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「ま…………松山……専務っ!」
店から少し距離のある所に、スマートフォンを耳に当てた廉が佇み、ゆっくりと、それを持っている手を下ろした。
優子は、クッキリとした瞳を丸くさせながら、かつての上司を凝視している。
「三年振りだな。優子」
廉は、スマートフォンを操作させた後、彼女のブースに緩やかな歩調で近付き、唯一、売れ残ったネイビーブルーの二つ折り財布を見やりながら、手に取った。
「あの時と同じ、君の製作した財布は……作りがしっかりしている。革の肌触りも、すごくいい……」
彼は財布をしげしげと見つめながら、指先で革の感触を確かめるように撫でていた。
「あ……ありがとうござい……ます……」
在職中と変わらず、彼女の鼓膜を優しく揺さぶらせている、穏やかで心地のいい低めの声。
優子は、人生の指南をしてくれた廉に、首を垂れた。
「あの同伴の時、もし君が、皮革工房を始めるのなら、俺が優子の店の最初の客になるって言ったのに、なれなかった。だから、この財布…………」
俯き気味に、彼女の商品を見て触れていた彼の指先がピタリと止まり、眼差しを交差させてきた。
「…………俺に……売って欲しい」
製作したネイビーブルーの財布を、慈しんでいるかのように、手にしている廉。
「もっ……もちろんですっ。お……お買い上げ……ありがとうございますっ……」
勢い良く一礼し、代金を受け取ると、透明の袋に財布とオンラインショップの紹介カードを入れ、お釣りと一緒に廉へ手渡す彼女。
「ありがとう。大切に…………愛用させて……もらうよ」
廉は目を細め、柔らかな眼差しで優子を包んだ。
革の買い付けで、鮮やかで深みのあるネイビーブルーのイタリアンレザーを見つけた時、優子は、廉を思い浮かべていた。
彼の愛車の色と同じような色のレザーに、彼女は迷わず仕入れ、二つ折りの財布を作った優子は、イメージしていた人の手元にあって嬉しい。
彼が、最後の一点を購入してくれたお陰で、用意していた製品は完売し、彼女は安堵のため息を零す。
けれど、閉店時刻を過ぎ、そろそろ撤収して、運営担当者に挨拶をしないとならない。
「松山専務。今日はお立ち寄り下さり、ありがとうございました。そろそろ撤収しないといけないので、これで失礼します」
優子が深々と一礼すると、荷物とキャリーケースを持ち、立ち去ろうとした。