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「よっ!花嫁御寮のご登場!」
軽口を叩きながら、男爵家お抱え運転手の三田は、エントランスに止めた車の後部座席のドアを開けた。
三田のからかいに、集まっている屋敷の皆から軽い笑いが起こる。
「……もう、三田さん!」
照れながら俯くのは、黒の留袖、角隠しという花嫁衣装を纏う梅子だった。
「あっ、ご挨拶を……」
梅子は、慌てて皆へ向き直る。
「皆さん、どうもお世話になりました。そして、旦那様、車の手配まで、もったいないことでございます」
「もったいないも何も、梅子、君の晴れの日だからね。それに、車で乗りつけてこいと言われたんだろ?」
男爵が微笑みながら言った。
「そうなんですよー!悟《さとる》のお調子者ったら!全く!男爵家から嫁いでくるんだから、それらしくしろって!」
しおらしかった梅子に、いつもの勝ち気さが戻り、頬を膨らませる。
「ははは、それはいい!……が……梅子……」
梅子の調子につられて笑った男爵が言葉に詰まる。それを追うように、礼装姿の芳子が、
「梅子?その、お調子者の悟って、誰のこと?」
ポカンとしながら、問うて来た。見送りに集まっている皆も、同様にポカンとし、首をひねっている。
「あっ、うちの人っていうか……田口屋さんのことです」
少しはにかみながら、梅子が皆の問いに答えたとたん、
「えーー!田口屋さん、田口悟のお調子者って、名前なの?!」
芳子の悲鳴があがる。
「いや、芳子。田口屋さんは、田口悟ということだと思うけど?」
「京一さん!でも、田口屋さんは、二代目でしょ?私、田口二代目だと思ってたわっ!」
「はい、奥様。結局何でもいいんですよ。二代目だろうと、田口屋だろうと。なのに、月子様を真似て、悟さんと、名前を呼べって、言い張ってて。なんか、気恥ずかしくて……」
梅子が、仔細を説明するが、その場にいる全員が、驚愕していた。
まさか、二代目に、悟という名前があると信じられなかったのだ。
そう言えば、神田の家を始めて訪れた時、月子は、二代目から自己紹介を受けて、名前を聞いたような気もするが、皆同様、驚きを隠せない。
だが、それ以上に、梅子の告白じみた、月子の真似をして名前を呼び合うという響きに、一気に照れが襲ってきた。
梅子の晴れの日。二代目との祝言の見送りに、まさか、自分たちの事が出てくるとは月子も思っていなかった。
「あっ、梅子さん。二代目さんって、悟さんなんですね……」
と、なんだかはっきりしないことしか言えない。
「そうなんですよねー、悟、って呼んだら、みんなこの反応。二代目でもいいんじゃないかって私も思ってて!」
アハハと、梅子は花嫁らしくない豪快な笑いを見せた。
「まあまあ、盛り上がっているところ申し訳ございませんが、そろそろ車に乗ってもらわないと遅れてしまいますよぉー」
三田の一言に、皆ハッとして、梅子へ祝福の言葉をかけ始める。
こうして、仲人兼後見人として男爵夫婦も車に乗り込み、梅子達は、祝言の場でもある、田口屋へ向かって行った。
「さあ、見送りは終わったわ。あとは、京介様のお帰りを待つだけね。では、月子様……」
清子が、フフッと笑う。その姿には、何か企みが感じ取れる。
「あ、あの?」
恐る恐る月子は、清子へ尋ねると、思いがけない言葉が返って来る。
「月子様、祝言の準備ですわよ!急いで急いで!」
「ちょっと、待ってください!清子さん?!どういうことですか?!」
今日は、二代目と梅子の祝言の日であって、月子は、ただ最後の見送りに出てきているだけだのだが……。
「おや、月子様お聞きになっておりませんでしたか?どうせなら、京介様と月子様の本祝言もと、芳子様の発案でございます」
謎を解くかのように、執事の吉田が口を挟んで来る。
もっともな顔をして、本祝言をと言われても、月子はどう答えて良いのかわからない。
「……あ、あの、でも。急過ぎて……それに、京介さんは、演奏会に行ってますよ……ね……?」
「はい。お戻りになりましたら、祝言を。ちょうど田口屋さんの所が終わりを迎えることでしょう。男爵ご夫婦も、戻られると、都合が良いではありませんか?」
吉田が、平然と答えてくれる。何が何だかの言い分に、月子には、続く言葉がなかった。
何故か皆も頷いていて、どうやら、知らなかったのは、京介と月子、主役の二人だけのようだった。
そして、有無を言わさずと、月子は清子に手を引かれ、屋敷の内へ引っ張っていかれる。
「あ、あの、あのですね!」
あまりにも急ではないかと、月子は抗うが、
「お支度はすべて整っておりますので、ご安心を」
吉田が、頭を下げてくる。
「さあさあ、皆、準備、準備!」
清子は、きっと、顔を引き締め女中頭らしく皆へ発破をかける。
一瞬にして、皆持ち場へ戻って行き……。慌ただしくも、この妙な結束に、月子はなすがままになるしか無かった。