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イナリは両手を掲げた。丁度、両手に僅かに欠けている月が乗るような形になる。
「それよりも、明日のことは平気なのか? 先輩という人間を探しに行くのだろう?」
「先輩って言うのは敬称のようなもんだ。正確には赤木信二。隣の市にある千野田大学理工学部の三年生だな」
「フム、そうか」
「とりあえず、文也と一緒に放課後行ってみる。上手く説得して、プールに連れて行けばいい」
「そうだな。私の神通力でプールに結界を張り、中西玲奈の姿を浮かび上がらせる。そうすれば、おかしな機械を使わずとも、典晶も文也も、赤木信二も玲奈の姿を見る事ができよう」
「その時は宜しく頼むよ」
「任せておけ」
気がつくと、蛍の光が周囲に満ちていた。掲げたイナリの両手に吸い寄せられるように、沢山の蛍が近寄ってきた。これも、イナリの神通力なのだろうか。一匹、二匹と、蛍がイナリの手に降りて目映い光を放つ。手の中に光が満ちた所で、イナリは掲げていた手を下ろした。
「へぇ、綺麗だな」
沢山の蛍がイナリの手で緑色の光を点滅させていた。
「ああ、そうだろう。だが、こいつらは美しいだけじゃない」
イナリは目を細めて蛍を見つめる。淡い燐光に照らされるイナリを、典晶は呼吸を止めて見つめていた。月明かりの中に晒されるイナリは、この世の生き物とは思えない程美しい。惚れ薬を飲まされてしまったかのように、典晶の目はイナリの顔に釘付けになった。ボンヤリと見つめる典晶の前で、緩慢な動作でイナリが動いた。蛍を湛えた手が僅かに上がり、顔が手に近づく。イナリは手にした蛍を口の中に放り込んだ。バリバリと噛み砕き、ゴクリと喉を鳴らして嚥下する。
「ちょっ! お前、何やってんだよ!」
思わず仰け反る典晶。イナリの行動に典晶は一瞬にして現実に引き戻され、奈落に叩き落とされた。唇に付いた黒い羽をペロリと舌で舐め取ったイナリは、驚く典晶を見て「あっ」と目を見開いた。
「すまない典晶、いつもの癖でつい食べてしまった。でも安心しろ、まだ沢山いる」
イナリは手に残っている数匹の蛍を差し出してくる。
「足りないなら、まだ集めるが」
「いい! いらない!」
思い切り典晶は首を横に振る。
「イナリ、お前、そう言うのを食べるのか?」
「蛍のことか? 昆虫全般なら何でもいけるな。だが、私としてはヤモリやイモリ、カエル、人で言う所の両生類や爬虫類が好きだな。今の時期ならマムシが旨い」
一瞬忘れそうだった。こんなにも美しいが、彼女は人ではない。原型が狐だから、きっと雑食でどんな物でも食べるのだろう。
「……イナリ、少なくとも、人間の姿でいるときはそう言うのを食うのは止めろ」
「まさか、人間は昆虫を食べないのか?」
「信じられない」と目を剥くイナリ。典晶と同じように、イナリも人間の食性はまだ馴染みがないのだろう。
「イナゴとか、場所によっては蜂の子とかタガメとか食べるけど。基本的に俺は食わない……。ちなみに、両生類と爬虫類全般もな。鳥や魚なら食べるけど」
「………虫を食う女の子は嫌いか?」
「食べ物で好き嫌いはしないけど、目の前で食われると、ちょっと引く……」
あからさまにショックを受けるイナリ。今まで自信に満ち溢れていた表情が崩れ、目には涙を浮かべた。
「……そうか。以後気をつける」
シュンッと項垂れるイナリは、手にした蛍を未練がましく見つめると空に放った。
蛍はイナリの手から無事逃れた喜びを表すように、星が輝く夜空に美しい光を灯した。