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「…… 」
「…… 」
無言のまま、ルスと僕は服飾店を出た。閉まっていく扉の向こうからは、「ありがとうございましたぁ」と、今にも申し訳なさから泣き出しそうな店員の見送りの声と、店長であるアンズの「大急ぎで完成させますねー」の声とが聞こえてきたが、どっちもにも振り返ることが出来なかった。手には既存品の服が十着程入った袋を持ち、とにかく此処から離れようと考えて一歩、二歩と前に進む。
「す、すごい人…… だったね」
率直な感想をルスが言う。あの後、興奮気味につきつけられた『既製品と同じ価格にしますから、この先の服を全て作らせてー!』と言うアンズの要求を、彼女の勢いに負けて聞き入れてしまったので、この先も確実に長い付き合いになる。だが、ルスはアンズに対して完全に苦手意識を持ってくれたっぽい。
色事の知識が極度に乏しいルスではアンズの発言を半分も理解出来ていないんじゃないかとは思うが、エロい話をされている事くらいは流石にわかっていたのだろう。顔や指先がほんのり赤く染まったままだし、何とも言い難い複雑な顔で再び黙ってしまった。
そんな状態のままさっきからずっと視線を僕と合わせてくれないから、腰を折って顔を下から覗き込むと、ルスは「ひゃっ」と可愛い声をあげて勢いよく仰け反った。その勢いのまま後ろに倒れそうになった体を抱きとめて自分の方へと引き寄せたので、結果的に対面になって抱き締める格好に。
「大丈夫か?」
「あ、あり、がとう…… 」
目抜通りではないにしろ、それなりには人の行き来がある通りなので否応なしに視線が僕らに集まる。背後にある服飾店からは絶対に振り返りたくない熱い視線を浴びせられている気が…… 。だが、恐怖の対象でしかないそっちよりも、照れくさそうに口元を震わせているルスの表情の方にすっかり心を奪われ、目が離せなくなった。
「くそっ。可愛い、な…… 」
不覚にも、ぽつりと呟いた一言のせいでルスの顔がさっきよりも一層赤くなってしまった。恥ずかしそうな顔で僕のシャツをぎゅっと掴み、涙目でこちらを見上げてくる。
「——んんんっ⁉︎」
どういった反応をするべきなのかわからず、頭の中がパニック状態になっているっぽい。別に『ありがとう』でも『そんなことはない』とでも言って適当に流すか、僕を叩くかして逃げればいいだけなのに、根が真面目過ぎてどうしても何か返事をと考えてしまっているみたいだ。
何度も口をパクパクと動かしたが、結局は何も言葉が出ないまま、ルスは自分の顔をそっと両手で覆った。獣耳は伏せた状態になっているが、大きな尻尾は嬉しそうにパタパタと動き続けている。
アレだけのエロトークに晒され続けたからか、意味はわからずとも多少は体に響いたのかもしれないが、それにしたって可愛いが過ぎる。わからないくせに体は反応しちゃうとか、早々に何処かへ閉じ込めておかないとすぐにでも襲ってしまいそうだ。ずっと与えるばかりでこちらは寸止めのままだからか、このまま抱き続けていたら町中だっていうのに理性が飛んでしまいそうでもある。
「きちんと、立てるか?」
「あ、うん」
体を離して少しだけ距離を取る。『私達が出逢った記念のプレゼントですー』と言って押し付けられた服が入る袋を軽く持ち上げ、照れを隠すみたいに「えっと…… 得しちゃったな」とルスに言った。
「そ、そ、そうだね。でも、本当にもらちゃっていいのかなぁ」
「どうせ『タダほど高い物はないんだな』って、後で実感する羽目になるだろうから、今は気にしなくていいんじゃないか?」
「ははっ。確かにー」と言いながらルスが笑った。まだちょっと不自然な笑顔ではあるが、気恥ずかしい気持ちからは、ちょっと気は逸れたっぽい。そんな彼女の姿を見ていると穏やかな気持ちになってくる。でも同時にいつも通り不快感もあって、胸の中は大惨事だ。
思考の傾向性が善良なルスに引っ張られる点は理解出来る。自分は肉体という確固たる器を持たぬ身なので移ろいやすい性質なのだと、ルスとの出逢いで完全に理解した。だけど…… だからって、『可愛い』だ『愛おしい』だなんて考えまで抱くものか?と、ふと生じた疑問への答えにはまだ全く辿り着けていない。夢を通してルスの生い立ちを知り、逃げて来たこちらの世界で幼い弟を育てながら懸命に生きている姿には同情し、褒めてもやりたいくらいだが…… いやいや、そもそもだ!そう思う事すら僕らしくない。おかしい、変だ、あり得ない。
(…… もしかして。ルスが、そう、思われたいから、か?)
そうだ、そうだよ!絶対にそうだ!ルスが求めているからだ!『可愛いって思われたい』『愛おしいって言って、愛して欲しい』って!そうじゃなきゃ、この僕が、そんな感情を抱くはずがないんだ!僕は彼女に憑依しているから、ルスの願いに過剰反応しているんだ、絶対にそうだ、だってそうじゃなきゃ——
ぴたりと思考が停止する。
この先の言葉を拒絶したみたいに、頭が動かなくなった。
「スキア、もう行かないの?」
くいっと服の袖を引っ張り、ルスが僕に話しかける。そんな仕草にすら心の一番柔らかな箇所をきゅっと掴まれた様な気がした。
(…… あ、愛されたいと願っているなら、僕の思考にそうやって介入するくらい愛情に飢えているのなら、叶えてやろうじゃないか。——死ぬ程辛い状況に堕とす前に、望み通り、ベタベタに甘やかしてやる)
「なぁ」
「んー?」
「ヤタとユキの装具を頼んだついでに、僕達の指輪も頼まないか?」
「…… 指、輪?」
きょとん顔で首を傾げたが、すぐにその意味を理解し、ルスが顔を少し赤くした。
「“夫婦”らしく、って事?」
「あぁ、“夫婦”らしくってやつだ。多少の虫除けにもなるし、夫婦間でのプレゼントとして流行っているのならやっておいた方が相思相愛っぽいしな」
「…… 相思相愛、かぁ」とルスが小声で呟く。『わからない、わからない』と他人事として受け止めるでもなく、少し視線を遠くにやる。近くの露店で働いている夫婦の何気ないやり取りを見て、ルスはふふっと笑った。
「いいね。“夫婦”っぽい事、してみようか」
「決まり、だな」
二人で並んで歩き、顔だけ少し向き合って同時に微笑んだ。出逢った初日では見られなかった反応の連続で嬉しくなってくる。
あぁ、ルスを優しく愛したい。でも、ぞんざいにも扱いたい。
全てから守りたい。だけど、全力で壊したい。
一人の中には内包し得ない相反する考えが一気に湧き出してくるから頭の中がぐちゃぐちゃだけど、そんな事がどうでも良くなるくらい、この時の僕は無自覚なまま浮かれていたせいで、また何処か遠くで、鍵でも掛けたみたいな金属音が微かに鳴ったのを聞き逃したのだった。