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Side 青
降る雨の中、その店のランプはオレンジ色に光っていた。
濡れたガラスの中から放たれる暖かい光に吸い寄せられるように、俺はまた、カフェ「turquoise」のドアをくぐる。
持っていた傘を傘立てに入れると、近づいてきた店員の口が何やら動く。でも何回か来たことがあるから、何を言ってるのかは大体予想がつく。
今は、「何名様ですか」みたいなところだろう。
俺は指を一本立てて表す。手話だったら横向きで表すんだけど、ろうの人と接するとき以外はジェスチャーを使う。
手のひらで店内を示され、俺はカウンターに歩みを進めた。
一人の男性がコーヒーを嗜んでいたから、少し離れた席に座る。
またやってきた店員に、メニューを開いて「ブルーマウンテン」の写真を指さして伝えた。水色のエプロンを着た女性は何か言って、頭を下げたあと厨房へと去っていった。
ここの人は、どうして俺が何も話さないんだと不思議に思ってるんだろうか。
ろう――耳の聞こえない友人に教えられたこのカフェに来たのは、たぶん今回で片手で数える回数を超えた。我ながら、お気に入りの店が見つかるというのは珍しい。
俺は生まれつき耳がほとんど聞こえない。言葉も音も知らないから、声は出せるけど話すことはできない。
だから、健聴者の世界に自分から入るなんてことはなかった。それを変えてくれたのは、同じろう者の友達だ。俺を連れて色んなところに遊びに行った。
その一つが、このカフェ。コーヒーも美味しいし、何より音は聞こえないけど見てもわかる「静けさ」。俺にとっては、やっと心が落ち着く場所が見つかった。
白い漆喰の壁に、ウォールナット調のテーブルや椅子。そして、要所要所に置かれた小さな観葉植物。
家以外に、ちょうどよく気分転換ができる空間だ。
今日は珍しく平日に仕事のシフトがないから、人が少なそうな時間にやってきた。しかも雨だから、店にはほんの数人しかいない。
すると、頼んだコーヒーが運ばれてきた。綺麗に洗われているであろう純白のマグカップの中で、濃い焦げ茶が揺らぐ。
ブラックのまま啜ると、深いコクの裏にわずかな甘みも感じられた。これが、俺の好きな味。
ふと、左側の2つ隣の席にいる男性をちらりと見る。
黒いTシャツを着て、俺と同じような金色のアクセサリーをつけている。
もし俺が聞こえてるか、彼も手話ができたら仲良くできそうなのにな、と思って前に向き直る。
そんなことはたぶん叶わない。
ほろ苦い気持ちを舌の上で転がして、ごくんと飲み込んだ。