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(こ、これはどう考えても過保護過ぎだよ、尽くんっ)
個室を占拠するのは別料金がかかってしまいそうで、小市民の天莉には贅沢に思えて居心地が悪い。
「天莉、キミの顔を見ていたら何を言いたいのかは大体想像がつくけれど……この待遇も含めてアスマモルからの慰謝料の一部だと思ってくれたらいいから」
言われて、天莉はハッとした。
確かに天莉が盛られた薬の件は、アスマモル薬品にとっては醜聞に当たるだろう。
それを盛られた天莉が、未認可の薬の服用で身体に異常が残っていないか検査を受けるのだ。
そのこと自体を外部へ漏らさないためにこんな配慮がなされているのだとしたら……個室に通されたのにも納得がいって。
自分が大人しくここにいてスタッフの皆さんの言うことを聞くのはきっと、アスマモル薬品の評価を貶めないためにも必要な措置なのだ。
「分かった……」
天莉がそう答えて、「でも……寝そべっているのは何だか落ち着かないから……座っておくね?」と身体を起こしたのと同時、コンコンと扉がノックされた。
その音に、尽が天莉の方をうかがうように見つめてくるから、検査着の体裁を整えてコクッとうなずいたら、尽が「どうぞ」と返した。
天莉は、てっきり病院のスタッフが入ってくるのだと思っていたのだけれど――。
「初めまして、玉木天莉さん」
よく通る低音イケボとともに入ってきたのはスーツ姿の壮年の男性で。想定外のダンディな異性の登場に、天莉はどうしたら良いのか分からず戸惑ってしまう。
年は六〇に行くか行かないかくらいだろうか。自分の父親より少し年上かな?と思ったのにも関わらず、男性的な魅力と、そこはかとない既視感に心がザワザワと落ち着かないのは何故だろう。
「あ、あの……」
せめて検査着に着替える前だったなら、もう少しまともな応対が出来たかも知れないけれど、着替える際、下着も取るように言われていたから。
そのことを意識した天莉は、慌てて胸の前で手をクロスさせて眼前の男を見上げた。
「……父さん、検査が終わるまで待てなかったんですか?」
尽が、クローゼットから天莉の上着を取って来て羽織らせてくれたことに、心底ホッとした天莉だ。
それと同時、尽の言葉を頭の中で反芻して。
「えっ? 尽くんの……っ!?」
その言葉の意味を飲み込むなり慌ててビシッと背筋を伸ばしたら、
「ああ、そんなに畏まらないで?」
恐縮する余り狼狽える天莉を片手を上げて制しながら、眼前の男がクスッと笑った。その表情が、尽にとても似ていることに今更のように気付かされた天莉だ。
(あ。尽くんに似てたから私……)
尽の父親を一目見た瞬間、かっこいいと思ってしまって落ち着かなかったのだ。
「尽の父です」
言って手を差しだされた天莉は、慌ててその手を握り返そうとして。
「必要ない」
尽にスッと遮られてしまう。
「直樹が言っていた通りの溺愛ぶりだね、尽」
ククッと笑いながら手を引っ込めた尽の父親が、代わりに名刺を差し出してきたから、天莉は今度こそいそいそとそれを受け取った。
小さな紙片に書かれた内容へ天莉が視線を落とすより先に「アスマモル薬品工業株式会社の代表取締役社長をしております、田母神啓と申します」と名乗られて。
天莉は「えっ」と驚きの声を上げた。
***
尽のことを〝尽ちゃん〟と呼ぶ弁護士の桃坂正二郎と、株式会社ミライ社長の伊藤雄太郎、そしてアスマモル薬品社長の田母神啓は高校時代の同級生だ。
アスマモル薬品の跡取り息子だった田母神啓と、一般家庭育ちの伊藤雄太郎、代々弁護士一家の桃坂正二郎には一見接点がなさそうに見える。
だが、三人とも高校ではテニス部に所属していて、そこで仲良くなったらしい。
大学では各々進路が違ってバラバラになった三人だが、大人になって高校の同窓会で再会したのが縁で、交流が再会した。
皆、地元で働いていたのも良かったらしい。
再会当時、啓はアスマモル薬品の副社長を、雄太郎は地元議員の議員秘書を、正二郎は父親が営む弁護士事務所で弁護士をしていた。
父・啓から、跡取り息子として会社に入ることの良い点はもちろんのこと、それ故の面倒臭さを散々聞かされて育ってきた尽は、親の七光りと言われるのが心底嫌だった。
アスマモル薬品の跡継ぎ息子であることをハッキリと理解した高校生の頃には、田母神の人間であることを公言したくないと考えるようになっていた。
高校三年生のとき、進路希望調査票を前にそんな思いを両親へ打ち明けた尽に、父・啓は、進学を機に、母親の実家――高嶺家の養子に入るか?と提案してくれた。
親族の中に跡取り息子の尽を、田母神姓でなくすことに反対する者がいなかったと言えば嘘になる。
