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『春、君を想う』
春になると、彼女は決まって嘘をついた。「桜って、そんな好きじゃないんだよね」
そう言いながら、誰よりも長く桜を見上げていた。
高校二年の春。
僕のクラスに、一人の転校生がやってきた。
名前は、朝比奈 澪。
黒板の前に立った彼女は、やけに眠そうな顔で言った。
「……よろしくお願いします」
それだけ。
愛想もない。
笑わない。
友達も作らない。
でも、不思議と目が離せなかった。
彼女は、教室の窓際でいつも外を見ていた。
まるで、この世界じゃないどこかを探しているみたいに
「ねえ」
放課後。
屋上で一人弁当を食べていた僕に、澪が声をかけてきた。
「その卵焼き、甘いやつ?」
「え?」
「甘い卵焼き好きなんだよね」
「……食う?」
彼女は少し迷ってから頷いた。
一口食べて、ぽつりと言う。
「おいしい」
「そりゃどうも」
「なんか、“家の味”がする」
その言葉だけ、妙に寂しそうだった。
それから僕らは、少しずつ話すようになった。
好きな音楽。
嫌いな教師。
将来の夢。
でも、彼女は自分の話だけはほとんどしなかった。
家族のことも。
前の学校のことも。
何も。
ある日、僕は偶然見てしまった。
保健室で、澪が薬を飲んでいるところを。
大量の白い錠剤。
彼女は僕に気づくと、慌てて隠した。
「……見た?」
「いや」
「嘘。顔に書いてる」
澪は諦めたように笑った。
「病気なの」
「……どんな」
「死ぬやつ」
冗談みたいな口調だった。
でも、その目は笑ってなかった。
彼女は、春が終わる前に死ぬらしい。
心臓の病気だった。
手術も無理。
もう長くない、と。
「だから転校してきたの」
夕暮れの教室で、澪は窓の外を見ながら言った。
「最後くらい、知らない場所がよかった」
僕は何も言えなかった。
言葉にした瞬間、本当に終わってしまう気がしたから。
それからの日々は、変に綺麗だった。
一緒にコンビニ行って。
ruruha
#読み切り
海を見に行って。
くだらないことで笑って。
澪は時々、苦しそうに咳をした。
でも僕の前では、なるべく普通でいようとしていた。
ある夜。
帰り道で、彼女が急に言った。
「ねえ、もし私が死んだらさ」
「……」
「泣く?」
「泣くに決まってんだろ」
澪は少し黙ってから笑った。
「そっか」
その笑顔が、どうしようもなく綺麗だった。
五月。
桜はとっくに散っていた。
病院から電話が来たのは、朝六時。
澪の容態が急変した、と。
僕は制服のまま病院へ走った。
息が切れて。
汗だくになって。
病室のドアを開けた時。
彼女はもう、ほとんど喋れなかった。
酸素マスク越しに、小さく笑う。
「……来た」
「当たり前だろ」
「学校は?」
「サボった」
「不良じゃん」
弱々しく笑う。
僕は、泣きそうになるのを必死に堪えた。
「ねえ」
澪が僕を見た。
「最後に、一個だけお願いしていい?」
「……何」
「忘れないで」
静かな声だった。
「私がいたこと」
僕は唇を噛む。
「忘れるわけねえだろ」
「人って、すぐ忘れるから」
「忘れねえよ」
「……そっか」
澪は安心したように目を細めた。
窓の外では、春の風が吹いていた。
「あとさ」
「ん?」
「好きだったよ」
時間が止まる。
僕が何か言う前に。
彼女は、静かに目を閉じた。
心電図の音が、真っ直ぐに伸びる。
世界から、音が消えた気がした。
あれから三年経った。
大学生の僕は、時々あの日の夢を見る。
屋上で卵焼きを食べる夢。
海辺で笑う夢。
桜を見上げる夢。
春になるたび、胸が痛む。
でも最近、少しだけ思う。
悲しいだけじゃなかったなって。
ちゃんと、生きてたんだ。
彼女は。
短かったけど。
ちゃんと笑って。
ちゃんと誰かを好きになって。
生きてた。
だから僕は、今年も桜を見る。
あの日、嘘をついた少女を思い出しながら。
「桜、好きじゃないんじゃなかったのかよ」
風が吹く。
花びらが舞う。
その向こうで、一瞬だけ。
彼女が笑った気がした。
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