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緊迫感のある怒声が室内を包んでいた――
「ちょっと待てイチル。少し冷静になれ、本当にこれでいいのか?!」
男の顔は本気そのものだった。 イチルの腕を掴み奥の個室へと引っ張ったマティスは、常に冷静さを求められる自分自身の立場も忘れ、執拗に何度も繰り返した。
「ちゃんと考えろ。11億ルクスもの金を、どこの誰とも知らん奴のために使うなんて正気か。悪いことは言わん、白紙に戻せ!」
「何度も説明したろ。時代は逃げから受け、俺はダンジョンを案内する側から、ダンジョンを運営する側に回ると決めたんだ」
呆れ果て天を仰ぐマティスは、それでも大事な|お得意様、かつ旧知の仲であるイチルを殴るわけにもいかず、深呼吸を繰り返しながら、ただこんこんと言い聞かすしかない。
「何度も言うが、AD《アトラクションダンジョン》はお前が考えるほど甘い世界じゃない。場所、費用、中身、人、規模、そしてランクに至るまで、綿密に、綿密に計画し、ようやく実現するものなんだ。それだけのことをしても数パーセントしか形に残らないような過酷な世界なんだぞ?!」
「ならピッタリだ、マティスは俺の性格くらい知ってるだろ」
「よーく知ってるさ。無鉄砲で向こう見ず。誰よりもスリルを愛し、多少の無茶はいとわない、正真正銘のクレイジー野郎だよ」
「俺ってそんな印象なの……?」
「少なくとも俺はそうだね。しかも、だ。聞けば前に聞いたゴミ物件を|わざわざ買い取り、しかも|ゼロから始めるってお前……。どうかしてるを通り越して狂ってるよ」
「俺の金をどう使おうと俺の勝手だ。それに自らダンジョンをどうこうしようってわけじゃない。実際に運営するのはフレアだ」
ドンッと勢いよくテーブルを叩いたマティスは、「それこそ舐めるのもいい加減にしろ」と我を忘れて激昂しイチルに顔を寄せた。 この男は本当にナイスガイだなとしみじみ頷くイチルに対し、紅潮した鼻先をぐいぐいと押し付けたマティスは、「お前が許しても、俺が絶対に許さんからな」と頑として譲ろうとしなかった。
「しかし貸主には払うと伝えてしまったからな。話がこじれる前に支払いを終わらせたいのだが(既にこじれてるけどさ……)」
「出さんと言ったら出さん。それによく考えてもみろ、お前らアライバルの仕事には莫大な金がかかるだろ。ダンジョン内の拠点確保や移動設備の開発、特に専用魔道具の製作には恐ろしい費用と時間がかかる。世界はお前たち《本物》を必要とし、今この瞬間もどこかで登場を待ちわびている。ともすれば、その金は、お前を望む者たちのために使われるべきじゃないのか。だからこそ俺たち凡夫は、お前たちのしている非合法的な金品授受やダンジョン活動にも目を瞑ってきた。……よく聞けよ、その金は俺たちを含めた平穏を求める弱者たちの期待の裏返しでもあるんだ、そのことを忘れないでくれよ!」
こりゃまいったねと頭を掻いたイチルは、いつからアライバルが公明正大で、それほど人々の尊敬を受けるものに成り果てたのかと首を振った。
「そう言うけど、むしろ俺のような輩なんぞは、世間からはただの欲深い悪人だと思われているさ。撤退や逃亡を理由に貴族や金持ちから金品を巻き上げ、自分だけ安全にダンジョン内を動き回っている。しかも核となる主に挑戦することなく、美味しいところだけをむしり取っている、ってね」
しかしマティスは、バシンとテーブルを叩いた。
「世間は何もわかっていない。俺は実際に、お前たちの仕事を長年この目で見続けてきた。冒険者にも様々な奴がいる。腕力に優れた者、魔力に優れた者、一撃に秀でた者など、種類は様々だ。しかしその誰もが、目的の場所に到達できなければ力を発揮することすら叶わず終わる。……だからこそお前たちアライバルは、あらゆる手段を駆使し、力を温存させたまま彼らを目的の地まで送り届けるんだ。誰よりも率先してダンジョンを開拓し、攻略までの道筋を最大限に高める努力を惜しまず、日々精励を繰り返す。中にはただの運び屋、コソドロと馬鹿にする者もいるだろう、しかしそんな奴らには言わしておけばいい。お前たちアライバルは偉大だよ、俺の誇りだ!」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ。でもそりゃ違う、しょせん俺たちはダンジョン攻略を諦めた運び屋の負け犬さ」
言葉を付け足したイチルは、今すぐ金を頼むと依頼した。
「なぜそこまで肩入れする。何よりそれだけの金を使ってしまえば、もうアライバルには戻れなくなるぞ。今は少しでも出費を抑え、次に繋げるフェーズのはずだ、違うか?!」
「それはそれ、これはこれさ。俺が何に投資しようが俺の勝手だ。それに――」
イチルは指を一つ立て、名残惜しさの欠片もなく言った。
「俺はもう、アライバルには戻らない。ここでの俺は、生まれながらに《エターナルダンジョンのアライバル》だった。だからこそ、その終焉とともに使命も終えるのさ。そしてこれから先が、やっと俺の人生。止めてくれるなよ」
