが呟いた。
港にはすでに船が集まっていた。
帆の形も、色も、国も違う船が、
まるで吸い寄せられるようにこの海に集まっている。
人の声が遠くから響く。
笑い声。怒号。取引の声。
それでも、すべてがどこか柔らかく、豊かで、
この場所だけは世界の争いから切り離されているように見えた。
カルドは目を細めた。
「……いい場所だな」
その言葉は、誰に向けたものでもなかった。
ただ、海の向こうに捨ててきたすべてを、
一瞬だけ忘れさせるには、十分すぎる光景だった。
――まるで、ここが天国であるかのように。
「ここに――カルド商会を立てよう。」
希望に満ちた声だった。
船を港に入れ、
カルドはそのまま市場へ足を向けた。
人であふれている。
色とりどりの布、香辛料の匂い、
聞き慣れない言葉が飛び交う。
――確かに、にぎわっている。
だが。
「……何か違うな」
ざわめきの中に、妙な“濁り”があった。
その時だった。
小さな影が、果物をひったくって走り出す。
「待て!」
すぐに捕まった。
店主が、こん棒を振り上げる。
「やめろよ」
カルドが割って入った。
「子どもだろ。いくらだ?」
舌打ちしながら、店主が値を言う。
カルドは無造作に銭を投げた。
子どもは一瞬だけカルドを見て、
すぐに人混みの中へ消えた。
「……こればっかりは、世界共通か」
小さく呟く。
飢えた奴は盗む。
盗めば殴られる。
どこへ行っても同じだ。
カルドは周囲を見回し、
一人の男を呼び止めた。
「おい、お前。案内できるか」
男はすぐに笑顔を作る。
「もちろんでございます」
その目を見て、カルドもわずかに笑った。
「……まあ、そうだよな」
手の中で、銅貨を二枚、転がす。
「向こうから近づいてくる奴なんて」
軽く放る。
「ろくな奴いないのも――世界共通か」
「……でも、それでいい」
男がそれを受け取り、頭を下げる。
カルドはその背中を見ながら、ゆっくり歩き出した。
市場は相変わらず、にぎわっている。
だがその奥で、何が動いているのか。
もう、見え始めていた。
男は、よくしゃべる男だった。
マルコス、とか言ったか。
歩きながら、聞いてもいないことまで、ぺらぺらと話し続ける。
「この町は綿花が有名でしてね」
「畑も広いし、工場もあります」
「全部まとめて仕切ってるのが――」
男は、少し声を潜めた。
「“東エンドア株式会社”でございます」
カルドは、わずかに眉を動かした。
「……ああ」
聞いたことがある。
本国でも、何度か耳にした名だ。
でかい。
金の匂いがする名前だ。
カルドは、何気なく空を見上げた。
「儲けてるんだろうな」
その言葉に、男は笑った。
「ええ、そりゃあもう」
「この町の空気は、あの会社でできてるようなもんです」
カルドは、少しだけ口元をゆがめた。
「……へえ」
一瞬の沈黙。
「じゃあ」
軽い調子で言う。
「挨拶くらいはしておくか」
男がぎょっとする。
「え?」
「でかい顔してるやつには、一応な」
カルドは肩をすくめた。
「礼儀ってやつだろ」
だがその目は、笑っていなかった。