だが、その方が尽を生き生きさせると言うのならそれで構わないと母・美羽とも意見が一致したと言われて。
それ以来ずっと。
尽は田母神尽ではなく、高嶺尽として生きてきた。
いずれは田母神姓に戻るも良し。
尽が望むならば高嶺のまま後を継ぐのでも構わないと、啓からは言われているのだが、尽自身まだどうすべきか結論を出しあぐねている。
***
尽が、田母神の威を借りずとも自分の実力だけでどんどんアスマモル薬品の中で居場所を開拓していったのは周知の沙汰だ。
二十代と言う若さで開発研究部所長まで昇りつめたのは尽自身の実力で、啓は一切手心を加えていないと天莉に話してくれた。
アスマモルでの成果は知らないが、ミライでの尽の活躍は天莉だって知っている。
尽が、社員一人一人の顔と名前や所属部署を熟知していることにも驚かされたし、恐らくそのために尽は人知れず努力を重ねていたことだろう。
そんな、何もかもにおいて順風満帆に見えた尽が、初めて辛酸を舐めたのが、今回の試薬の情報漏洩問題だった。
尽は今まで一度も頼ったことのなかったアスマモル薬品の社長――父・啓に頭を下げ、この件の収拾は自分に一任して欲しいと願い出たらしい。
薬の流れ先として突き止めた子会社・株式会社ミライへ、ある程度の権限を持つポストでの出向を手配してもらったのも、それまで父の力を借りずにやって来た尽にとっては苦渋の選択だったそうだ。
けれど、プライドよりも何よりも、事態を収めることに全振りしたかったのだと尽が言って。
父の片腕としてずっとアスマモル薬品にいた直樹の父・伊藤雄太郎が、啓がミライを立ち上げた時に社長として就任していたことも知っていた尽は、かつては幼なじみの直樹とともに田母神邸の一画に家族同然で住んでいた第二の父・雄太郎にも頭を下げた。
直樹が生まれると同時に妻を亡くして苦しんでいた雄太郎に手を差し伸べたのは尽の父・啓だ。
母親の温もりを知らない直樹に、母親代わりをしてくれて、直樹より数か月前に生まれていた尽と同じように接してくれた美羽にも恩義を感じていた雄太郎が、自身もまた我が子同然に可愛がってきた尽の申し出を断るはずがなかった。
妻を亡くしてからミライの社長に就任するまでの十数年間、雄太郎が啓の右腕として仕えていたのは尽の記憶にも、直樹の記憶にもしっかりと刻まれている。
直樹は、兄弟同然に一緒に育った幼なじみの尽のことを、父と啓の関係みたいに補佐したいとずっと考えていたらしい。
アスマモル薬品で尽とともに働いていた直樹が、ミライへの出向にも付き従うと申し出たのは半ば必然で。
啓も雄太郎も、そんな二人の意志を最大限に尊重する形でミライでの席を用意してくれた。
***
そんな話を病院の一室で尽から淡々と聞かされた天莉は、情報量の多さにただただ驚くばかりで何も言えなくて。
「玉木天莉さん。わたくしの管理が行き届かないばかりに、辛い目に遭わせてしまって本当に申し訳ありませんでした」
尽が一通り話し終えるなり、全責任は自分にあると丁寧に頭を下げてきた田母神啓に、天莉はただただ慌ててしまう。
そればかりか、隣に立つ尽まで父親に倣って同じようにするから。
「あ、あのっ、私……ホントにもう大丈夫なのでっ。お顔を上げて下さい」
天莉はベッドから立ち上がると、オロオロしながら二人に寄り添った。
「……天莉、スリッパも履かずに」
そんな天莉をすぐさまベッドへ座らせて、尽がポケットから取り出したハンカチで足の裏を拭う。
「あ、あのっ、尽くんっ、そんな……ハンカチが汚れちゃうっ」
いきなりの下僕ぶりにソワソワさせられまくりの天莉と、甲斐甲斐しくフィアンセの世話を焼く尽を黙って見詰めていた啓が、ほうっと吐息を落とすのが聞こえて。
天莉は恥ずかしさに懸命に足を引っ込めようとしたのだけれど、尽の手がしっかり足首を捉えていて叶わない。
「じ、尽くん! お父様が見ていらっしゃるからっ!」
泣きそうな声でそう告げるなり、啓がふわりと天莉に微笑みかけた。
「天莉さん。情けない話ですが、わたくしも妻も、この子が本当の意味で幸せな結婚するのを諦めておりました。親のわたくしが言うのも何ですが……この容姿です。モテるくせに遊ぶばかりで……本気の相手を作ったところを見たことがありませんでしたので」
啓の言葉に、尽が「父さん、天莉に要らないことを吹き込まないで頂けますか?」と牽制したのだけれど。
啓はそんな尽をちらりと見遣るとふっと顔をほころばせて、「手のかかる子ですが、尽のこと、よろしくお願いします。――わたくしも妻も、天莉さんが家族になってくれること、心待ちにしておりますので」と天莉の手を握った。
「はい……」
天莉が答えるより先に、尽がその手を振りほどかせたのは言うまでもない。