ポンと肩を叩くが、マティスはイチルの腕を掴まえ、目に涙を浮かべながら「辞めるな、お前はまだ辞めちゃいけない」と、徹底して反論をやめなかった。
「しかし勘違いしてくれんなよ。俺がこれからしようとしていることは、未来への投資だ。わざわざドブに捨てようってわけじゃない。……俺はあいつに賭けたのさ」
恐る恐る個室に入ってきた別の担当者が、「あのぅ」と声を掛けた。 運ばれてきた手付け金を勝手に受け取ったイチルは、金を一つにまとめながら、マティスに質問を投げかけた。
「マティスはさ、絶対死ぬとわかっていても、立ち向かっていくことはできるかい?」
「俺には無理だ。……家族もいる。命は惜しい」
「ダンジョンにも色んな奴がいたよ。絶対の自信を滲ませる奴や、おどおどしてる奴。金に目が眩んだ奴もいれば、何を考えているかわからない奴もいた。しかし、事《 死 》を前にした時に見せる反応は二つしかない。勇気と自信を振り絞り立ち向かうか、逃げるかのたった二つさ」
「望んで挑戦したんだ、全員が前者に決まってる。そうでなきゃ、冒険者など成立しない」
「しかし実のところ、ほとんどは後者だった。俺はラストデザートに立つ者に、必ずこう声を掛けた。《その階段を降りれば、キミは五秒後に死ぬ》とね。ほとんどは怖気づいて、態度を急変させたよ」
「何が言いたいんだ!」
イチルは少し間を開け、初めて少しだけシリアスな表情で言った。
「同調圧力もなく、つるまず、たった一人……。死ぬとわかっていても、全ての力を尽くして進むことができるってのは、もはや一つの才能なんだよ。それが自殺志願でもなく、諦めでもなく、やけっぱちでもなく、たった一つの希望を掴むためだとしたら、……誰かが助けてやらなきゃいけない。そんな誰かに手を差し伸べ、導いてやるのが、俺たちアライバルだ。違うかい?」
金を受け取り礼を言ったイチルは、それをそのままマティスにボンと手渡した。 その上で、細かい話はそっちで頼むと依頼した。
「ハァッ?! 自分でやるんじゃないのかよ!」
「俺は面倒事から逃げるのが仕事なんで。じゃあ後は頼んだ!」
待てと手を伸ばしたマティスの肩をポンポンと叩き、イチルは逃げるようにドス=エルドラドの換金所を後にした。
ひとまず借金の件は方が付いた。 しかしイチルは、これからどう進めて行くべきかを迷っていた。
行動には先立つものが必要である。 目的と目標がなければ、人は動くことができない。 当然、それはフレアも例外ではない。
『父親のダンジョンを守る』という明確な目的さえあれど、『ランドをどうしたい』という目標はまるで窺えなかった。何よりもダンジョンはフレアの父親の理想でしかなく、フレアのそれではない。だからこそ、指針のない者はすぐに足を止めてしまいかねない。
急ぎ足でラビーランドへと戻ったイチルは、さんざっぱら破壊された施設の全貌を一つ一つ細かに見て回った。すると最後に覗いた穴の底で、もぞもぞと作業しているフレアの姿を発見した。
「そんなところで何をしてる?」
「……別に」
「素っ気ねぇな。オーナー様が直々に見にきてやったんだぞ。挨拶の一つもなしか」
「うるさいな。まだここが犬男のものじゃないことくらい知ってるんだからね!」
「厳密には月末から俺のものだな。しかし嫌ならさっさと金を返すことだ。それすらできないのなら、愛想くらいは良くしろ。……嫌なら別の奴を雇うぞ?」
「うぐぐ、汚い犬の大人め」
「んなことはどーでもいい。これからについて決めておくことがある。小屋で待ってるからすぐ戻ってこい。すぐだぞ」
数分後、心底不服そうに戻ってきたフレアを座らせたイチルは、少しだけ真面目な顔をした。
「始めに言っておく。俺は金も出すし、口も出す。しかし運営に直接手を出すことはしない。簡単に言うと、これからフレアは、俺の手を借りず、ここを運営していくことになる」
ポカーンとイチルの言葉を聞いていたフレアは、しばし頭の中で言葉を咀嚼してから、ホッと胸を撫で下ろした。しかしその安堵は間違っているとクク豆を弾いてフレアの額に当てたイチルは、最も重要な部分を指摘した。
「当然だが|ノルマを敷く。父親が戻ってくるまで何事もなく誤魔化せると思ったかバカモノめ」
ハッと現実に引き戻されたフレアは、イチルのペースに飲まれていたことに気付き、フンとそっぽを向いた。
「しかし俺も鬼じゃない。すぐ金を回収できるとは思っていないが、それほど気が長い方でもない。ダラダラ事が進まないのだとしたら、即刻取り潰して売り払うつもりだ。嫌なら必死で動くことだ、わかるな?」
ムッとして横目で睨んでいるうちはまだ序の口。 すぐにその余裕もなくなると、イチルは紙ペラ一枚をフレアの前に置いた。 そしてこれから自分たちが進むべき道を示してみせろと命令した。
「これからダンジョンをどうしていくのか。フレアの理想を俺に示せ。ここをどうしたいのか、具体的に表現してみろ」
暴力的な話でもされると想像していたのだろうか。 フレアは困惑しながら、紙とペンを手に取った。
しかし一向にペン先は動かなかった。 五分、十分と時間だけが進み、イチルが嫌らしく「早くしろよ」と催促した。