テラーノベル
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朝の街は、思っていたよりもずっと賑やかだった。
石畳を行き交う人々。
開き始める店の扉。
そして――鼻先をくすぐる、焼きたてのパンの香り。
「……すごい」
パン屋《weekendGarage》の前で、Machicoは思わず呟いた。
「ふふ、最初はみんなそう言うのよ」
そう声をかけたのは、店主の鷲見友美ジェナだった。
エプロン姿で、すでに粉まみれになっている。
「今日は初日だし、簡単なことからね」
店の中に入った瞬間、
ドンッと大きな音。
「きゃっ!?」
驚いて振り向くと、
従業員の秋奈が、山積みのパン箱を抱えて立ち尽くしていた。
「ご、ごめんなさい!
ちょっとバランス崩して……!」
「だ、大丈夫ですか!?」
Machicoが慌てて駆け寄ると、
箱の中からパンが一つ、床に転がる。
「あーっ!!」
三人の声が重なった。
⸻
開店準備は、想像以上に大騒ぎだった。
「Machicoちゃん、そのトレー持ってきて!」
「えっ、あ、はい!」
「それは焼く前の!」
「す、すみません!!」
オーブンの前で右往左往し、
水桶をひっくり返し、
粉を盛大に舞い上げてしまう。
「咳っ……!」
顔を真っ白にしながら咳き込むMachicoを見て、
ジェナと秋奈は一瞬固まり――
「ぷっ……」
「ちょ、ちょっと……!」
二人とも、吹き出した。
「ご、ごめんなさい……!」
Machicoは慌てて頭を下げる。
「いえいえ!
初日でここまでやる人、逆に才能あるわ」
ジェナは笑いながら、布巾を差し出した。
「ここは戦場じゃないの。
失敗しても、ちゃんとやり直せる場所よ」
その言葉に、Machicoは少しだけ胸が温かくなる。
⸻
開店時間。
「いらっしゃいませー!」
最初のお客は、近所の子どもたちだった。
「このパン、あまい?」
「こっちはさくさく?」
質問攻めにあたふたするMachicoの横で、
秋奈がそっと助け舟を出す。
「それははちみつ入り。
こっちはチーズだよ」
「へぇ~!」
Machicoは、パンを渡しながら自然と笑っていた。
「……ありがとうございました!」
お客が帰ったあと、ふと気づく。
胸の奥にあった重たい不安が、
少しだけ薄れていることに。
⸻
昼前。
一息ついたところで、ジェナが言った。
「Machicoちゃん、どう?」
Machicoは考えてから、素直に答えた。
「……大変ですけど。
でも、楽しいです」
ジェナは満足そうに頷いた。
「それなら合格ね」
そのとき、店の外を一人の騎士が通り過ぎる。
野口瑠璃子だった。
一瞬だけ、視線が合う。
Machicoは小さく会釈し、
野口も、ほんのわずかに頷いた。
――守られている。
そう感じた瞬間だった。
⸻
パン屋の中に、また香ばしい匂いが広がる。
剣も、魔法もない場所。
けれどここには、確かに“生きている時間”があった。
Machicoは、焼きたてのパンを並べながら思う。
(……この世界で、ちゃんとやっていけるかもしれない)
その裏で――
誰かが、この小さなパン屋に
異様な視線を向け始めていることも知らずに。
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