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岩崎は睨みをきかせると、掴んでいる佐紀子の手首を払いのけるかのように離した。
その粗野な動きに佐紀子の体がよろめく。
あっと声をあげ、佐紀子は玄関土間に転がり込んだ。
「な、何をするのですっ!」
転んでしまった恥ずかしさからか、佐紀子は岩崎へ抗議した。
「それは、こちらの台詞です!あなたは、月子に何をしようとしたのですかっ!思い通りにならないなら暴力をふるっても良いのかっ!!」
いつも以上の大声で佐紀子を怒鳴りつけた岩崎は、ただいま、と、怯えている月子へ静かに言った。
「月子、あんパンを買ってきたよ」
岩崎は持っていた紙包みを月子へ差し出す。
ぎこちなく包みを受け取った月子の指先は震えている。
それを辛そうに岩崎は見つつ、佐紀子へ向き直った。
「……月子は、この家に来た時、今あなたが転んでいる土間に、自ら土下座したのですよ!」
岩崎に反撃のような嫌みを言われた佐紀子は顔を歪めた。
端正な顔立ちは、たちまち夜叉の如くに変貌する。
「知りませんわよっ!その子が、その子が、勝手にやったことですものっ!そうやって、同情を引いたのよっ!男爵家に取り入ろうとしてっ!」
「佐紀子さん!!」
岩崎は、有無を言わさず佐紀子の手を再び取ると、強引に立たせ玄関口へ押しやった。
「金輪際、月子と関わってくださるなっ!あなたは、月子を追い出した!ならば、今さらどの顔で頼って来られたのだっ!」
佐紀子は、岩崎の罵倒に近い言葉に苛立ちを見せつつも、その迫力に戦《おののい》ている。
「屋敷が焼けてしまったのは、お気の毒だと思っております。ですから、お見舞いにも伺った。しかし、佐紀子さん、店は被害を受けていない!人を頼る必要などないはずですよ!」
岩崎に問い詰められ、佐紀子は、ぐうの音も出ないというより、悔しい気持ちがあるのか、後退りながら岩崎を睨み付け、そして、月子へ視線を定めた。
「なんで、なんでなの!どうして、あなたには何も起こらないの!!月子さん!あなたが幸せになってどうするのっ!西条家は、西条家は、どうなっても良いのっ?!」
佐紀子は、これでもかと叫び、わっと泣き出す。
ここまで取り乱した佐紀子の姿を見たことがなかった月子は、驚きと恐怖に襲われていた。
蒼白な顔をした月子を見て岩崎は、玄関の上がり口、框に立つ月子へ近寄ると、さっと抱き締める。
「月子、大丈夫だ。月子は、何も悪くない。安心しなさい。月子……」
岩崎は、月子の耳元で優しく囁く。その言葉に、月子も岩崎にしがみついていた。
「佐紀子さん。お引き取り願います」
岩崎が言う。月子をしっかりと抱き締め、佐紀子の姿を見ようともせずに。
ピシャリと玄関の戸が閉まっても、岩崎は振り向くことはなかった。
「……邪魔者は、消えたか」
言いながら、岩崎は月子を落ち着かせようとゆっくり頭を撫でた。
「……大丈夫だ。もう大丈夫だ。安心しなさい。月子」
頭を撫でられ、優しく語られ、月子は、おそらく安堵からなのだろう、ポロポロと涙を流す。
「……佐紀子さんが言った事は忘れなさい。何を血迷っているのか……月子は、何も悪くない。そして、誰よりも、幸せになる権利がある」
月子、と、岩崎が呼びかける。
「私でよければ、私が月子を幸せにしたい。どうだろう?」
岩崎は、なお続けた。
一生添い遂げて、月子幸せにしたいと──。
「約束だ。……その約束をしよう」
言うと、岩崎は月子を抱き寄せる。そうして、優しく口付けた。