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第三章 双界の連続殺人第20話 「揺れる境界、船出の朝」
潮の匂いが朝の空気を満たしていた。
白い霧が港湾ターミナルを包み、巨大な船体の輪郭を淡く隠す。
ガラス壁に反射した朝陽がゆらぎ、人々の影が水面のように揺れる。
甲板の縁から立つ白い蒸気は、世界と世界の境界をぼかすヴェールのようだった。
全長三百二十メートル。乗客八百名。
プール、劇場、カジノ、図書館まで揃えた“海の都市”。
――「観光豪華客船《オルフェウス》号、間もなく出航いたします。」
雲賀サキは、当選した搭乗チケットを高く掲げて叫んだ。
「見て見て! 本当に当たっちゃったんだよ! 懸賞って当たるんだね!」
ハレルは苦笑して肩をすくめる。
「……お前の運、こういうところだけ強いんだよな」
サキの声がふっと落ちる。
「涼さんも来られればよかったのになーー。
ほら、あっちから戻ったあと、少し笑顔も増えてきてたしさ……」
その言葉に、ハレルの胸が少し痛んだ。
――アメ=レアの事件から約三週間。
姉・ユナは意識こそ戻らないが“生存”が確認された。
涼(リオ)も以前より穏やかな表情を見せるようになった。
それでも、あの日のことを忘れられるはずもなく――
そして出発2日前。
涼はアデルに呼び出され、異世界の「絶海の孤島の城」で行われる訓練に参加することが決まった。
毎年、剣技・魔術・捕縛術などの総合訓練が行われる場。
リオは“捕縛魔術の習得”が課題となっていた。
その理由も、行き先も、涼自身がハレルに説明していた。
――『ごめん。どうしても参加しないといけない訓練がある。
でも、スマホは繋がると思う。境界が安定してれば、だけど』
境界が安定していれば――
その言葉が、頭の片隅にひっかかっていた。
背後から木崎が片手を上げて歩いてきた。
「おい、置いてくな。荷物持ってやるから、さっさと乗り込むぞ」
サキが笑顔を向ける。
「木崎さん、来てくれてほんと助かります!」
木崎は肩をすくめ、小声で言った。
「涼くんに頼まれてな。『サキちゃんを頼む』ってよ。
……まあ俺としても調べたいことがあるが」
ハレルが眉をひそめると、木崎の表情がわずかに硬くなった。
■現実・オルフェウス号 乗船口
「ハレル。あの時の“死亡登録9名”の件だけどな……」
木崎はスマホをスクロールさせながら続けた。
「4名は遺体で見つかり、例の“首筋の痣”があった。
残り5名は今も行方不明。他にも行方不明者は多数いる」
サキが不安げに息を呑む。
「大丈夫……?また前みたいなこと起こったらやだな」
ハレルは妹の頭を軽く撫でた。
「大丈夫だ。……俺たちが、そんなこと絶対させない」
ふと胸元のネックレスへ触れる。
冷たい金属が、心臓の鼓動に合わせるようにかすかに熱を帯びていた。
◆ ◆ ◆
■異世界・王都イルダ近海 絶海の孤島
海風が砂を巻き上げる。
白い砂浜の向こうに立つ古城は、どこか時間の流れから切り離されたようだった。
リオは転移直後の場所を見回しながら小さく息をつく。
(本来なら、王都の結界塔に出るはずだったが……
少しだけ位置がズレたか。境界が揺れている影響だな)
転移の“微妙なズレ”。
それは経験を重ねないと分からない感覚だった。
背後から静かな声が響く。
「リオ=アーデン、予定通り到着したな」
アデルが歩いてきた。
白い外套を翻し、腰には銀の剣。
金属のような瞳が冷たい光を帯びている。
「今回の訓練は一週間。君は捕縛魔術が課題だ」
「……わかっています」
リオは落ち着いた口調で答える。
アデルはじっとリオを見つめ、少しだけ目を細めた。
「前に“転移者ハレル”を逃がしてしまった責任は、いまでも私の肩に乗っている。
だからこそ――リオ。
絶対にこの課題に合格できるように頼むぞ。
君をここへ呼んだのは、そのためだ」
リオは姿勢を正し、静かに頷く。
「……任せてください。必ず習得します」
その瞬間、リオのスマホが震えた。
ハレルからの短いメッセージだ。
『船、これから乗る。無事に行けよ』
リオは画面を見て口元を緩めた。
(ハレル……そっちも気をつけろ)
スマホの画面を見つめるリオを、アデルが横目でちらりと見る。
「ハレルからか?」
リオはわずかに目を細める。
「……ええ。向こうの世界で、僕を助けてくれた大切な友人です」
アデルは歩みを止め、白い外套を揺らして振り返った。
「境界はまだ不安定だ。 それでも通信が届くのは――セラの力が働いている証拠だろう」
「はい。完全ではありませんが……まだ、繋がっています」
アデルは短く息を吐く。
「ならば、なおさら急がねばならん。
境界が保っているうちに、学べることをすべて学べ。
――リオ=アーデン」
リオは拳を握り、はっきりと頷いた。
「はい、アデル」
■現実・オルフェウス号 甲板前
サキは大きく伸びをして歓声をあげた。
「お兄ちゃん、すごいよ! ほんとに海の上の街みたい!」
木崎も満足げに見回す。
「こりゃ迷うな。事件が起きなきゃ、最高の旅だが……」
ハレルは階段に足をかけながら、ふっと立ち止まった。
――胸元のネックレスが、**「カチリ」**と微かに鳴った。
ほんの一瞬、青白い光が灯る。
木崎が眉を上げる。
「どうした?」
「……なんでもないよ」
しかし胸の奥では、説明できないざわつきが渦を巻いていた。
(この船で――何かが起こる)
その予感は、海風よりも冷たく、確かだった。