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「月子、手間をとらせた」
中村に食事を包んでやり、送り出した後、岩崎がすまなさそうに言った。
「いえ、中村様の所は賄いが付いていないのならこれから、ご一緒に……」
中村の食事も用意すると言いかける月子を岩崎が止めた。
「そんな事をしていたら、月子が疲れてしまうだろう?人の為にという考えは良いことだが、暫くは、自分の事だけを考えなさい。生活環境が変わったのだ。無理はしない方が良い」
岩崎からもっともな指摘を受け、月子は俯いた。
「……俯いていても、仕方ない。何か食べなければなぁ。お咲は、朝からまともに食べてないだろう?私達は、汁粉を食べたが……」
言うように、お咲は食べていないに等しいはず。岩崎、中村の膳を用意して結局中村は、まともに箸をつけることなく持ち帰るという形になった。
二人が食べている間に裏でお咲と食事をしようと考えていた月子だったが、中村は長居を遠慮して帰ってしまった。
つまり、岩崎も含め昼を食べそこねている。
しかし、岩崎と月子は、汁粉を先に食べていた。
「……子供に食べさせないのは、まずい。ひとまず、あんパンでも買ってくるか……」
月子が作った料理がある。ただ、中村へ多めに持たせた為に三人分となると怪しくなりそうだと岩崎はそこまで考えていた。
「あんパンなら、お咲も喜ぶだろう。買ってくるから、二人で待っていなさい」
あんパンという言葉を聞きつけたお咲が、きゃっと喜んだ。
岩崎が出掛けて暫く後、玄関のガラス戸が開く音がする。
戻ってくるには、少し早いような気がしたが、月子は、岩崎を迎える為に玄関に向かった。
後ろから、お咲が、あんパン欲しさに付いて来ていた。
「月子さん。お久しぶりね。ごきげんよう」
玄関には、凛としたいつもの佐紀子が立っていた。
火事の見舞いに西条家を訪れた時に見せた、どんよりした目付き、突然、キッっと睨み付けるような不安定さは、佐紀子から消えていた。
やはり火事が堪え、混乱していたのだろう。
元通りしっかりした佐紀子の姿は喜ばしいものであるのだろうが、月子にとっては、心がざわつくものだった。
「お、お咲ちゃん、自分のお部屋へ行ってて……」
とっさに、月子はお咲をその場から離そうとした。何に巻きこまれるか予想がつかなかったからだ。
佐紀子の癇癪が起これば、お咲も泣き出すだろう。
それほど、前にいる佐紀子の顔つきは、いたく、厳しいものだった。
月子の体はぎゅっとこわばる。
「お元気そうね。そうそう、先日は、お見舞いに訪れてくれたそうで、瀬川から聞いたわ。まあ、一応の礼は申しておきます」
どうやら、岩崎と月子が訪れた事を佐紀子は、覚えていないようだった。
「そこで、月子さん。お話があるの」
佐紀子が、ニコリと笑う。
「は、話ですか……」
作り笑いを浮かべた佐紀子は、口ごもる月子には目もくれず目的を淡々と切り出した。
「そう、手短に言うと、少し西条家を助けて欲しいの。あなたに、ではなく、岩崎男爵様にね」
佐紀子は月子へ向かって嫌らしいほど口角を上げた笑顔を向ける。
つまりは、借金の申し入れだと月子にもすぐにわかった。
しかし、佐紀子は申し訳なさそうにする訳でもなく、さも当たり前だと堂々としている。
「あなた、西条家がどうなってもよろしいの?西条家への恩を忘れたの?あんなに世話になった家なのよ?」
佐紀子は月子へ、当然の事を言っているのだとばかりに自身の都合を押し付けて来る。
「そ、それは……。私は、何も言える立場ではありませんので……。お義姉様《ねえさま》どうか、お許しください」
言って、月子は深々と頭を下げた。
「顔をお上げなさいっ!!この役立たずっ!!」
佐紀子の罵声が飛んだ。
びくりと、肩を揺らしつつ月子は言われた通り顔を上げた。ひとまず、佐紀子を落ち着かせようと思ってだが、それは無理な話だと月子にも分かっていた。
「なんなの!その上目遣い!私を馬鹿にしているの?!どうして、西条家の為に役に立とうと動かないのっ!!」
佐紀子は、苛立ちをそのまま月子へぶつけている。
証拠に手を上げ、月子へ向かって振り下ろそうとした。
次に起こる事に対し、月子はぎゅっと目を閉じた。
しかし。
やって来るはずの痛みは月子へ襲って来ない。
変って、佐紀子の小さな悲鳴と岩崎の声がした。
「佐紀子さん、少しやり過ぎではありませんか?」
振り下ろされるはずだった佐紀子の手は岩崎に掴まれていた。