コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
守恵子《もりえこ》が、北の対屋の房《へや》を飛び出し、細殿《わたりろうか》を歩み、西の中門を過ぎた頃、目指す釣り殿が見えてきた。
さて、普段は誰もいないはずの、その場所から、楽しげな声が流れていた。
何事だろうと、守恵子は、不思議に思いながら、更に、歩んで行くと、釣り殿の脇に植わる、白梅の木の周りを、ぐるぐると、童子とタマが、おいかけっこのような事をしていた。
まだ、梅の季節ではないので、花は咲いてはいないが、青葉が茂る低木と、童子の組み合わせは、目に優しいものだった。
きゃっきゃ、と、響く童子の笑い声に、タマが、ふざけて、ワンワン、などと、吠えながら、じゃれあっている。
ふふふ、と、つい、気が立っている守恵子すら、頬を緩めて笑んでしまうほど、とても、愛らしかった。
「あ!守恵子様!」
「守恵子様!」
タマと、五つ六つに伺える、童子が、守恵子に気がついた。
「あら、楽しそうね」
「はい!晴康《はるやす》……じゃない、えっと、晴康様のご紹介で、こちらに来られた、童子様と、遊んでおりました!」
タマが、焦りつつも、嬉しそうに、守恵子へ言った。
「まあ!晴康様の?!じゃあ、常春《つねはる》の元で、働くのかしら?」
守恵子は、そこまでいうと、はっと息を飲み、押し黙った。
そして……。
「タマや、私、一人にしてくれないかしら?」
と、寂しげに、しかし、どこか、冷たく命じた。
「そうですよねー、色々な人が出入りして、守恵子様も、お疲れですよねー」
童子は、年頃に似合わない、口達者ぶりで、タマを抱き上げると、さっさと、立ち去った。
えーーー!ちょっとーーー!いいんですか?!タマ、何で、ここまで来たのーーー!!!
ちらほらと、不満を述べるタマの声が流れて来ていたが、守恵子は、やっぱり、自分の様子を伺う為だったのかと、気が重くなった。
誰かに見られれば、行儀が悪いと、とがめられそうだったが、守恵子は、釣り殿の端へ腰かけて、足をぶらぶらさせてみる。
今にも、袴の先が、接している池に浸かりそうだった。
水面には、朱色《あかい》守恵子の袴が、映り、まるで、鯉でも泳いでいるかのように、見えた。
と──。
その袴の先にじゃれつく何かがいる。
「ん?」
守恵子が、その正体を確かめて見ると、親分猫が、袴がなびく動きに乗じて、前足をちょこちょこちょこ動かしていた。
「あら、親分猫様、どうされたのですか?」
「あー、ワシも、疲れましてなあ。それに、猫ですから、ひらひら動くモノがあると、つい、じゃれついてしまうのです。やや、これは、お恥ずかしいところを、お見せして……」
「えーーー!お、親分猫様、しゃ、喋るのですかっ!!!」
守恵子の驚きの声に、くすりと、小さな笑い声が、かき消された。釣り殿の縁の下から、それは、聞こえた。が、守恵子は、当然、気がついていない。
「晴康様、上手くいきそうですねー」
「しっ、タマ、声が大きい!」
「あっ、すみません……」
縁の下で、うずくまるように、隠れる童子に、密かに叱られ、タマは、小さくなる。
「親分猫、頼みましたよ」
童子は、呟き……、しわがれた声を出した。
「守恵子様、この、爺も、ご一緒してよろしいですかいのぉ」
童子の、声に合わせるように、親分猫はというと、こくこくと頷き、いかにも、喋っているように見せかけた。
「ええ!もちろん!あの……親分猫様?私の、相談に乗って頂けませんか?」
守恵子は、恐る恐る口にする。
皆の制止を振り切って、飛び出した自分の行いを、親分猫も見ている。きっと、わがままな、姫君と
呆れていることだろう。それを、相談などと……。
甘えるのも、いい加減にしろと、言われるだろうと、守恵子は、覚悟していた。
「ええ、かまいませんよ、爺で、お役にたてるなら」
その代わり、お側に行っても?
と、伺う親分猫に、守恵子は、
「はい、もちろんです!どうぞ、こちらへ!」
と、釣り殿へ、誘った。